井戸を覗く少女 3
依頼者・内輪若葉の話に戻る――
数日後、若葉を安心させる出来事が起こった。
つまり、正確に言うと――
若葉は同じ時間帯の同じ場所で再びその少女と遭遇したのだ。
少女は、またしても井戸を熱心に覗き込んでいた。
「やっぱり! マボロシじゃなかった!」
今回は若葉も前回よりは落ち着いて、しっかりと眼前の少女の全貌を観察することができた。
どう見ても、少女は幽霊ではなかった。
透けてもいないし、足もちゃんとある。制服のスカートの裾から覗くほっそりと伸びた白い足。
同じくらい白いソックスをはいてベルトの付いた黒い革靴を履いている。その爪先をちょっと上げている様子が初々しいバレリーナみたいでドキリとした。
絵画好きの探偵ならドガの絵などを思い起こすのだろうが。
若葉は母が大切にしている古いアルバムを思い出した。
少女歌劇団にいた頃の思い出の写真集。同じようなポーズで踊っている母の写真があったような気がする。そういえばあの子ちょっとママに似てるな? 小柄なところとか、頬がぽっちゃりして幼顔で可愛らしいところとか。
いや、そんな事はどうでもいい。
今回、前には気づかなかったものが明らかに一つあった。
少女の足元、井戸に立て掛けてある鞄だ。
紺色の学生鞄。という事は――
これでハッキリした。
やはり彼女は女学生で、自分と同じように今、帰宅途中なのだ!
どのくらい脇目も振らず、井戸を覗く少女を、見つめていたことか!
やがて、まだ動こうとしない少女を残して、若葉はそっとその場を離れた。
「なぜ、そこで声をかけなかったんだよ!」
ソファに並んで陣取る志儀が率直に疑問を呈した。
「そんなに繁々と長い間見つめてる時間があったなら、その場で声をかけりゃ良かったんだ!」
「そんなの無理だよ!」
大声を上げる若葉。
「ぼ、ぼ、僕、1対1で女の人と喋ったことなんかないもの」
「中学生にもなって情けない奴だなあ!」
呆れ返って友を睥睨する志儀だった。
「じゃ、志儀君は女の人と二人っきりで話したことがあるの?」
「もちろん! お嫁に行っちゃったけど、僕なんか姉さまとしょっちゅう話してたさ!」
「プ」
思わず噴出したのは探偵である。
「何が可笑しいんだよ、興梠さん?」
「いや、別に」
K2中の美少年コンビはあくまでもピュアで清らかな青少年なのだった。
「という訳で、僕の依頼はこれです。その井戸を覗いていた少女の身元を調べてもらいたいんです。そして、身元が判明したら、何故、古井戸をああも熱心に覗いていたのかも訊いて欲しい。報酬は勿論お支払いします。大丈夫。お年玉を残してあるんです」
若葉は丁寧に頭を下げた。
「どうぞ、よろしくお願いします!」
探偵が何か言う前に、顔を上げると、
「でないと、僕、気になって気になって……夜もまともに眠れません!」
「セーラー服から何処の女学校か見当がつかなかったかい?」
探偵の質問に若葉は頭を振った。
「残念ながら。その子、コートを着てマフラーを巻いていたし」
「ああ、そうか」
興梠は眉の辺りを掻いた。催促するように志儀が言う。
「勿論、引き受けてくれるよね、興梠さん!」
「そうだな」
渋々探偵は頷いた。
「調べてみることにしよう。何かわかったらこちらから連絡するよ。だから、それまで、もう、来なくていいからね?」
この場合、依頼を引き受けた方が引き受けないより中学生たちに煩わされずに済む、と賢明な探偵は判断したのである。
「やったあああ! よろしくお願いします、興梠さん! やはり志儀君の言葉通り、見かけよりずっと親切な人なんですね!」
「――」
「ありがとう! 志儀君も! 流石、探偵助手である君の口利きだけの事はある! 助かったよ!」
事務所から中学生を送り出して探偵は安堵の息を吐いた。
さあ、これで残りの午後中、心置きなく好きなことができる。
件の女学生の身元調査は明日からで充分だ。
実際、帰宅途中だと少年も言っていた。という事は、少女は少年の家からさほど遠くない地域に居住しているのだ。1日、いや、半日もあれば片付けられる仕事だ。
それに……
ここで、思わず笑みが零れた。
当初予想したのとは微妙に話が変わっている。
当の本人は気づいているのだろうか?
『見てしまった!』というから、何事かと思ったが、恐怖の根源を探りたいのではなく、要は――
〈恋の話〉なのだ。
帰宅途中見かけた少女に恋をした中学生の甘酸っぱい恋のお話。
本人が表現した〈フシギな体験〉とは、何のことはない、良くある、そして、誰にでも訪れる〈初恋の萌し〉に他ならない。
毒舌の助手の言葉で一つだけ的を射ていることがあるな?
興梠響は声を上げてクスクス笑った。
「そう、俺は親切じゃないさ! だが……ロマンチストだという点は当たっている!」
恋に関わる話なら、無碍に断ったりはしないよ。
興梠探偵社とは――そういう探偵社なのだ。
一方。
元医院の重厚な玄関ドアを閉めるや……
「さ! これで僕たちも心置きなく好きなことができるぞ!」
先刻の探偵と似たような台詞を吐いたのはその助手である。
「え? どういうこと、志儀君?」
「おいおい、まさか、これで済んだと思ってるんじゃないだろうな、チワワ」
志儀は鼻の頭を親指で擦って、
「そんなんじゃ探偵助手失格だぜ?」
「助手は君だろ?」
「その助手の助手は、君だろ?」
K2中公認探偵・海府志儀の瞳が意味深に煌いた。
「〝女学生の身元〟なんていうシチ面倒臭い事は興梠さんに任せるとして――僕らは僕らでやることがある!」
「な、なにさ?」
悪魔的に――探偵が見ていたらきっと、『シドニー・メイヤードの《イカロス》並みに不遜な顔』と言ったであろう――ニヤリとして志儀は高らかに言い切った。
「具体的に井戸の中を探るんだよ!」
「ええええ!」
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http://art.pro.tok2.com/M/Meteyard/mete02.jpg




