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秋の夜長のお月さま 6

「あのお地蔵様は、件の<悪いモノ>から人を護ってくださる、有難いお地蔵様だと周囲の村人たちに慕われていました」


それも昔のことになってしまいましたがね、と店主は語り始める。


「遠くの山から飛んで来たのだとか、徳の高いお坊さんが手ずから彫ったものだとか、幾つも言い伝えがありますが……あの地にあのお地蔵様が安置されてから、<悪いモノ>の被害が激減したということだけは確かだといいます」


俺、そんな立派なお地蔵さんの上に座るという罰当たりをやっちゃったのか。気づかなかったとはいえ……。


密かに落ち込んでいる間も、店主の話は続く。


「ただ、月の明るい夜はソレの力が強まるらしく、お地蔵様の力でも抑えることは難しかったようです。たまに出る犠牲者に、人々は特に満月の夜を恐れていました。そんなある秋のことです。暗くなってから道に迷ったという旅人が、喰われることなく無事村に辿り着きました」


その日は満月だったにもかかわらず、とつけ加える。それまで、満月の夜に外を出歩いて無事だったものはいなかったとも。


「当然、その村の人間は旅人に、<何か恐ろしいモノ>に出遭わなかったかと訊ねました」


そこで、俺はピンときた。


「もしかして、煙草……?」


店主は頷いた。


「そうです。旅人は煙草のお陰で難を逃れました。もちろん、昔のことだから煙管で刻み煙草ですけども」


店主によると、その道に迷った旅人も、俺と同じようにぐるぐる歩いた末に疲れ果て、道端のお地蔵さんの前に座り込んだのだそうだ。とにかく気を落ち着かせようと一服したところ、不思議なことに煙が勝手に集まって、白い幕のようになったという。──俺のときと同じだ。


「そこに、お地蔵様は旅人と瓜二つの幻を映し出したのだそうです。それと同時に、旅人は指ひとつ動かせなくなり、身体が石のように固まったまま、幻が立ったり座ったり、そこらをふらふら歩くのをただ見つめていたといいます」


俺のときはどじょうすくい踊ってたんだけどな……てなことを思いながら、店主の話に耳を傾ける。


「幻が現れてすぐ、旅人は強い恐怖に襲われました。意味も分からず突然生まれた恐怖感情に、自分はこのまま死んでしまうのかと慄きつつ、唯一動かせる目だけできょろきょろしていると、黒くて何だか分からないものがそこに現れたのに気づいたそうです。息も出来ないほどの恐ろしさに、いっそう身の内を震えさせていると、ソレはぴくりとも動かない旅人には目もくれず、動き回る幻にまつわりつき──次の瞬間、クリオネの捕食シーンのように襲い掛かったのだそうです」


──そんな時代、クリオネなんて存在すら知られてなかっただろうに……。語り部・真久部さんの見てきたような表現力すごいな。確かにそんな感じだったかも。俺、もうクリオネ見られない……。


「ですが、その幻は(あやかし)のたぐいが嫌うという煙草の煙で出来たもの。ご馳走のつもりで苦手なものを呑み込んだソレは、苦しみのたうちながら消えていき、旅人は危ういところで助かったというわけです」


おどろおどろしく現れたわりに、抜けてますよね、と店主は言う。まるで、騙されて嫌いなピーマンかセロリでも食べさせられた子供みたい、って──。店主。あれはそんなほのぼのとしたもんじゃなかったよ……。


「生還した旅人は、翌日村人と一緒にお地蔵様にお供え物をし、感謝のしるしに、村人の里で祭のときに踊る踊りをお地蔵様に奉納したと伝えられています。それ以来、月夜に出歩く者は必ず煙草を持ち歩くようになりました」


もし<悪いモノ>に出会っても、お地蔵様におすがりしつつ煙草を吸えば、煙幕の中にその人そっくりの幻が現れ、<悪いモノ>は動かない本体より動く幻に喰いつき、煙に負けて消えていくのだそうだ。


「まあ、いくら対策が出来るようになっても、恐ろしいものは恐ろしいし、何がどうなるか分からないので、どうしてもの必要がなければ、月の明るい夜に外を歩く者はいなかったそうですが……」


稀に、煙草を持っていても心を喰われる者が出たんだそうですよ、と店主は言う。


「そういう人は、日頃から神仏を軽んじる傾向があったんだそうですがね。煙草さえあれば自分は大丈夫だと豪語していたとか。狸に化かされた程度なら煙草だけでも何とかなったかもしれませんが、<悪いモノ>は、それよりずっと強かったですから。お地蔵様の力を借りなければ到底無理だったんじゃないかなぁ……そんな者でも、お地蔵様は助けてくださったそうですが、相手の力が最大になる満月の夜だけは、無理だったとか」


「あの、俺……お地蔵様のこと知りませんでしたよ? ただの石だと思って座っちゃってたし……」


昨夜は満月だったし。もしかしたら、俺、心を喰われる寸前だった? そう思うと、胃の奥のほうがずずーんと……。


「何でも屋さんは大丈夫ですよ。座ってたのがお地蔵様だと知ったとき、罰当たりとかごめんなさいとか、すごく思ったでしょう?」


「思いました……」


お地蔵さんは座るものじゃなくて、拝むものなんだよ。当たり前のことだけど。


「そういう人はいいんです。ちゃんと畏れ敬う心を知ってますからね。それに、月の晩にあそこで道に迷った者を、お地蔵様は自分のところまで導いてくださるらしいんです。うっかり座ってしまう人は多かったそうですよ。迷った時点で普通の心理状態じゃなくなってますから、つい座りやすいところに座ってしまうんでしょう」


お地蔵様がそれを許してくださるんなら、いいんですよ、と店主は慰めてくれた。

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□■□ 逃げる太陽シリーズ □■□
あっちの<俺>もこっちの<俺>も、元はみんな同じ<俺>。
『一年で一番長い日』本編。完結済み。関連続編有り。
『俺は名無しの何でも屋! ~日常のちょっとしたご不便、お困りごとを地味に解決します~(旧題:何でも屋の<俺>の四季)』慈恩堂以外の<俺>の日常。
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