仏像の夏 2010年8月15日 3
「……実はああ見えて、芸能界の人とか? じゃあ、あれってドキドキ☆カメラ?」
そのわりに、特殊警棒を構えた姿には物凄い殺気がこもってたように思うんだけど。それに、あの場にはカメラも見当たらなかったよなぁ? と首を捻ってると、店主が吹き出した。
ぶははははっ! って、店主。笑いすぎ。
なんか、腹抱えて笑ってるよ、この人。目に涙まで溜めて。
「ほ、ほんとに素直っていうか、……ちょっと天然すぎませんか?」
「天然て。そんな、呼吸困難になるまで笑わなくても……」
俺の抗議に、必死に笑いを収めようとしてるみたいなんだけど、一度笑うと止まらないタイプなのか、身悶えしながらも苦しそうに笑ってる。
大丈夫か?
もう、放っておこう。そう決めて、先に出してもらってた冷たい焙じ茶をすすってると、ようやく笑いの発作から立ち直ったらしく、店主は咳払いしてから口を開いた。
「あなた、<さまよえるオランダ人>って知ってますか? 何でも屋さん」
「は?」
いきなり何言い出すんだ、この人は。
<さまよえる>、って形容詞が付くと、俺に思い出せるのは<さまよえる湖>くらいしかないなぁ……ロプノール湖だっけ? 浪漫だよなぁ。オランダ人は、知らん。
「どうやら知らなさそうですね。顔を見れば分かるっていうか、顔に書いてあるっていうか」
また、ぷくく、と笑う店主。
ふん! どーせ分かりやすい顔してますよ! で、その<さまよえるオランダ人>がどうしたって?
「まあまあ、そう怒らないで。気分を害したなら謝りますから」
「別に怒ってないけど、そのオランダ人について説明してもらえると嬉しいかな、って思います」
うん。俺、オトナだし。この人は大切な顧客だし。
……だいたい、今日は仕事頼まれてもないのに、こっちの都合で押しかけてるんだから、ちゃんと話聞いてもらえるだけありがたいと思わなくちゃな。
俺は心の中で無理矢理自分を納得させると、首を傾げて見せることで店主を促した。
「うーん、そうですね……」
言いかけて、言葉を整理するようにしばし沈黙していたが、すぐに店主は話し始めた。
「とにかく、そのオランダ人はやってはいけないことをやったんですよ。それで神の怒りを買い、罰として彼は、船長をしていた帆船に乗ったまま、永遠に海をさまよい続けることになったんです。生と死の狭間に落ちて、その魂が救われることは未来永劫ない」
「……」
それは恐ろしい。だけど。
「その、海の浮遊霊とあの男に、どんな関係があるっていうんです?」
「ふ、浮遊霊って」
店主はまたツボに嵌ったらしく、必死に笑いをこらえてる。俺はついそれをじっとりと睨んでしまった。
「海のロマンが一気に吹っ飛んだ気がするけど、それはいいとしましょう」
俺を宥めるためか、まあまあ、と店主は涼しげな葛饅頭を勧めて来る。……饅頭に罪はない。俺はありがたくそれを頬張った。もちろん、視線は店主から外さなかったけどな。
「つまりね、あなたが出合ったという男も、やってはいけないことをやってしまったんです。侵すべきでないものを侵してしまい、現在進行形で罰を受けてるんですよ」
「え……」
俺は急に背中が寒くなった。胃の中にきっちり収めたはずの焙じ茶と葛饅頭が、鉛のようにずーんと重くなる。
「それって……俺が陸の浮遊霊に出合ったってことです、か? あれって、実は生きた人間じゃなかった、のか……」
神の怒りを買った末に永遠に海をさまよい続けるオランダ人と、俺が出合ったあの男は、イコールなんだろ? ってことは、俺、朝っぱらから、ギンギンに太陽が照りつけてるにもかかわらず、幽霊を見たってことに……
ひ~~~! 寒い。背中が寒い。あ、両腕に鳥肌が。
「ちょ、ちょっと! 何、いきなり唇が紫色になってるんです? 違います、あなたの見た男は、ちゃんと生きてますよ。生きてる人間です!」
店主が慌ててる。俺、そんなに酷い顔してる?




