仏像の夏 2010年8月15日 10 終
「黒いものが、黒以上に黒くなるのは難しいじゃないかなぁ?」
真っ白になった頭で、まずそう思った。
「穢れに満ちた土地に新たな穢れが加わっても……それ以上穢れようが……あ、穢れホール」
「穢れホール?」
「ブラックホールって、重すぎてそんなふうになるんだって理学部の教授が言ってました。重力が多すぎてブラックホール。ってことは、穢れが多すぎて穢れホール。内部で穢れが穢れ崩壊して全ての穢れが吸い込まれて出て来れなくなるんだ。うん。穢れより穢れたものしか外に出られなくなるけど、そんなもの存在しないから、全部なんちゃらの地平の向こうに落ちて行くんです。とても怖いことだけど、元からそういうのに親しんでるなら、却って居心地いいんじゃないかなぁ」
「蠱毒ですか……」
「こどく?」
「いえ、何でもありません」
店主はふう、と息を吐いた。
「でも、そうですね。本質が穢れならば、周囲に穢れが増えてもうれしいだけなんでしょうね。そうか、周囲がきれいになるほうが落ち着かないか──」
最後のほうは口の中で呟いてるだけだから、何て言ってるのか分からなかったけど、俺のしょーもない思いつきに心を煩わせているのは分かった。
「大丈夫ですよ、真久部さん」
「何がです?」
「洗濯する時は、白いものは白いものどうし、黒いものは黒いものどうしで洗うものです。混ぜるな危険って言いますよね、お互いに汚れるから。黒いものを黒いところに持って行ってくれるというなら、それでいいじゃないですか。黒には、白が汚れなんですよ、きっと。だから黒が集まるぶんには歓迎してくれるでしょう、多分」
黒ばっかりで洗うなら、色落ちしても分からない。だから、大丈夫。
──そんなふうに言ったら笑ってくれるかと思ったのに、店主、今度は笑わなかった。
「あの土地はそのうち、あなたの言うように<穢れ崩壊>するかもしれませんが、そこに住んでいる者たちにとっては、それが本望なのかもしれませんね。周囲に穢れを撒き散らしたいという欲望も、自らの穢れに囚われて外に出ることすら叶わなくなれば、内側に向けるしかなくなるのかもしれない。──それを待つのも有りかもしれませんねぇ……」
なんか、しみじみしてる。ま、いいか。早く帰ろ。本格的に腹減ってきた。葛饅頭ひとつくらいでは、この空腹は癒せない。何かガッツリしたものを食べねば。
「じゃあ……」
お邪魔しました、と店を出ようとした時。
「あ、そうだ、何でも屋さん。今日は夜に出歩かないほうがいいですよ。あっちについて行ったものが戻ってくるかもしれませんから。仕事があるならしょうがないですけど、出来れば家から出ないようにしたほうが……」
「え……急にそんなこと言われても……」
いきなりの警戒勧告に慄く俺の顔をじっと見ていた店主は、ふと視線を外して俺の肩越しに遠くを見た。え? 後に何かいる? 恐る恐る振り返ってみたけど、誰もいない。そりゃそうだよな、客なんか入ってきてないんだし。また怖がらせるつもりかと口を開こうとしたら、最後にこう言って、深く礼をした。
「まあ、あなたの場合は何があっても大丈夫でしょう。いらぬ心配をしてしまいました」
「……」
何だか変な雰囲気の店主に会釈だけ返して、俺は早々に店の外へ出た。太陽が眩しい。
うう……。心配いらないなら、不安になるようなこと言わなくていいと思うんだ。人をからかうのもいい加減にしてほしいよ、全く。しかし……「あっちについて行ったもの」って、やっぱり「あっちに憑いて行ったもの」って意味なのかなぁ?
「……」
夕方も伝さんの散歩があるから、その時に伝さんに懐こう。そうしよう。犬には魔除けの力があるという。それにしても。
「……あの仏像が、一番気難しくて危ないんじゃないかな?」
木の根元に、ぽつんと落ちていた仏像。あんなところに放置するには忍びないと思い、拾おうとして……。
穏やかな顔をしていたな。
店主の話が本当だとして、あの男は何をしてそんなに怒らせたんだろう。──そう考えると、やっぱりあの男が一番怖いと思う。元々からの存在自体がまるで……
「……呪物」
自分で考えついて怖くなってしまった。二の腕に鳥肌が……。いかん、早く帰ろう。そんで、野菜をたっぷり入れたラーメン食べよう。腹が減ってるから妙なこと考えてしまうんだ。よし、卵とハムも乗せちゃうぞ! あんな、仏の顔ライフを三つとも使い切って、マイナス積み上げてるらしい男のことなんか知らない。知る価値も無い。俺は、俺の仕事を頑張るのみだ。
夏の空は、明るすぎるくらい明るい。こんな明るい真昼間に、隠れ鬼をし続ける仏像に、俺は何をか祈ろうとしていた。
──願わくば、全ての不心得者が、改心して真人間になりますように……。
少し遅くなりました。
しばらくこちらはお休みになります。慈恩堂の出てくる話を書いたら、また投稿します。
追記:何をボケていたのか、「蠱毒」のつもりで「蟲壷」と書いていました。「蠱毒」の「蠱」が変換できず、「むし」で変換してしまったのが敗因です。次の漢字はせめて「毒」にすれば良かったものを、蠱毒といえば壷、という連想で「蟲壷」……ちょっと広辞苑で頭を殴ってきます。何か変だな、とは思っていたのです……。




