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仕草4

            


「まるで〈マスグレーヴ家の儀式〉そのものだ! 面白いじゃないか!」

 帰って来た探偵社の事務所で興奮も顕わに志義(しぎ)は言った。

 ※コナン・ドイル著《シャーロック・ホームズの思い出》/庭に埋められた家宝の財宝を探す話。

 対照的に、顔色の冴えない探偵。

 ソフトを帽子掛けにかけると深々と一人がけのソファに腰を沈める。

「……」

「ちぇ、あなたがなんでそう乗り気でないのか、僕にはわからないよ」

「そうは言うがなあ――考えてみたまえ。僕は興梠響(こうろぎひびき)であって、藤木雅倫(ふじきまさみち)ではないんだから。夫人を騙しているみたいであまりいい気持ちはしないさ」

 物音を聞きつけて嬉しそうに駆け寄ってきた黒猫――言うまでもなく、駆け寄ったのは助手の方へである――を抱き上げて少年は呟いた。

「あれ?『探偵業は綺麗事ばかりではない』って大見得を切ったのは誰さ? ほんと、そんなに繊細でよく探偵になろうなんて思ったよなあ、おまえの、ご主人様は!」

 

 ミヤーーーン……

 

 猫のあげた声が『イヤーン』に聞こえる探偵だった。

(何が、嫌なんだよ? 俺のこと、〝ご主人〟だと言われたからか?)

「それにさ、興梠さん」

 黒猫の顔に頬を擦り寄せながら――そんな真似を、探偵は一度だってしたことがなかった。それどころか――煮えくり返る思いで探偵は心の中で悪罵した。

(未だにあの猫は俺に指1本触れさせないんだぞ!)

「聞いてるの?」

 助手の少年は振り返った。

「あなたに飛びついた夫人の顔、僕は見たよ。凄く幸せそうだった! こっちまで幸せな気分になった!」

 黒猫に顔を埋めた少年の、くぐもった声が薄暮の探偵事務所に響く。

「……ねえ? 優しい嘘なら付いてもいいんだよ」

「やれやれ!」

 先刻までの憤りは何処へやら――探偵は吹き出した。 

「君は何処でそんな台詞を仕入れてくるんだ、フシギ君?」

「勿論、探偵小説からだよ」

「嘘つけ」

「あー! 探偵小説を馬鹿にしたな? 最近の探偵小説は謎解きだけじゃない、愛を語るんだぞ!」


       

 探偵小説の愛に纏わる真偽のほどはさて置き――

 翌日、また1時間ばかり様子を見てみようと訪れた藤木邸で、早くも劇的な出来事が起こった。




「ようこそ!」

 

 満面の笑顔で探偵とその助手を迎え入れた藤木・エミール・雅寿(まさひさ)

