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井戸を覗く少女 9




「?」


 サクサクサク……


 草を踏む乾いた足音が確かに聞こえた。

 ハッとして顔を上げる志儀(しぎ)

 天井、井戸の口、ぽっかりと開いた丸い穴の中に覗き込んだ女の顔……

 

 女の人が(・・・・)覗いている(・・・・・)

 

 井戸の口は、宛ら、天空に穿(うが)たれた丸窓に見えた。

 その丸い(フレーム)の中からこちらを見つめている若い女。

 見開かれた瞳、薄く開いた唇……

 興梠(こおろぎ)さんなら、中世イタリアで流行った円形肖像画を連想するに違いない。

 とっさに、そんなことを志儀は思った。

 ラファエロが描いた(こご)れる乙女のように女はじっと、こちら、井戸の底を見下ろしている。


「あ」


 我に返って志儀は叫んだ。

「若葉です!」

 

 果たして僕らはどういう風に見えているんだろう?

 明るい月の空を背負った女の顔はこんなによく見えるけれど、向こうは暗い穴しか見えていないかも。 この時になって気づいたが、いつの間にか蝋燭は消えていた。と言うことは――

 底に蹲る僕らなど全然見えないかも知れない。


「若葉です!」


 気が動転して言葉が出てこない。志儀は繰り返した。

「この子の名は内輪若葉! 見えますか?  落っこちて意識がないんです! 早く助けを――」

 立ち上がって、深い闇の中、硬く目を閉ざしたままの友を指差す。

「助けを呼んで来てください! お願い……します?」

 目を逸らしたのは一瞬だったのに。

 振り返ると天井の女の顔は消えていた。


「え?」

 

 痛む腕を庇いつつ、伸び上がって振り仰いでも、もうそこ、井戸の口は空っぽ。

 何処にも何も見えかった。

 ただ明るい満月と星星が、嵌め込まれた壁画のように煌いているだけだ。

 

 僕が大声で喚いたので吃驚した? いや、事の重大さに気づいて全速力で助けを求めに行ってくれたのだろうか?

 だが、落ち着いて考えると、こんな時刻に――腕時計で確認すると午前2時過ぎだった――こんな場所に若い女がいること自体フシギだった。

 真夜中に井戸を覗く女なんているのだろうか?

 尤も、僕たちだって尋常じゃない。充分にフシギである。真夜中に井戸の底にいる中学生なんて……


「夢だったのかな?」

 

 痛む腕を摩りながら志儀は呟いた。

 井戸を覗く少女のことを若葉に散々聞かされていた上に、こんな破目になって、一刻も早く助けてもらいたい僕の心が生んだ幻……妄想の類かも……

「あーあ……」

 いっぺんに力が抜けて志儀はズルズルとその場に腰を落とした。




「フシギ君? フシギ君……」

 

 耳元で響く懐かしい声。

 目を開けるとそこに大好きな探偵の顔があった。


「興梠さん! イテテっ!」

 飛びつこうとして絶叫する。

「落ち着きたまえ。ふむ? どうやら、折れてるね?」

「ハッ、ここ――」

 井戸の底だ。だが頭上は明るくなっている。

「そうだ! チワワが――チワワが大変なんだ!」

「大丈夫だよ。脳震盪を起こしたようだが」

「あれ?」

 傍に友の姿がない。

「先に上げたよ。君はぐっすり寝込んでいたので後回(あとまわ)しにした。オーケイ、内輪さん、じゃ、次にフシギ君を上げます!」

 井戸の口へ向かって叫ぶ興梠響(こおろぎひびき)

 見上げると、幾つもの顔が心配そうに見下ろしていた。その中に女の顔はない。皆、男ばかりだ。

 幅広いわっか状の紐が下ろされる。探偵は手際よく助手の体に巻きつけると、

「左手は使える? では、こっちを掴んで。 結構。消防団の皆さんが協力して引き上げてくれるから、もう少しがんばりたまえ。僕も後ろから付いて行って介助するからね?」

 探偵自身、遭難者の元へ駆けつけた山岳救助隊員のごとく腰に紐を結わえていた。

 この時ほど探偵が頼もしく見えたことはなかった志儀だった。



 かくして海府志儀(かいふしぎ)内輪若葉(うちわわかば)は井戸の底より無事生還を果たした。

 若葉は脳震盪及び後頭部に大きなたんこぶ、志儀は右・上腕部骨折。

 勿論、両名とも、こっぴどく叱られた。



「本当に申し訳ありませんでした。全ては僕の監督不行き届きです」

「いやいや!」

 

 引き上げた内輪邸にて、改めて謝罪する興梠だった。


 意識は取り戻したが、若葉は念のため今日は病院に入院することになり、母の千羽子は付いて行った。 その千羽子だが――

 井戸から助け出された少年たちを、息子の若葉は言うに及ばず、志儀まで、涙を溜めた目でギュッと抱きしめてくれた。

 それだけで、志儀は井戸探索を試みて良かったと思った。勿論、この事は永遠の秘密として胸の奥に仕舞って置こう。母親に抱きしめられるって、ああいうものなんだ!

 

 本筋に戻って――

 旧家の大地主邸の応接間で謝罪する探偵に、現当主・内輪泰蔵(うちわたいぞう)は大笑いして首を振った。

「頭をお挙げください、興梠さん! 何、協力してくれた消防団の手前、子供たちにはああ言いましたがね、僕としては物凄く嬉しいんですよ!」

 若葉の父は100kgを超える体を揺すって笑い続ける。

「男の子はこのくらい腕白でなきゃ! うちの若葉は線が細くて女の子みたいで――ソレが心配の種だったんですが、海府君と仲良くなってどんどん逞しくなってる! 私も家内も大いに感謝してるんですよ!」

「恐縮です。そうおっしゃっていただけると助かります」

「海府君! どうかこれからも若葉をよろしく頼んだよ! この通りだ!」

 泰蔵は若葉の手を(包帯を巻いていない方の)強く掴んで頭を下げた。

「息子はね、君のことを兄弟みたいに慕っているんだから!」

「いえ、あの、その……ほんとにゴメンナサイ!」

 どぎまぎして返答もおぼつかない志儀だった。少年の手を握ったまま、泰蔵は探偵を振り返ると片目を瞑って見せた。

「いやね、僕も、一人っ子でずっと寂しい思いをして育ちましてね。兄弟のある友人がどんなに羨ましかったことか! だから、息子の気持ちが良くわかるんですよ!」

「内輪さんも一人っ子でいらっしゃる?」

「おっと、でも贅沢は言えません。実はね、僕の両親は、一時は、子供は望めないと医者に宣言されたそうです」

「ほう?」

「母親は特に悲しんだそうです。それで、天地神明――それこそありとあらゆる神仏に(すが)ったとか。父はいい顔はしなかったが、南京町辺りの妙な占いにも足繁く通ったそうです」

「南京町――中華街ですね?」

「まあ、その甲斐あって僕が誕生したわけだ! 兄弟はいないが体重は優に二人分だ! アハハハハ」

 内輪邸に響き渡る豪快な笑い声は中々止みそうにない。

 一方、探偵は目を瞬かせた。

  

 (なるほど、そういうことか! 繋がったぞ!)











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