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鏡の中の萩の枝 14 終

え?


「どうやら、父親の病気が改善したようだ。良い薬が出たとかで」


怪しい笑みに、怪しい発言。


「ど、どういうことですか?」


落ち着いたとか、お父さんの病気が改善したとか、どうして断言できるのか。


「ふふ」


楽しげに、さらにご機嫌に。


「実はねぇ、私。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけね、この萩の鏡の世界を覗くことができるんですよ」


スタイリッシュ仙人が笑う。


「どうやってそんなこと……“鳥居”さんが鏡の中に戻って、あの世界は閉じちゃったんじゃないんですか?」


そういう話じゃなかったっけ? 鏡から転がり落ちた彼を、俺がその鏡を使って捕まえて(無自覚だったけど)。それで終わりのはずじゃあ? ──怪しい仙人のようなこのヒトのことだから、道具の中身が戻ったとかはわかるんだろうとは思ったけど……重さとか感覚? そういうもので。


何いってるの、このヒト? とか首を傾げていると。


「ねえ何でも屋さん。きみ、友人の書いた『井戸』を読んだって言ってましたねぇ?」


ニィッと、ディープな猫又の笑みを見せる。


「あ、はい。真久部さんが主人公のモデルだなんて知らなかったけど……」


じわっと膨らむ得体の知れなさに背中に汗をかく俺と、ついでに甥っ子真久部さんが突然の話題変更に戸惑っていると。


「主人公が牛の腹に井戸を作ってしまった場面。どう書いてあったか覚えてませんか?」


「ええっと……読んだのだいぶ前だから……」


そんなに細かく覚えてないけど、でも、確かにそこは重要なシーンだった。


「……主人公が転びかけて牛の腹に手をついたらそこに井戸が出来て、そんなつもりなかったから驚いて、とっさに中を覗き込んだんですよね。水面が鏡のようにキラキラ輝いて、見つめていると誰かの顔やどこかの景色が目まぐるしく映っては消えていく。だんだん自分がどこにいるのかわからなくなって目が回って……転んだ拍子に頭を打って、痛くて、自分は井戸の中にたくさんの別の景色を見たんだって気づいて──」


「あっ!」


怪訝そうな顔で俺の拙い説明を聞いていた甥っ子真久部さんが声を上げた。


「伯父さん、あなた……繋がっているんですね?」


彼の伯父は憎らしいくらい鮮やかにウィンクをきめた。


「そう、水鏡でね」


「……」


甥っ子真久部さんは言葉を失い、俺も声が出ず。

そんな二人を前に、猫妖怪の笑みが深まる。


「あいつが私を主人公のモデルにしたことで、私はあいつの小説の登場人物──というほどでもないが、準じる存在になったようでねぇ。小説世界、つまりあっちの世界に親和性があるようなんだ。だけど、意識してもほんの垣間見える程度だよ? 世界の間の表面張力は釣り合っているから、それくらいなら穴が開いたりすることもないしねぇ。──うん、お茶でも白湯でも大して変わらない。この瀬戸黒(黒い茶碗)はいいね、よく映る」


「……」


俺もつい自分の茶碗を見てしまった。黒釉は静かにお茶を湛えてあり、そこに俺の顔が映る。伯父さんの目には見えているのか、その向こうに──


「ああ、もしかしたら何でも屋さんにも見えるかもしれないよ? なにしろあの“鳥居”と縁を持ったんだし、って、イタッ!」


「ああー手が滑ったー」


棒読みの甥っ子真久部さんの手にはお菓子の紙箱が握られている。


「伯父の言うことは気にしないでください。小説のモデルになったからといって、こんなことが出来るのはこの人だけですからね!」


大丈夫です、と重ねて言い、もう一度手を滑らせた甥っ子真久部さんと、頭を押さえて大袈裟に痛がってみせつつ笑っているその伯父さんを俺はぼんやりと眺めていた。


「……」


今日は最初からやたらに伯父さんの機嫌が良かったのは、俺がここに駆けこんで来るより前に、茶碗の水鏡を通して“鳥居”が彼の世界に戻ったのを見ていたから。ご友人亡きあとの最大の懸念が解消したと、知っていたからなんだ──。


「……」


そんないらない理解を得て、俺はちゃぶ台に突っ伏した。

泣いてなんかいない。






──男はただ茫然として己が手を見つめたのだ。ほんの三日前までただ鍬を握り、縄を綯い、草を毟っていただけのごつごつした手。いかなる神の御業かは教会の神父ですら判ずることができずにいたが、この水不足に喘ぐ領地の、割れた石畳や荒れた畑の真ん中に井戸を作らしめたのは確かに彼のその手であったのだ。


だが、生き物になど。生きて動いているものにまでそんなことが。

何か神聖なものを侵すかのような異常さに男は慄いていた。


彼がさっき触ったはずの(こわ)い毛の感触はまだそこにある。目の前の牛はただ草を食んでいる、すべて世は事も無しと。そして、艶やかに陽光を弾くその黒毛の横腹には井戸が口を開けているのだ。横向きの筒だというのに奥にきらめく水は零れてはこない。


男は祈った。ただただ神に祈ったのだ。


そうして、自らが創りだした井戸の奥を男は覗き込んだ。豊かな水を湛えているその水面に現れたのは──


ここまでおつき合いいただき、ありがとうございました。どうしても最後の方が上手く書けず数ヶ月。たった2000文字の中で行ったり来たり……。


なんとなく、この話の中に登場したSFを記しておきます。


「トリフィド時代」ジョン・ウィンダム

「時をかける少女」筒井康隆

「星を継ぐ者」J・P・ホーガン

「タウ・ゼロ」ポール・アンダースン

※作者名敬称略

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□■□ 逃げる太陽シリーズ □■□
あっちの<俺>もこっちの<俺>も、元はみんな同じ<俺>。
『一年で一番長い日』本編。完結済み。関連続編有り。
『俺は名無しの何でも屋! ~日常のちょっとしたご不便、お困りごとを地味に解決します~(旧題:何でも屋の<俺>の四季)』慈恩堂以外の<俺>の日常。
― 新着の感想 ―
鏡の中の萩の枝、とっても面白かったです。 5年ぶりくらいにこの作品を読んでるんですが、やっぱり好きです。特に文章の醸す雰囲気が。何でも屋さんも、真久部さんも。これからも更新待ってます。
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