井戸を覗く少女 12
「話したいことがある。例の井戸を覗いていた女学生の件でさ」
翌日、不自由な右手を包帯で吊った姿で内輪邸へ赴いた志儀。
ベッドの中の若葉の顔を見るや単刀直入に言った。
「え? 何? 何?」
「よくいらっしゃいました! 志儀君! 若ちゃんたら、あなたが来るのを『まだか、まだか』って、そりゃもう待ちくたびれていたのよ!」
ココアの盆を掲げて入って来た母、千羽子。
志儀は改めて頭を下げた。
「あ、このたびは本当に申し訳ありませんでした。チワワ、じゃない、若葉君にこんな怪我をさせてしまって――」
「あら、いやだ! 怪我をさせたのはウチの若ちゃんですよ! 途中で綱を放して落っこちちゃったっんですってね? 志儀君にどう言って謝ろうって病院でもずっとメソメソ泣き続けなのよ。困った泣き虫さん!」
「ママ! いいから、黙ってて! そ、そうだ、外へ行こう!」
若葉は飛び起きた。
「話なら散歩しながら聞くよ」
「いいのか、出歩いて?」
吃驚する志儀をよそに若葉はさっさとパジャマの上にマントを羽織った。
「勿論さ! 体を慣らすためにも適度の運動をしなきゃ。明日から学校にも行くつもりだよ」
そっと体を寄せて耳打ちした。
「ほんとは、とっくに良くなってるんだ。でもママが心配して今日も1日、無理やり寝かしつけられていたんだ! もう退屈で、ソレこそ死ぬかと思った!」
小首を傾げてこちらを見つめている母を振り返ると、
「と言うわけで、僕たち、ちょっと出て来るよ、ママ」
「行ってらっしゃい! でも、今日の大冒険は早く切り上げてね? 晩御飯はハンバーグですよ、若ちゃん! 志儀君も!」
皮肉、元へ、慈愛に満ちた言葉に送り出されて外へ出た二人だった。
キリリと晴れ上がった冬の午後。
葉を落とした木々の間を縫って頬を吹き過ぎる風も気持ちよかった。
「ねえ、シャーロック・ホームズはさ、あんなに理論的で実験をこよなく愛する科学者だったけど――」
冬麗の景色の中で唐突に志儀は口を開いた。
「彼を生み出したコナン・ドイルはオカルトマニアの神秘主義者だったって知ってる?」
「いや?」
「実際、世紀末のロンドンで大流行してた〈降霊術〉の常連だった! 僕もさ、ホームズを尊敬しているけど、同時に、この世界には科学では解明できないこともあると思うんだ。幽霊や霊魂の存在を否定するつもりはないよ」
「突然何を言いだすんだい、志儀君? 頭を打ったのは僕の方だよね? だ、大丈夫?」
「大丈夫だとも! これは前フリなんだよ。以上のことを頭に入れてから僕の話を聞いてほしい」
志儀は少々探偵の真似をして言った。
「君が依頼した〈井戸を覗く少女〉について。驚くなよ? 実はその正体がわかった。彼女こそ――」
「あ! あの子だ!」
若葉の叫び声が志儀の言葉を遮った。
「見て、志儀君! あそこにいる……あの子だ!」
「え?」
喜びに震える若葉の指が指し示すその先……
志儀は見た。
そこに、まさにそこに、井戸を覗く少女がいた。
腰まで伸ばした長い髪。桃色のリボン。セーラー服にコートを着て、真紅のマフラーを巻いている。
そして、今、この瞬間、熱心に井戸を覗いている……!
