仕草1
「May I help you ?」
「?」
でなければ
「Est-ce gve je deviendrai pouvior ?」
「WERDE ich macht warden ?」
先刻より門扉の前で行ったり来たりしている人影に、思い余って志義は声をかけた。
目の覚めるような長身、赤毛、白い肌に、薄い水色の瞳。年齢は20代半ばといったところ。
振り返った美青年は少し悲しげに眉を寄せた。
志義が慌てて、
「英語でも仏語でも独語でもない? じゃ、オランダ語? それともスペイン語ならお分かりになりますか?」
美青年は首を振って志義の言葉を遮った。
「ありがとう。でも、大丈夫ですよ、日本語で。と言うよりも――僕は日本人です」
「え?」
吃驚して目を見張る。
眼前の青年はどう見ても〈西洋人〉にしか見えなかった。
父の仕事の関係上、幼い時から西洋人と交わって育った志義の目を通しても。
「あ、これは、失礼しました。僕は、てっきり、あなたが、そのーー」
頬を染めて謝罪の言葉を探す少年に、西洋人のような青年は手を振って詫びた。
「こちらこそ、却ってお気を使わせて申し訳ない。間違えるのは君だけじゃないよ。どうも、僕は――」
青年は赤い髪を掻き揚げた。
「母の血の方を濃く引いてしまったらしい。僕は父親が日本人、母親がフランス人なんですよ。藤木・エミール・雅寿といいます」
声をかけてもらって助かった、と青年、藤木は笑った。
「中々、門の中に入って行く勇気が出なくて。君は――この探偵社と関わりのある人ですか?」
よくぞ聞いてくれた、とばかり志義は中学の制服の胸に手を置いた。
「ええ、僕はここ興梠探偵社で助手を勤めている海府志義というものです。何か――探偵に用事でしょうか?」
門扉を押し開けながら弾んだ声で言った。
「そういうことなら、僕がご案内します!」
少々誇張があるとは言え、この少年、海府志義がここ興梠探偵社を開業している探偵・興梠響の助手だというのは事実である。
少年自身、将来は探偵業に就きたいと熱望している。
そういうわけで、学校の授業を終えると毎日のように丘の上の洋館、元医院だった探偵社へ足繁く通っているのだ。
とはいえ、この探偵社、お世辞にも繁盛しているとは言い難いので、たいていどうでもいい話をして時間を潰し、猫に餌をやって、夕方、自宅へ帰るのが日課だ。
今日、やってきた混血の青年こそ、何ヶ月ぶりかで現れた貴重な、本物の、依頼人らしい。
志義は制服のポケットの中で拳を握り締めた。
(やったぁ! こりゃ、この依頼人を絶対に逃すわけにはいかないぞ!)
「実は、僕がこちらを訪ねるのを躊躇していたのは――こんなことを依頼していいものかどうか迷ったせいです」
腰を下ろした探偵社の事務所。
広い洋館の二階、元、応接室と思われる豪奢な一室である。
片側の窓には時代物のステンドグラスがはめ込まれていて黄色、緑、赤、美しい光の漣を床に零している。明治時代に渡欧した探偵の祖父の趣味である。部屋の中央、据え置かれたチェスターフィールドの黒革のソファ――こちらは探偵の父の趣味――に赤い髪の青年はよく似合った。宛ら、一幅の絵のごとく。
(さしずめルーブル宮のパルミジャニーノの肖像画だな?)
帝大で美学を修めた探偵は心の中で思った。但し、この青年……
「どうぞ、おっしゃってみてください。遠慮はいりませんよ。僕でお力になれることなら喜んでお手伝いいたします」
「――」
助手が運んできた紅茶に手をつけず、暫く青年は押し黙っていた。
漸く目を上げる。と、今度は目の前の探偵を食い入るように見つめた。
「?」
探偵・興梠響は片手を伸ばして促した。
「さあ、どうぞ?」
「え? ああ、わかりました。では、言います。その、つまり――」
薄い色の瞳が探偵の漆黒の瞳を真っ直ぐに覗き込む。
「母が、不思議な仕草をするんです」
混血の青年、藤木・エミール・雅寿は言った。
「僕の母、アリッサ・藤木、旧姓アリッサ・レールモントフはパリジェンヌでした。父、藤木雅倫とは彼の地、欧州はパリで知り合ったのです」
咳払いをしてから、
「僕の父、雅倫は若い頃、絵画を学ぶためにパリへ留学したんです」
「へえ!」
部屋の隅に控えていた助手の志義が思わず声を上げた。
「この人のお父さん――そのフジキマサミチって、画家、知ってる、興梠さん?」
これには、慌てて雅寿は手を振った。
「いえ、ご存知ないと思います。父は結局、画家にはなりませんでしたから」
「というと?」
「僕の父、藤木雅倫は留学先のパリで母アリッサと恋に墜ち、花嫁として日本に連れ帰った後、堅実な生活を選んで、フランス語の語学教師として一生を終えました」
少年は露骨に落胆の声を上げた。
「なんだ、そうなの?」
「これ、フシギ君」
「筆を折ったことをさほど父は後悔してはいなかったと思います」
青年の語気が心持ち強くなる。
「その父の決断のおかげで僕たち――母と僕は満ち足りた生活を享受しました。贅沢とは言えないまでも、飢えることなく平穏な日々を送ることができました」
「それは、何にも増して素晴らしいことです」
力強く頷く探偵。
「それで、ご依頼と言うのは何なんです?」
「そうでした!」
混血の青年は姿勢を正した。
「父は一年前に亡くなりました。脳梗塞でした。教壇で倒れて、そのまま息を引き取ったんです。あまりに突然の父の死に残された母の悲しみは深く、急激に衰えて――最近では車椅子がないと自分の足では身動きできない状態です。それだけではなく、精神状態もおかしくなって……記憶の方も怪しくなってしまいました」
雅寿は辛そうに長い睫毛を伏せた。
「それは……ご心労ですね?」
「でも、ここは探偵社ですよ!」
またまた部屋の隅から少年が声を上げた。
「病院ではないから、その件では僕たちさほどお力にはなれないんじゃないかな?」
「これ、フシギ君」
眉を潜めた探偵を見て、逆に依頼人は緊張の糸が解れたようだ。
「アハハ……おっしゃる通りです! だからこそ、僕も、こんなこと依頼していいものかどうか大いに迷ったんです!」
一頻り笑った後で、西洋人にしか見えない青年は言い切った。
「でも、決心がつきました! お願いします。是非、母の〈仕草〉の謎を解いてください!」
「?」