芸術に訊け! 4
「え? 誰? 誰?」
吃驚する助手に探偵は紹介した。
「こちらが末國りえさん。あの猫、アート嬢を僕に預けて行かれた依頼主さんだよ」
娘は両手を頬に当てて、
「やっぱり! 私のこと、お気づきになられたんですね?」
方や、志儀。目を白黒させて、眼前の可愛らしいメイドを凝視する。
「この人が? あの白猫を? 探偵社に持ち込んだヒト?」
お仕着せの黒のワンピースに白いエプロン。頭に乗せたレースの帽子には黒いビロードのリボンが揺れている。こんな可愛らしいメイド、僕の家にもいたらな! どうも、海部家は(女中頭のキヨの好みかも知れないが)頑丈なメイドを選ぶ傾向が強い。いや、ムニャムニャ……
気を取り直して、頭を下げる志儀だった。
「はじめまして! 僕は海部志儀。興梠探偵社の助手です」
娘も深々とお辞儀をした。
「こちらこそ、はじめまして。私は末國りえと申します」
初対面の挨拶が終わったところで。
「そうか! 君は、ここ山浦家のメイドさんなんだね? てことは――あの猫は山浦邸の猫? どうりで物凄く優雅で気品溢れてるわけだ」
有頂天でそこまで言って志儀はハタと首を傾げた。
「待てよ? じゃ、君、勝手に持ち出したの?」
「私……どこからお話したらいいのか……」
「お座りなさい」
興梠は優しく微笑んでソファを指し示した。
「ゆっくりと、落ち着いて、事情をお話しください。ご心配には及びません。当主の英和氏からも、僕が邸内でどんな質問をしようが自由だと許可をいただいていますからね?」
思い出して言い添えた。
「それから、アート嬢は、現在、探偵社の事務室で安全に過ごしていますので、ご安心を」
「良かった!」
末國りえはソファに崩れるように腰を落とした。それから、ハッと顔を強張らせる。
「ひょっとして……その、探偵さんのお顔の傷、アートの仕業?」
「まさか!」
探偵より早く助手が応えた。
「これはウチの猫です。ご安心を!」
再度、安堵の息を吐くりえだった。
そうして、一気に語り出す。
「あの猫を勝手に持ち出したのは事実です。ここずっと、私、あのコの身が心配でたまりませんでした。でも、隠す場所がなくて。そしたら今朝、朝食の席で、英和様が探偵を呼ぶことにしたとおっしゃったから、もうどうしていいかわからなくなって……ならば、逆に、英和様より先にお縋りした方がいいのではないかと……」
「ダメだ! 全く訳がわかんないや! ねえ、君、一つ一つ順序立てて話してみてよ」
探偵助手が遮って言う。
「要するに、あの猫はこのお屋敷の猫なんだね?」
「はい。お屋敷というか――父様の猫です」
「父様?」
「父様って、それは誰?」
ほぼ同時に疑問の声を発した探偵と助手。きまり悪そうに両手を揉み絞ってりえは答える。
「山浦邦臣様です」
「君! メイドじゃないのか! ここのお嬢様? じゃ、それ、変装してるの? とっても似合ってて可愛いけども」
「あ、いえ、メイドで結構です。そんなこと――私はどうでもいいんです」
「?」
これは、ますます込み入って来た。何やら複雑な事情がありそうだ。
「私は妾腹の娘です。母は清音という名の芸妓でした……」
志儀が差し出した紅茶を一口飲んだ後で、少し落ち着きを取り戻したらしく改めて末國りえは話し始めた。
「母が父――山浦邦臣様と知り合ったのは、奥様がお亡くなりになってからです。父は母をとても大切にしてくれて、生まれた私のことも大変可愛がってくれました」
小さな家を建て、週のほとんどを一緒にその家で過ごしたのだと言う。だから、りえは大きくなるまで複雑な事情は全く知らなかった。度々出張に行く忙しい父と思っていた。
「2年前、母が急死した後も、今までと変わらず父と私はそんな暮らしを続けていました」
だが事態は急変する。
半年前、邦臣は会社で倒れ、寝たきりになった。
すると、その時初めて、兄、英和から連絡が入った。
父が望んでいるので、本宅へ来てもよい。傍にいて世話をするのを許す――
「私、嬉しかったわ! だから、一生懸命、できる限りのことをしました」
後で知ったのだが、と前置きしてりえは続けた。
「私を呼び寄せることを条件に父は遺言状を作成したそうです。全ての財産は兄に譲ると。そのかわり、残された日々を娘と過ごさせてほしい」
―― なんでもくれてやる、英和。だが、どうか、りえをここへ。
残された日々をりえと過ごさせてほしい……
「そこまで言ってくれた父に、私は心から感謝しています」
「ええええ!」
例によって叫んだのは少年助手である。
「それって、物凄く不平等だよ!」
「君は黙っていたまえ、フシギ君」
「私も父も凄く幸せでした。だから、そのことはいいんです。それに、英和様は寛大にも、母の家を修理してくださる上に、看護学校の学費まで出してくださるんです」
娘の瞳がキラキラ輝いた。
「看護学校?」
「私の夢なんです。私、母を看取り、今回、父も看取りました。二人とも、私の拙い世話をとても喜んでくれた。私も凄くやりがいを感じて……だから、この仕事、自分に向いてると思います。それで、正式にきちんと勉強して、立派な看護婦になりたいの!」
パチパチパチ! 拍手喝采する助手。
「最高だ! うん、君ならメイド服以上に看護婦の制服も似合うよっ!」
「ありがとうございます。でも――」
娘の顔が曇った。
「唯一の心配はアートのこと……」
一瞬ためらって言葉を切ってから、りえは言った。
「既に、兄―—いえ、英和様からお聞きでしょう?
父は臨終の際、私の手を握って、不思議な言葉を囁いたんです」
〈芸術に訊け〉
「兄――英和様は父が隠し財産のことを言ったのだと疑っています」
「それと〈猫〉とどう関係があるのさ?」
首を傾げる助手。反して、今度、娘を褒め讃えたのは探偵だ。
「貴女は聡明な娘さんだな!」
りえはポッと頬を染める。
「ありがとうございます」
「???」
「やれやれ、まだ気づかないのか、フシギ君。そんなことでは探偵社の助手失格だぞ」
「???」
娘に視線を戻してゆっくりと興梠は確認した。
「りえさん、貴女はお父上の言葉は〈猫〉のことを言っていると推理されたんですね?」
りえはこっくりと頷いた。
「はい」
「あ!」
遅ればせながら、パチンと志儀が指を鳴らす。
「そうか! 《芸術に訊け》 は……《芸術に訊け》!?」