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最高の絵3

 



 

 早速翌日。

 探偵は助手を伴って子爵邸を訪れた。


「絵をお持ちくださったのかと期待しましたのに!」


 令嬢はわざとらしく嘆息して二人を迎え入れた。

 探偵は手ぶらだった。続いて入って来た助手が何冊か冊子を抱えているが。

「怠慢のそしりは甘んじて受けますよ」

 にこやかに笑う探偵。刹那、令嬢の頬が紅色に染まったのは――無論、気のせいだろう。

「僕としては、まだもう少しお話をお聞きしたいと思います」

「かまわなくってよ、探偵さん。お父様との契約は日割り計算ですの? だとしたら、私もご協力させていただくわ」

「はあ? 〝協力〟って、何、それ?」

 例によって呆れ声を漏らす助手。

「だって、探偵さんのご収入が上がれば、助手に子供など採用しなくとも、立派な大人をお雇いになれますものね?」

「くっ」

「フシギ君!」

 すかさず少年のシャツを抑えて興梠(こおろぎ)は小声で囁いた。

「ここは自重したまえ」

 薫子(かおるこ)は小鳩のようにクックと笑いながら、

「それで――今日は何を話せばよろしいの? 断っておきますけど、私は絵のことは何も知らなくてよ?」

「普通に何でもお話くださって結構です。そこから貴方の求める〈最高の絵〉を導き出すのはこちら領分――探偵の仕事ですよ!」

「どうぞ、お座りになって」

 寝台脇のウイングチェア(勿論、花柄)を指し示してから少女はツンと顎を上げた。

「でも、急に何か話せと言われても、困ります」

「そうだな……では、薫子さんは、動物はお好きですか?」

「動物は嫌い。動き回って目にも耳にも五月蝿いわ。鳥も嫌よ。」

 少女の眉間に皺が刻まれる。

「あんな狭い籠の中に押し込むなんて残酷だわ」

「フフン?」

 少年が鼻を鳴らしたのを薫子は見逃さなかった。

「何がおかしくて?」

「そういうの自己投影っていうのさ。僕が心理分析してやろうか? 君は鳥籠の中の小鳥を自己と同一視している……」

「まあ!」

 令嬢の可愛らしい顔が見る見る怒りで紅潮した。

「あ、これ、フシギ君――」

「かまいませんわ、探偵さん。ならば私も言わせていただきます。あなた(・・・)は金魚がお嫌いでしょう?」

「え? 僕が? どうしてさ?」

 名指しされて志儀は()頓狂(とんきょう)な声を上げた。

「何だよ? 僕が安価なフリフリの金魚だとかって、言いたいのか?」

「嫌だわ、金魚だなんて! ご自分を買いかぶり過ぎていらっしゃる!」

 令嬢はさも楽しそうに笑った。

「あなたは金魚じゃなくて金魚にくっついているモノよ」

「!」

 飛び掛ろうとした少年をすんでのところで探偵は取り押さえた。

「落ち着きたまえ、志儀君!」

「だっ、だって、コイツ、言うに事欠いて、僕のこと、き、き、金魚の糞呼ばわり――」

「気のせいさ。深窓のご令嬢がそんなはしたないこと言うはずがない」

 気を静めさせようとする探偵の肩越しに、だが、志儀は確かに見た!

 そのご令嬢が舌を出してこっちを見ているのを!

(べーっだ)

(あんの野郎っ!)

 一方、興梠はしわくちゃになったピンストライプの背広を整えながら言った。

「そうだ! 金魚といえば素晴らしい絵がありますよ! ラファエロ前派の画家ジョン・エヴァレット・ミレイの作品です。タイトルは……《(いこい)》」



「嫌。つまんないわ、これ」

 

