夢の中 5
暗い、音のない世界に俺は立っていた。
遠くかすかに何かのざわめきのようものが伝わってくるけれど、
それは音にならなかった。
ふわり、ふわりと黒い靄に似たものがはためいている。
夜の海より暗く、真昼の影より黒いそれは、
冷たいでも、熱いでもない、ただ息苦しいほど濃密な闇だ。
不思議に心惹かれ、けれども恐ろしい──。
……
……
何かがのたうちながら這い寄ってくる。
黒くて、カタチの定まらない、タールのように粘ついた何か。
逃げたいのに、身体は凍り付いたように動かない。
名状しがたい動きで、伸び縮みを繰り返しソレは俺に近づいて来る──
目もないのに、口もないのに、視線を感じる。声が聞こえる。
何と言っているのかわからない。けれど聞こえる。
それは俺を呪ってる。
どうして?
俺が何をした? 一体お前に何をした?
思うけど、声に出来ない。
口があるのに、声が出ない。
目があるのに、何も見えない。
来るな……来るな!
思うのに、声が、声が、
声が──!
苦しくて、目が覚めた。
激しい動悸をなだめながら、息を吸い込んで、吐く。呼吸を、する。
「……」
俺、寝ながら息止めてた? 喉が酷く乾いて──口開けて寝てたのかなあ。
身体が動くことにほっとしながら起き上がる。パイプベッドの枕元、ベッドサイドテーブル代わりに置いてるカラーボックスの上の時計は、午前二時。
昨夜も目が覚めたのはこれくらいの時間だっけ……今日は寝返り打った拍子に身体の下に腕を巻き込んだりしてなかったけど、眠っているうちに体温がこもって暑くなったのかなぁ? 体感ではそんなことないんだけど……魘されて目が覚めるなんて、やっぱり暑くて寝心地悪いのかも。
エアコン入れたままのリビングとこの寝室の間に置いてる扇風機、タイマーが切れてる。トイレにでも行きがてら、もっかいスイッチ入れよう。
魘されたせいか若干寝るのが怖く、あっち向いたりこっち向いたり……なかなか次の眠りが訪れない。二日続きで魘されて、明日──いや、もう今日か。起床時間が来てもすっぱり起きられないような気がする。あー……でも身体休めないと。今日も暑いだろうし、朝からいつもの犬散歩が三件入ってるし……。
とにかく、タオルケット被って目をつぶっておこう。それだけでも疲れが取れるっていうし。頑張って眠れ、俺。今日のために。
目覚ましの音に飛び起きて、唸りながら時計を掴む。今朝は、ベルの音がやたらに頭に響く。
「……」
午前五時。早く起きないと、朝飯食う暇がなくなる。頭が重いなぁ……やっぱり寝不足はダメだな。今日は早めに布団に入ろう、そう思いながら着替える。それから、居候の餌──あれ? 朝はいつも態度で催促してくる三毛猫が、今朝はなんちゃって畳エリアで行儀よく座ってこっちを観察してるみたい。
まあ、いいや。ゴハンは入れといてやるよ。おっと、自動給餌機の中のカリカリ、まだ入ってるな。昼に俺が帰ってこれなくてもこれで食っとけよ。水も換えてやって──。
あ、顔洗ってない。屋上のプランター菜園にも水やらないと……焦るな、俺。ひとつずつやっていけば大丈夫。朝飯の暇がなくても、コンビニで何か買えばいい。大丈夫、俺は元気。
そう、俺は元気! ひと晩くらい眠りが浅くったってなんてことないさ!
犬散歩、一番手のグレートデンの伝さんは、今日はノーマルコースで我慢してもらうことにした。何となく身体が重くて、我ながら動きにキレがない。昨日は遠出したから、今日はごめんよ。そんなことを思っていたら通じたのか、伝さんは俺を見上げたかと思うと、ドシッと両の前足を胸に乗せ、その大きな桃色の舌で俺の頬っぺたをべろりと舐めてくれた。ちょ、伝さん俺コケる~! でも励ましてくれたのかな? ありがと、伝さん。
二番手はセントバーナードのナツコちゃん。ナツコちゃん、元気で元気で……うん、お散歩うれしいよね。でも跳ねるのはやめようか。ほら、車危ないって。はいはい、ご機嫌だね。お水飲むか?
三番手はシベリアンハスキーのミックス、ルイくん。彼は図体はでかいけどまだまだ仔犬で、好奇心が旺盛。気を取られると、すぐそっちに走ろうとするから抑えるのが大変。こら、ルイくん。お野良を追いかけちゃダメ。そんな隙間に入れないから潜ろうとするのは止めて。
三匹三様の個性があって、みんな良い。ただ、今朝は全員大型犬だから、体力が要った。
ルイくんを送り届けた後は、いったん事務所兼自宅に戻る。今日は汗が酷くて──。
銀杏並木の影を慕い、立ち止まって水筒の梅ジュースを飲む。あー、太陽が強烈に眩しい。
目を閉じて息を吐き、さあ、歩こうと足を踏み出そうとしたとき。
「あれ……?」
なんか見覚えのあるものを見つけた。アスファルトからコンクリートで区切られた土、そんな狭いスペースで頑張ってる銀杏の木の根元に。
「本……昨日と同じやつ?」