会おうな 6
「ねえ? 昨夜は何処にいたの? 興梠さん、帰って来なかったよね?」
翌日。
丘の上の洋館、興梠探偵社の事務所でのこと。
シャワーを浴びて出て来た探偵を捕らえて4つの目が炯炯と光っている。
「言い逃れようったって無駄だからね? 興梠さんを待って、ずっと起きていたんだから、僕たち」
「……僕たち?」
「決まってるだろ、僕とノアローだよ。さあ、質問に答えて! 昨夜は一晩中、何処で何をしてたの? ひょっとして……」
鋭い眼差しのまま志儀は質した。
「調査対象者の久我小夜子さんのアパートを張っていた?」
きっぱりと興梠は否定した。
「断じて、それは違う」
「じゃ、それ以外の何処にいたのさ? 僕は助手なんだから知る権利がある」
「……ダンシング・バア・ミュールにいたよ」
「一晩中?」
「そう」
「何故?」
「久我小夜子がそこにいたから」
「彼女は昨夜、閉店後も自宅に帰らなかったってこと?」
「そう」
天に感謝すべきはここで助手がもう一度『何故?』と問わなかったことだ。
少年は自分で答えを見出し、納得した。
「ふうん。なるほどね。だから? 興梠さんも一晩中、バアで、彼女を、見張ってたってわけか」
「……そう」
〝見張っていた〟と〝見つめていた〟では少々――いや、かなり?――ニュアンスが違うが。
「ニャーーーンンン!」
少年の代わりに黒猫が異議を唱えた。だが、興梠は猫語は知らない。幸いなことに。
「ダンスはした?」
「チークを一回だけ」
興梠は正直に答えている。
「じゃ、話は?」
「それが――話もほとんどできなかった」
「そりゃ、問題だな」
(その通り、大問題なのさ!)
跣の小夜子とチークを一回踊った。あくまで回数で言うなら、だ。長さではなく。
言い方を変えるなら、興梠と小夜子はピッタリと互いの体を寄せたまま、気づくと閉店時間を過ぎていた。
それから?
床下に嵌め込んだ明かりが消えたダンスフロアを興梠は初めて見た。
前夜、雪原のようだと思ったそこは深い闇に沈んで深海のようだった。
ただ、冷たさは――
そう、冷たかった。雪原並みに。
そして、その女の体は熱を帯びて僕を包み込み――
―― ・―― ・ ―― ・――
わかっている。
こんなことになって、小夜子から溝口朔耶のことを自分が聞きだすのは困難になってしまった……!
今後の調査方法を大転換しなければならない。
のっぴきならない大人の事情。男女の宿命……
そうは言っても他にこれと言って妙案も浮かばなかったので、次の日も午後、早々に興梠は件の場所、〈ダンシング・バア・ミュール〉へ赴いた。
ダンス好きの通人のためにミュールは午後1時には店を開けている。
扉を開いて、そこに小夜子の姿を見出せず、興梠は少しほっとした。
それから、物凄くがっかりした。
「あら? 小夜子さんを探してるの?」
声がかかる。
「残念ねぇ? 彼女、今日はお休みなのよ。勤労者に認められている公・休・日……知らなかった?」
行く手を塞ぐようにして立った大柄な娘。
赤毛で色白。顔に散った雀斑に愛嬌がある。
「私で良かったらお相手してあげる。フフ、貴方、帝大出身ですってね?」
「驚いたな、何処からそんなこと――」
「小夜子さんに聞いたわ。どうりでね――背格好といい、知的な雰囲気といい、傷心の小夜子がヨロメクはずだわあ!」
「君は、小夜子さん――久我さんのお友達?」
「そうよ」
これは却って良かったかも知れない。
小夜子本人から聞くよりも正確な情報を入手できる可能性が高い。
「ミーシャさんて言うのか? どうぞ、好きなものを注文して」
「じゃ、レッド・ライオンを」
赤毛の娘は探偵の予想通り混血だった。ロシア人の船乗りが父親らしい。
「あくまでも、らしいだけどね? 父だという、母と映ったたった1枚の写真があるだけ」
隅のテーブルに移動して腰を下ろすとミーシャは訳知り顔に微笑んだ。
「で? 何が知りたいのかしら?」
「君、久我さんが〝傷心〟だと言ったね? その理由を教えてくれないか?」
咥えた細いシガレットに探偵がマッチを擦って火を点けてやる。
「ふうん? 新しい恋人としては前の恋人が気になるってわけね?」
「その男……久我さんの恋人について……君は何か知っているのかい?」
「勿論よ!」
紫煙を吐き出しながら得意満面に混血娘は言った。
「だって、私が引き合わせたようなものだもの!」




