夢の中 8
何か、あるのか? そう思ったとき。
ふっと遠くから──
……ピーポー ピーポー
ブウーン ヴーウウン
ピーポー ピーポー ピーポー……
救急車のサイレンの音。近づいてきたかと思ったら、このボロビル前の道を走り抜け、そのまま遠ざかっていった。どこかで熱中症患者が出たんだろうか。今日も暑いからな……。
それにしても居候め。やたらに宙を見つめてるから、虫でも飛んでるのかと思ったら。なんだ、あの音を聞きつけてたんだな。さすが猫、人間より耳がいい。
そんなことを思いながら、梅ジュースの残りを飲み干す。
沁みる。
「さて」
とりあえず、着替える前にシャワー浴びよう。今日はいつにもまして汗だくだ。
どうせまたすぐに汗かくけど、とにかく今はさっぱりしたい。あえて熱めのシャワーを浴びて、最後に水──といっても、ぬるま湯になってるけど──を浴びる。
はあ、まだ午前中なのに疲れた……。次は洗車の依頼だったな。
また、汗かいちゃうなあ。
野島さんちの車は、人気のあまり納車が順番待ちになっているというあの大型車だ。普段は自分で洗ってるけど、夏バテで動く気がせず、そういうときにかぎって、同じ車の購入を検討しているお友だちが遊びに来るついでに見せてほしいと言ってきて……まあ、ツヤツヤになってるとこ、見せたいよね。
何でも屋の洗車七つ道具を持ってきたし、慣れてるから洗うのにはそんなに時間はかからない。ワックス掛けがちょっとだけやっかいなんだ。野島さんが普段お使いのワックスは固形で、付属のスポンジを濡らして絞って中身を取るタイプ。車全体に水玉模様を描くように乗せて行って、乾いてから布で伸ばす。これに時間と手間が──。暑いし。
夏は、標準装備の帽子の内側を細工して、保冷剤を入れられるようにしてるし、首にも巻く保冷剤。完全武装なんだけど、暑いもんは暑い。車体を傷つけないようにやさしくワックスを伸ばすのを頑張っていると、息が上がってくる。あとちょっとだ。頑張れ、俺。背の高いルーフだって、七つ道具のうち、脚立があれば楽勝さ。
「あ、もう終わりそうですね、何でも屋さん」
お疲れさまです、と野島さんが声を掛けてくれる。
「はい。あともうちょっとここを……」
ルーフに広げた布に腹をあずけながら、俺は手を動かす。きれいに拭いたところを汚さないように、そこらへんは気をつけているのさ。
「おー……、さすが、いつもよりピカピカ……」
感嘆の声を背に脚立から降り、布を回収して、俺は作業の終わりを告げた。お代を頂き、領収書を書いていると、野島さんが聞いてくる。
「そういや何でも屋さんって、大金を拾ったんですって?」
「え? どうして知ってるんですか?」
確かに昨日、百万円拾ったけど。そんなこと言いふらすわけがない。今日は交番のお巡りさんにはしゃべったけど、話のついでだし。そのお巡りさんが一般人にしゃべるはずもない。
「近所の人が言ってた。良いなぁ、落とし主が現れなかったら、そのままもらえるんでしょ? でなくても、何割だったか、もらえる権利が──」
俺は「いやいや」と首を振りながら、領収書を渡す。
「落とし主さん、すぐ現れましたよ。そのお金銀行に入れないと、不渡り出すとこだったみたいで。昨日も天気良かったじゃないですか、炎天下であちこち探し回ったらしくて真っ赤な顔で汗だくで。熱中症カウントダウン残り1、みたいな感じでした」
「あー、想像できる」
落とし物見つからないのってそれだけでもストレスなのに、この暑さだとなおさらキツいよね、と野島さんは実感のこもった声で同情を示す。
「実は僕も、このあいだで出先で車のキーをね……」
「え、大丈夫だったんですか? ちゃんと出てきたんですよね?」
「出てくるまで大パニックですよ……無くしたら始末書ものだし、焦ったのなんの。あちこち探して、行ったり来たり、そのときの相手先にまで戻って探して。同情されて。汗なんて拭く間もなかったから、全身びっしょり。頭もぼーっとしてくるし、これはヤバいと思って自動販売機でスポドリ買おうとしたら──」
「……」
「財布にね、俺、社用車のキー、入れてたんですよ……」
野島さんは溜息を吐いた。
「ほら、自分の車はスマートキーだから、カバンとかに入れっぱなしでいいけど、会社のはそうじゃないから。うっかり落としたりしないようにって、大事に財布に入れたの、すっかり忘れてたんだ……」
同僚さんの一人がズボンのポケットに入れてて、落として紛失ってことがあったらしい。
「そいつ、すっかり出世街道から外れちゃいましてね。まあ、元からズボラなやつだったから、そんな街道走ってたかは知らないけど……落としたのは確かに本人が悪いけど、人の不幸をしつこく言いふらしてた同期の女の顔が浮かんで、あー、僕も同じように笑われたあげく、上司に睨まれるのかと思うと──」
そういうの、嫌ですよね、と言うと、本当にそうですよ、と野島さんはげんなりした顔でうなずいた。