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秋の夜長のお月さま 3

一瞬。


タールのような影が、沸騰したミルクみたいにぶわっと膨らんだかと思うと、<俺>はその中に呑み込まれてしまった。……次のドジョウを探す仕草をしながら。


──輝くような笑顔だったな、<俺>。


蠢きながらなおもその場に蟠る影を見ながら、恐怖のあまりどこか麻痺した頭でそんなことを思う。俺の見たことのあるどじょうすくいの踊り手は、いつでも楽しそうな笑顔をキープしてたから、そんなものなのかな……。ああ、だけど、やっぱり次は俺がやられる番なのか……。


刹那。


あの銀色の魚が急降下してきた。月を飛び越すほど高い空を泳いでいたはずなのに、いつの間に? 近づいてくるにつれて、口のあたりがぐーっと伸び、頭には鹿のように枝分かれした角が、体は長く長く伸びて──


竜?


そう思った時にはもう、蠢く影を大きな口でひと呑みに、そいつが掻っ攫っていくところだった。限りなく地面に近づいたはずなのに、重さなんか全く感じさせず、再び空を駆け上がる銀色の竜。


タッチ・アンド・ゴー?


あまりの妙技にそんな言葉が浮び、つい先ほどまでの恐怖を一瞬忘れかけた時。


────!!!


竜の喉の奥から逃れようとうねくる影が、咆哮した。


どろりとしたものを、無理やり耳に流し込まれるような、声ともいえない異様な音。その圧倒的な圧力に、心臓を冷たい手でぎゅっと鷲づかみにされたように苦しくなり、身体の強張りが酷くなる。気が遠くなりかける。流れ込む脂汗ににじむ目をそれでも必死に開けていると、口中でのたうつ影を、竜が造作も無いように文字通りバリバリと噛み殺し、今度こそごくんと呑み込むのが見えた。とたんに霧消する音圧。後にはただ静寂が広がるだけ。


「……」


今、目の前で起こった出来事がよく理解出来ず、俺はただぼんやりと竜の姿を眺めていた。悠々と空を舞い、月光満ち満ちる天と地を縫うように、その動きは自由自在だ。あー、目も銀色なんだなー、って、どうしてこの距離から目の色が?


下から眺める俺と、上から見つめる竜の目が、合う。


そのとたん、竜は銀色の奔流となり、空から迸り落ちてきた。え? え? え? とわけの分からないまま脳内大混乱してる間に、落ちてきた竜は俺が斜め掛けしてる鞄の中に吸い込まれ、消えた。


「え?」


意図せず声が出て、ようやく俺は身体が動くようになったことに気づいたが。


「うわっち!」


右手に挟んでた煙草を慌てて放り出した。もう根元近くまで燃え尽きていて、危なかった。地面に落ちてもまだ煙を上げているそれを見つめながら、途方に暮れる。


「……何だったんだ?」


──りーりーりー

──ちんちろちんちろ

──ガチャガチャガチャ


いつの間にか、虫たちの合唱も復活してる。


──ガチャガチャガチャガチャ

──ちろりんちろりろちろりんちりん

──りーりーりー


周囲の様子も元に戻り、さっきまでの、かすかな波紋に揺れる湖の水底から月を見上げるような、そんな不思議な感じはしない。──あれが本当に湖だったら、俺溺れてるじゃん。


意味も分からず腑に落ちないが、それは一旦置いておくことにして、フィルターだけに燃え尽きた吸殻を拾おうと立ち上がりかけた。と、その拍子に、店主の指示書が膝から落ちる。


  ──まず、煙草を吸ってみてください。理由など考えてはいけません。


そうだよ! 煙草吸えっていうから吸ってみたら、わけの分からない事態に……。店主のあの噓くさい笑みを思い出し、ムカッとする気持ちをなんとか抑え、それを拾う。続きを読んでみなければ。


── 一本吸い終えたら、とりあえず深呼吸してください。あ、吸殻は拾っておいてくださいね?


「……」


そっち後回しにして、先に足元の指示書を拾っただけだし。落ちていた吸殻を、俺はゴミ袋代わりに持ってるジプ○ックの小袋に入れた。


──次に、日本酒を取り出してください。


ふーん、それから?


──きみが座っていたお地蔵様の


「え!」


俺は慌てて振り返った。これお地蔵さん? 俺、そんな罰当たりしてたのか?


「マジか……」


月明かりに透かしてよくよく見ると、本当にお地蔵様だった。座る前はただの石に見えたのに……。


「すみません! そんな無作法、するつもりなかったんです……!」


俺は平謝りをした。いや、ダメだろ俺……。お地蔵さん、怒ってないかな? すみません、マジすみません。


──きみが座っていたお地蔵様の前にある、石の茶碗の埃を払って、そこにお酒を注いでください。


え、茶碗なんかあった? と思ったら、あった。お地蔵さんと一体化してるように見える、拳ほどの大きさの石がそれだ。慌ててそれを手に取り、中に入ってた砂とか枯葉とかを掻き出す。ウエストポーチから引っ張り出したハンドタオルも使って、丁寧に埃や泥を拭い取る。


きれいになった茶碗に、なみなみと日本酒を注いでお地蔵さんに供えた。


──お酒を注いだら、守ってくださったことを感謝してお礼を申し上げてください。


守ってくださったって、……、え?


──心当たりがあるでしょう?


あるけど……。


──そのお地蔵様は凄腕の手妻師と伝えられています。きみはその恩恵に与ったはずです。


手妻師……マジシャンのことか? じゃあ、煙草のリアル煙幕をバックにどじょうすくいを踊ってた<俺>は、このお地蔵さんの幻術だったっていうのか……?

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□■□ 逃げる太陽シリーズ □■□
あっちの<俺>もこっちの<俺>も、元はみんな同じ<俺>。
『一年で一番長い日』本編。完結済み。関連続編有り。
『俺は名無しの何でも屋! ~日常のちょっとしたご不便、お困りごとを地味に解決します~(旧題:何でも屋の<俺>の四季)』慈恩堂以外の<俺>の日常。
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