仏像の夏 2010年8月15日 5
「それが一般的というか、普通なんですけどね。自分は無宗教だと言う人だって、わざわざ鳥居を壊したりしないし、たとえ想像であっても、もしそんなことをしたら<なんか、怖い>という気持ちを持つ。道端のお地蔵さんを拝まなくても、蹴ったりだとか、飾ってある花を荒らしたりしようだなんて思わない。それは何故か。あなたが言うように、<罰当たり>だと思うからですよ」
日本人なら、大なり小なり誰でも同じ感覚を持ってるはずです。
そう、店主は付け加えた。
そっかー、そうだよな。あんまり意識したことなかったけど、誰に強制されなくても、たいがいの日本人は神社仏閣神木神石お地蔵さんにわざわざ害をなそうなんて考えないよな。
「確かに……標準装備されてるかも、そういう感覚」
「標準装備って……まあ、そうですね」
一瞬吹き出しかけた店主は、俺に睨まれてゴホゴホ咳をして誤魔化した。
「外国に行っても、自分の国と同じように、そこに住む人たちの大切なものを尊重するのが我々日本人です。十字架を倒したり、コーラン焼いたり、古代人の遺跡を壊したり、そんなことしませんよ。だって、<なんか、怖い>し、<罰当たり>だと思うから」
そうですねぇ、確かに標準装備ですね、と店主は一人納得している。
「だけど、たまにそういう感覚の薄い日本人もいるし、元々そういう感覚を持たない国の人間もいます。――あなたの出会った男は、そういう感覚を持たない国の出身です。あの国には、<神>が存在しないと言われています」
「そんな国、あるんですか?」
驚いて、俺は訊ねた。信じる、信じないはともかくとして、「私は無神論者です」という人の国にも、<神様>ってあるんじゃないのか? 紛争真っ最中の土地でも、<神様>はいるよな? だって、彼らは<神>のために争ってるんだろ?
「あるんですよ、それが。<神>がいないから、畏れもない、祟りもない。目に見えないものは怖くない。尊いものなんてない。……価値があるのはただ金と権力のみ、そんな国がね」
「……」
俺は言葉を失った。本当に、何て言えばいいのか分からない。
「私はね、別に無宗教でも無神論者でもいいと思うんですよ。他人の大切なものを尊重する気持ちさえあれば。――それでも、何かを<畏れるこころ>を持たない人間を、私は信用しようとは思いませんがね」
そうでなければ、骨董屋なんて仕事、出来ませんよ、と静かな目で店内を見やりながら店主は言う。
「興味のない人からすれば、ここにあるものはただのガラクタにしか見えないでしょう。でも、これはただの<モノ>ではないんです。<モノ>扱いなんかしたら……多分、私の命は無いでしょうね」
「う……」
良く分からないけど、それは怖い。怖すぎる。
思わず固まってしまった俺に、店主はこともなげに言った。
「大丈夫です、ルールを守りさえすれば。<モノ>扱いはルール違反。だったら<モノ>扱いをしなければいい。ただそれだけのことです」
「……はぁ」
店主の言うことは難しくて、俺はようやっと気の抜けた相槌を打っただけだった。そんな俺を咎めるでもなく、店主は続ける。
「私はね、骨董品を商うということは、<縁結び>をすることだと思ってるんですよ。古い道具と、新しくそれを必要とする人との間のね。──長くこういう仕事をしていると、どの道具がどんな人と合うか、あるいは、どんな人にその道具が必要になるのか、分かってくるものなんです」
「勘、みたいなもんですか?」
「そうですねぇ……勘、というか、インスピレーション? ま、思い込みかもしれませんけどね。でも、私が<縁結び>した道具と人は、概ね上手くいっているようですよ」
──その人が<ルール違反>しないかぎりはね。
そう言って、店主は微笑った。
ルール違反……つまり、<モノ>扱いするってことか。でも、この慈恩堂の顧客になるような人は、そんなことしないような気がする。
なんか、分かってきた。あの男はつまり。
「俺の出合ったあの男は、盗んではいけないものを盗んだだけでなく、<ルール違反>までしてしまった。だから罰を受けてるんですね」
「そうです」
店主は頷く。
「盗んだ仏像を元の場所に戻し、心の底から反省して謝罪するまで、あの男は許してはもらえないでしょう。だけど」
ここで店主はにやりと笑った。
「当の仏像がそうさせてくれない。絶対に捕まらない隠れ鬼みたいに、男から逃げ回ってるんです」
えええええ~! 何だそれ、どういうこと?
今日は朝から出かけていて、帰ってきてから投稿しました。
明日も同じように出かける予定ですが、帰宅時間が読めないので、6を投稿するのは月曜になるかもしれません。