 助手に持たせて来た数冊の美術書。

 その中にあった絵を見ての薫子の感想だった。

 静寂に満ちた室内。床に置かれた金魚鉢の中で泳ぐ金魚を眺めている可愛らしい二人の少女。

 美しい絵だが――

「だって、全然面白みが無いんですもの!」

 流石に一筋縄ではいかない。

 勿論そんなことは興梠は織り込み済みだった。

「風景画がいいのかな? 次はその線で探してみましょう」

「あら、風景だけじゃなくて、人物がいてもいいわよ? それより――」

 美術書を閉じると少女は目を伏せた。長い睫毛が揺れる。

「探偵さんのお気に入りの絵について、私、聞いてあげてもよくってよ?」

「何だよ、その生意気な言い方? 『聞いてあげても』だって? 人にモノを聞く態度か、それが?」

 聞こえよがしに呟く助手の言葉を令嬢は無視した。

「ねえ、探偵さんはどんな絵がお好きなの?」

「僕ですか? そうだなあ……」

「さぞかしたくさんの絵をご存知なんでしょうね? たくさん知っているとそれだけ迷われますわね? それって――」

 令嬢はくぐもったクスクス笑いを漏らした。

 この年頃の少女は魔物である。一瞬でひどく大人びて見える。

「〝恋人選び〟と一緒かしら? ()り取り見取(みど)りで、目移りなさってる?」

「ハン、現実ではちっとも〝選り取り見取り〟じゃないよ、この人! 全然モテなくて恋人なんか一人もいやしない」

 勝ち誇ったように肩を(すく)める助手。すかさず薫子が釘を刺した。

「あら? あなたが知らないだけかも。子供の目にはわからない世界ですもの」

「子供子供って……なあ? 言っとくけど僕たち同じ年だぜ? それを二言目には――」

「ほうら! そんなにすぐ怒るところが子供の証拠だわ。大人だったら感情を顔に出さないものよ。こちらの探偵さんみたいに」

「お褒めに預かり光栄です」

「ね、話して? 探偵さんの――〝最高〟と言わないまでも〝好きな〟絵ってなあに?」

「チェ!」

 憤慨して腕を組んだまま志儀は椅子に腰を落とした。馬のぬいぐるみが転げ落ちるが知ったことか!

 暫し時間を置いてから、興梠は口を開いた。

「たとえば、ラトゥールの《常夜灯のあるマグダラのマリア》」

 少年と少女がそれぞれに何か言う前に興梠はすばやく言い切った。

「でも、薫子さんにはお勧めしません。あなたのようなお若いご婦人向きじゃない」

「まあ? どんな絵ですの?」

「聖性に満ちた素晴らしい絵です。タイトルどおり女性が一人蝋燭の炎をじっと見つめている……」

「マグダラのマリア? ああ、わかった!」

 横取りするように令嬢が言った。

「その女が娼婦だから? 私には勧められない?」

「そうですね」

「でも、あなたの言葉には矛盾があるわ。『聖性に満ちた』と評価なさったくせに?」

「ハハ……これは鋭いな! 何と言えばいいだろう――行為と精神はまた別物です」

「ひょっとして……探偵さん自身、聖性があって(みだ)らな女をご存知なの?」

「かもしれません」

「好きだった方?」

「どうかな」

「ごまかさないで。そう、その方、似ていらっしゃるのね? その絵のマリアに?」

「わかりません」

「嘘は言わないで」

「嘘ではありません。と言うのはね、人は恋をすると何を目にしても、〝恋した人〟に見えるものなんです。ですから、実際、その絵のマリアが僕の知ってる人に似てるかどうか自信がないのです」

「じゃ、いいわ。これ以上、探偵さんを(いじ)めるのはよします」

 少女は唐突に話題を変えた。

「ねえ、私に似ている絵はあって?」

「ああ、それなら、たくさんありますよ!」

「本当?」

「では、明日はそれらを持って来ることにしましょう。まだあくまで参考のためなので、美術書ですが」



   

「アレ、本当?」

 

 丘の上の洋館へ戻って、黒猫に餌をやっている時、今度は志儀が聞いてきた。

「何がだい?」

「例のラトゥールとかの絵に描かれている女が、興梠さんの好きだった人に似ているって話だよ」

「――」

 探偵は口篭った。

「それが興梠さんの本質か! ノアローに嫌われる理由がわかった! 猫は勘がいいものな!」

 棘のある声で少年は言う。口の端をあげた残酷そうな微笑。

 忘れていた。昼間の少女だけではない。この年頃は少年も魔物なのだ。

「興梠さんてさ、普段クールな振りして、可愛い女の子には弱いんだから! ったく、見ちゃいられないや!」

「おいおい、何をそう苛立っているんだ、フシギ君?」

「だってさ、僕には今まで明かさなかったことを……最近会ったばかりのあんな娘に簡単にペラペラ喋ったじゃないか」

 明らかにヤキモチを焼いている。探偵も助手本人も気づいてはいないようだが。

 探偵は落ち着いて言った。

「君が訊かなかっただけだろう? 君が訊いたなら、僕は君にも同じように喋ったさ。別に隠すようなことじゃないからね。昔の話だよ」

「フン」

 そっぽを向く少年。

「わかったよ、フシギ君。じゃあね、これは君だけに教えよう。それで、許してくれるかい?」

「どんなことさ?」

「《常夜灯のあるマグダラのマリア》――令嬢に、好きな絵を聞かれて思わず口走ってしまったが」

 書棚から実際にその絵の載った美術書を取り出しながら興梠は言った。

「僕がこの絵を令嬢に勧めない理由は、描かれているのが娼婦だからじゃない」

「?」

「持っているものさ」

 マリアは膝に髑髏(しゃれこうべ)を抱えていた。

 

 死の暗示。


「ね? 体が弱くて、療養中のお嬢さんには、こんな絵は向かないだろう?」

「ああ、なるほどな!」





 ※ジョン・エヴァレット・ミレイの《憩》

  

 ※ラトゥールの《常夜灯のあるマグダラのマリア》

  

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