とはいえ、井戸の覆いは志儀たちの一件もあって昨日の内に新しく頑丈なものに付け替えられていたが。
「君!」
弾かれたように若葉が駆け出した。
「待て、チワワ! 僕も――」
志儀も吊った右手を押さえながら後に続いた。
「キャ! ごめんなさいっ!」
凄まじい形相で駆け寄って来る中学生の姿に少女は吃驚して飛び上がった。足元の鞄を抱えると逃げ出そうとする。
「待って! お願いだから! 君のこと、怒ってるわけじゃない……話がしたいだけだよ!」
「?」
足を止めた少女の傍へ少年たちは雪崩れ込んだ。
「ごめんなさい、勝手に入り込んで。あの、私、ここが内輪さん家の私有地だってこと知ってました。あなたが内輪さんの息子さん?」
どちらがそうなのかわからなくて少女は眼前の二人を交互に眺めた。
「僕が内輪若葉です。こちらは友人の海府志儀君」
改めて少女は深々と頭を下げた。
「ほんとにすみませんでした。無断で出入りして――」
「全然かまいませんよ! いつでも、好きなだけいらしてくださってOKです」
息を整えて若葉は言う。
「ただ、僕、どうしても話がしたくて」
女の子と面と向かって喋れないと言っていたのに、結構やるじゃないか、チワワの奴。志儀は内心吃驚した。友は中々堂々と話している。
「実は僕、何度か、ここであなたの姿を見かけました。それで、どうしても気になって――どうか教えてください!」
今度深々と頭を下げるのは若葉だった。
「何故、いつも、そんな風に、井戸を覗いているんですか?」
「まあ!」
見る見る少女の頬が紅色に染まる。
「実は私、ここで編み物をしていたんです」
「ええーーっ?」
思わず叫んだ中学生。
「編み物? こんな寒い場所で?」
「何故、家の中でやらないのさ?」
驚愕する二人に女学生は恥ずかしそうに微笑んだ。
「プレゼントだったので家族に見られたくなかったんです。家の中だとどうしても見つかっちゃうでしょ? 誰にやるんだ、とか色々穿鑿されたくなくて。だって、私の大切な秘密なんですもの」
「あ? ああ、なるほど」
「そうなんだ?」
女の子とは聞きしに勝るフシギな生き物である。
ノアローがそうであるように。
「それで、とうとう出来上がって、うっとりと眺めていたら――よりによってその大切な贈り物を落としてしまったのよ! ここに!」
「ここ?」
「井戸に?」
異口同音に聞き返えす少年たち。
「そうなの。今日見て、吃驚! キチンと直してあるのね? 前からこんなだったら隙間から落とすこともなかったのに!」
「それは、すみませんでした」
「あ、いえ! 私の不注意です! 私ってオッチョコチョイなの」
肩を竦める姿の愛くるしいこと! 井戸を落下した時同様、若葉はほとんど失神しかけた。
「それでね、私、もう悔しくて、情けなくて。だって丹精込めて凄く上手に編み上げたんですもの」
少女は自分の首に巻いているマフラーを指差して、
「こっちは試作品。ね? デコボコでしょ? これ以上に完璧に編み上げた自信作だったから、悲しくて」
「そうだろうな!」
「ええ、わかります!」
この心理は少年たちにも容易に理解できた。
「だから、何とか拾い上げられないかと、未練が捨てきれず、恨めしい思いで幾度も覗いていたんです。でも」
少女は華奢な顎を上げた。
「もういいんです。私、決心して新しく編むことにしました! 失くしたものにいつまでも拘ってる場合じゃないわ」
思わず拍手をする二人だった。
パチパチパチ……
「おお!」
「素晴らしいや! その考えは正しいよ!」
「ありがとうございます。それで――昨日、完成したんです! 前より更に上手に編めました!」
「それは良かった!」
「理由を聞けて僕も満足しました!」
心から若葉は言った。
「驚ろかせてすみませんでした。では、僕らはこれで」
会釈してからサッと踵を返す。
慌てて志儀が小声で聞いた。
「おい、名前を聞いてないけど、いいのか、チワワ?」
「いいんだよ。僕は、もうこれで充分さ!」
「あ、待って」
歩み去る少年たちを呼び止めたのは少女の方だった。
少女は鞄を開けると外国製らしきお洒落な紙で包んだ塊を取り出した。駆け寄って若葉の前にソレを差し出す。
「これを――」
「僕に――」
目を見開くばかりで声も出せない少年に女学生は言った。
「そう、あなたに――託します。渡して頂けませんか? 三宅貴士様へ」
凍りつく時間と風景。
暫くして、漸く、志儀が聞き返した。友は未だ硬直したままだったので。
「……みやけたかし?」
「そうです。生徒会長さんの三宅貴士様。御存知ですよね? あの……貴方たちK2中学校の生徒さんでしょ?」
少女は、志儀のマントの下のカーキ色の制服を繁々と見つめた。
「どうかお願いします! ここで会ったのも何かの縁だわ! 編み上げたのはいいけど、どうやってお渡ししようかと、井戸を見つめて思いを廻らせていたんです。そしたら、あの御方と同じ中学の生徒さんと出会うなんて……! 私の熱い思いを神様が見ていてくださったのね!」
頬を薔薇色に染めて、懸命に少女は力説した。
「それ、憧れの三宅貴士様へのクリスマスプレゼントにしようとがんばったんです。さっきお話した理由でクリスマスには間に合わなかったけど――ね? 渡してください! よろしくお願いします!」
それだけ言うと少女は身を翻して全速力で駆け去った。
「ちょっ……待てよ、君! 名前……君の名、聞いてないんだけど――」
「いいよ、志儀君」
ここでやっと若葉が口を開いた。追いかけようとした志儀の腕を掴んで制す。
「名前ならここに書いてあるさ」
「?」
愛の篭った手編みのマフラーの包みにはリボンの間に封筒も挿んであった。
「でも、僕らが彼女の名を知る必要はないよ。僕らには関係ないんだから」
「だよね~!」
後1回お付き合いください! 次回でfile:7 完結です。