 さっそく、今日は庭へ母を連れ出してくれと言う。

「母も朝から気分が良さそうなんですよ!」

 待っていたとばかり、車椅子に乗せると、

「さあ、あなた(・・・)が押して行ってください、興梠さん!」

 それから、素早く志義に目配せした。

「じゃ、ぼくらはちょっと離れて、様子を窺うとしよう」

 これには探偵の方が焦ってしまった。

「ち、ちよっと、藤木さん? そんなにいきなりでは僕も困るし、第一、アリッサ夫人だって――」

「何、母なら大丈夫!」

「マサミチ!」

 銀髪の元パリジェンヌ=ロシアからの亡命貴族の娘は、またしても歓声を上げて探偵に抱きついた。


「ずっと待っていたのよ、マサミチ!」

「…そ、そうですか?」

「あら、どうかしたの?」

 夫人は抱きついたまま不思議そうに興梠の顔を覗き込んだ。

「私の呼び方、おかしい? 間違っている?」

「いえ、その、そんなことはありません」

「そうよね? 私、最初から、あなたの名前を正確に呼べたわ! あなた、褒めてくれたじゃない。忘れたの?」




「名前を教えて、未来の絵描きさんの侍さん? 私はアリッサよ」

「僕の名は……僕の名はね、藤木雅倫といいます」

「マサ……ム……?」

「言い難くかったら好きに略して結構ですよ、マドモアゼル。西洋の人には難しい発音ですから」

「ううん、マサ……ミ……チ! ほら、ちゃんと言えるわ! ね? 間違ってないでしょ、マ・サ・ミ・チ?」

「驚いた! とてもお上手ですよ!」

「マサミチ、じゃ、次はあなたの番よ? あなたも呼んで、私の名を」 




「どうしたの? マサミチ? 早く、呼んで、私の名を!」

 探偵は口篭って少々顔を赤らめた。

 今現在、近くに助手がいないことは不幸中の幸いと言うべきだ。

 少年は依頼人に引きづられるようにして去って行く。

 傍にいたら――こんな様を見られたらなんと言ってからかわれるかわかったもんじゃない。

「えーと、マ、マドモアゼル・藤木?」

「違うわ!」

 夫人は口を尖らせた。

「家の名じゃなく、私の名よ? 前にも言ったでしょ? ちゃんと、名前で読んでちょうだい。さあ!」

「……ア、アリッサ?」

「もっと大きな声で」

「アリッサ!」

「マサミチ!」





 至る処に空いた穴を避けて慎重に車椅子を押す興梠響だった。

 小春日和の秋の日。

 手入れされていないとは言え、庭は清々しく心地良かった。爽やかな風が吹き過ぎて行く。

「マサミチ?」

「何ですか?」

 

 そして、夫人はそれをした――

 右手を伸ばして人差し指を突き出す仕草……。


「あ!」

 百日紅(さるすべり)の木の影で二人の様子を覗いていた志義が思わず声を上げる。

「しっ!」

 すぐ横にいた雅寿が小声で注意した。

「見たまえ、ママンが何か言っているぞ?――」

「?」

 確かに。

 秋の透き通った陽光の中で、車椅子に座って指を差しながら、夫人は傍らの探偵に何事か囁いている。



「何ですか?」

 声が小さくて、その西洋婦人が何と言ったのか興梠には聞き取れなかった。

「え? 何と言ったの、アリッサ?」

 聞き取ろうと腰を屈めて身を寄せた、次の瞬間、夫人は興梠の首に腕を回してその唇に口づけをした

「――」


「あ―――!」

 叫び声を上げる助手。

 一方、当の息子は軽く眉を寄せただけ。

「別に構いませんよ。それだけ、探偵さんが父に似ているということです。お気遣い無く。僕は気にしません」

「いや、気にするのはこっちだよ。だって」

 少年は深刻な表情で腕を組んだ。

「ひょっとすると、アレが興梠さんの初キッスかもしれないもの。あーあ!」

「……え? まさか? 本当ですか?」

「あれで、あの人、結構純情でロマンチストだからな。初めての口づけに関しては色々思い入れがあったろうに。それが、こんな処でこんな風に? よりによって依頼人の母親が相手とはねえ?」

「そ、それは、なんと言っていいか――すみませんでした!」

 混血の美青年は申し訳なさそうに詫びた。



「で? 母はなんと言ったんです?」

 母親を寝室のベッドに寝かしつけて戻って来た藤木雅寿。

 時を置かず、応接間で待っていた探偵に詰め寄った。

「見ましたよ! 母が、例の仕草をした際、何事かあなたに告げたでしょう? さあ、早く、教えてください!」

「それが――」

「『キスされたショックで忘れた』なんて言わないでよ、興梠さん?」

「ちょ、君はだまっててくれ、フシギ君」

 助手を制すると探偵は努めて冷静に依頼人に向き直った。

「藤木さん、あなたの言われる通り、お母様は確かに言葉を発されたんだが――」

 正直に興梠は言った。

「言葉自体は聞き取れたものの、その意味となると……僕にはわかりかねます」

「なんという言葉だったんですか、母が言ったのは?」

「ルージュ……赤……」


 ―― え? 何と言ったの、今?

 ―― ほら、マサミチ……ルージュ……! 

     アカ……!


「ルージュ? 赤?」

「ええ。言葉としては、お母様は確かに、そうおっしゃいました。この言葉から、あなたは何かわかりますか?」

「ルージュって、それ、〝口紅〟って事?」

 助手の質問に探偵は即座に首を振った。

「いや、この場合、色そのものだと思うが。フランス語で〈rouge〉は赤ですよね? おまけにその後、日本語でも〈赤〉と繰り返されたんですから、これは純粋に色のことでしょう」

「じや、赤い花かな? 赤い花のところに埋めたって意味かも」

 少年はスラヴの血を引く長身の青年を振り仰いだ。

「庭に赤い花はある?」

 雅寿は薄い唇を舐めた。

「わからないな。その、僕はあんまり、花とか植物には興味なかったから。母が元気だった頃だって、庭などさほど真剣に見ていたわけじゃない……」

 窓へ寄って残念そうに青年は呟いた。

「それに、今となっては……何処にも、赤い花なんか残っちゃいない。見渡す限り、はびこっているのは植えっぱなしで育つ宿根草の類ばかりだ」

 だが、すぐに顔を上げて言った。

「たった二回目でこれほどの収穫があったんだ! 大いに期待できるというものです。あなたなら、今後もっと詳しいことを聞き出せるに違いない! どうか、明日も、この調子で、お願いします!」




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