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井戸を覗く少女 5




「ははあ! これが問題の古井戸だな……」


 チェスターコートの襟を立て、立ち止まる探偵。

 周囲を見廻したがまばらな木立が取り囲んでいるだけで他に人影は見当たらなかった。

 昨日の内輪若葉(うちわわかば)の依頼を受けて出向いて来たのだが、まずは問題の井戸を見ておこうと思った。少年の言葉通り井戸はすぐに見つかった。

 直径約1、5m。 周囲をレンガで囲った立派な井戸である。

 この種の形は明治初期に流行った。地主の地所というからよほど富裕だったのだろう。だが、最近は手入れがされていないと見えて、井戸の上部を覆った板の部分が腐食して、ところどころ破れている。

 『熱心に覗いていた』と少年は言っていたから、少女は覆いは取らずに破損した隙間からそうしていたのだろう。


「その井戸がどうかしましたかの?」


 突然の声に興梠(こおろぎ)はギクリとして顔を上げた。

 いつからそこにいたのか、背後に老人が立って怪訝そうにこちらを見つめていた。

 真っ白い蓬髪で杖を突いている。

 場所が場所なので、興梠は一瞬、仙人かと見紛った。但し、仙人にしては身に着けているものがちょっと違う。老人はドテラに綿入れの半纏姿だった。足は雪駄履きだ。

「失礼、僕は怪しい者ではありません。人に頼まれて……少々調べ物をしているのです」

「ほほう! 刑事さんかの!」

「まあ、似たようなものです」

 嘘じゃない。興梠は微苦笑した。Detective 英語では同じ単語だし。

「何を調べておいでなさる? 水質調査かの?」

 老人は悲しそうに皺深い顔を歪めた。

「残念ながら、その井戸は枯れて久しいの。昔はいい井戸だったんじゃが惜しいことじゃ」

「この井戸についてお詳しいんですか?」

 ツイているぞ! これは予想以上に早く仕事がはかどりそうだ。

 ラファエル前派の画集に戻りたくてたまらない探偵は心の中で拍手喝采した。

「よろしかったら教えていただけませんか?」 

 早速、井戸を指し示しながら訊ねる。

「こんな風に覆いをしたのはいつごろでしょう?」

「覆い? それなら定期的に何度も差し替えておるがの。子供たちが上に乗って遊んだりしたら危険だからさ。尤も、一番最初に封印したときゃ若旦那様が妙に忌み嫌われて、こんなもんじゃない、ソリャもう頑丈な覆いを男衆総出で取り付けたもんじゃった」

「それは――どういう経緯だったのでしょう?」

「うむ。若奥様が気鬱の病に罹られて……妙な占いに凝られての。それで、若旦那様は気が気ではなかったんじゃ」

 老人は思い出を眺めるように遠い空へ目をやった。

「暇さえあれば若奥様はこの井戸を覗いておいででな。わしも何べんもそうやっているお姿を見掛けたもんじゃが。そりゃ、お綺麗なお方じゃった! お可哀想そうに――」

「じい様!」

 ここで下駄を鳴らして中年の女が駆け寄って来た。

「また勝手に出歩いて!」

 興梠に気づいて深々とお辞儀をする。

「申し訳ありません。(うち)のじい様――父が何か失礼でも?」

「とんでもありません! 貴重なお話を聞かせていただいていたところです」

「はあ?」

「こちらは刑事さんじゃよ。いや、新聞記者さんだったかの?」

「ほらね? この調子ですよ!」

 女は恥ずかしそうに小さく笑った。持っていたストールで老人を包みながら、

「すみません。耄碌(もうろく)していましてね。さあ、じい様、お家に帰りましょう! だめですよ? 勝手にいなくなっては! 皆、心配して捜してるんですよ? では」

「あ、待ってください」

 慌てて呼び止める興梠。探偵はどんな情報でも疎かにはしない。

「さっきの話――井戸を最初に封印された若旦那さんのこと。お名前をお教え願えませんか? 若奥様についても、ぜひ」

「ああん? 決まっとろうが。若旦那さまといやあ、雅明(まさあき)坊ちゃましかいなさらん。 その雅明様の奥様は菊乃(きくの)様じゃ。フフ……わしら、つい、『菊乃嬢様』と呼んで大奥様によく叱られたわ。そのくらいお若かくて美しい嫁様じゃった!」

 手帳を出して名を書き留める興梠を見て女が吃驚して叫んだ。

「嫌ですよ! じい様! 貴方様も――」

 改めて興梠を振り返ると、

「じい様の話をまともにお聞きにならないでくださいませ。若旦那って……雅明様というのはソレは先代の旦那様の名ですよ。菊乃様も先代の奥様です。一体いつの話をしてるの、じい様?」

「きまっとる! 4、5年前、わしが(・・・)中学生の頃(・・・・・)の話じゃ」

「!」

「おわかりになりましたでしょう?」

 ほら、これだから、というように女は首を振って目配せをした。

「では、これで。失礼いたします」

 年老いた父の手を引いて歩き出した女を興梠が再度呼び止める。

「待ってください! もう一つだけ――」

「なんじゃ?」

「今、話された――この井戸に最初に覆いをした時、その際の若奥様、菊乃さんのお年はおいくつでした?」

「18」

「え?」

「女学校3年の運動会で見初められて、それで、雅明坊ちゃまがどうしてもとお嫁に貰われたから――この井戸を若旦那様が封印した時は若奥様は高等女学校の5年、18じゃ」

「確認させて頂きたい」

 探偵の声は震えていた。

「18のその若奥様、菊乃さんは……セーラー服を着ておられた?」






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