鏡の中の萩の枝 13
長らくお待たせして申し訳ありません。
12話の後書きで次で最終話と書きましたが、もう一話増えて全14話となりました。最後の付け足しをもう少し整えて、明日投稿します。
「白々しいですね」
甥っ子真久部さんの刺々しい声に、ハッと我に返る。
「僕は知りませんでしたよ、その存在が何であるのかを。だから、その知らなかった僕に鏡を持たせて“鳥居”のところに行かせればよかった。なのに教えてしまったのは、何でも屋さんを巻き込むためでしょう!」
「それこそ、言うまでもないことだよ」
悪戯っぽく伯父さんは片目をつぶってみせる。
「……っ、あなたという人は」
返す言葉も見つからない、そんな表情で甥っ子真久部さんは唇を震わせる。こんなふうに怒ってるこの人を見るのは珍しいけど、俺のために怒ってくれてるんだよな……。だから、ここは俺が聞いてみよう。
「真久部さんは……あ、伯父さんのほうですけど。なんだってそんなことをしたんですか? 俺を巻き込んだら面白いから、なんて言うなら、今後、伯父さんのほうの仕事はお断りするかもしれませんよ」
いや、ホントに。
「それは困るなぁ」
ちっとも困らなさそうに、白々しい意地悪仙人。
「何でも屋さんに行ってもらいたかった理由は、ちゃんとあるんですよ」
「……口から出まかせじゃないでしょうね?」
「もちろんさ」
本当に? そう思いながら黙って伯父さんを見つめていると、ふ、と息を吐いた。
「理由はね、何でも屋さんの性質があの“鳥居”の父親と似てると、そう思ったからだよ。もちろん、そのままではない。だけど、似てる。なんというか──」
言葉を探すように束の間口をつぐみ、ああ、やっぱり難しいね、と曖昧に笑んでみせる。
「上手く説明はできないけれど、長年あの友人の話を聞かされてきた私が言うんだから、信じてくれないかなぁ。欠けていたあの蝶の翅のようにさ、鏡の螺鈿のね。別の貝から削り出したというのに、色調が似ている──。私でも、この子でもない、何でも屋さんだからこそ、物語を波立たせることなく、あの鳥居を鏡の世界に連れ戻すことができた。そう私は考えているんですよ」
「真久部さん……」
いつもの意地悪仙人が、ただの普通の人のような顔になって感謝してくるから、俺はそれ以上何も言えなくなった。
「私はね、この鏡を“モンスター”にしたくはなかったのさ」
わずかに身動いで、問わず語りをする。
「さっき、何でも屋さんがそう言ったときは面白がってみせたけど、本当は驚いていたんですよ、あまりにも正鵠を射ているものだから」
何でも屋さんは時々鋭くてびっくりするよね、と甥に同意を求めつつ、応えを待つでもなく先を続ける。
「人の思念を受けて輝きを増す鏡。けれども、いくら輝いたって鏡は太陽にはなれない──。友人が言っていたが、宇宙の前には何も無かったと。ビッグバンでしたっけね、この宇宙はそれがあって生まれたと。
私たちの住む地球は、そのビッグバンから始まった宇宙に属している。万物はこの宇宙の法則の中で生まれ、滅び、死んでいく。そこから逃れることはできない。そんなふうには出来ていない。
なのに、この鏡は同じ宇宙に身を置きながらその理に外れ、身の“内”から“外”へ、つまりこの宇宙の中にまで枝を伸ばしつつあった。伸びて伸ばして、ただ伸びるだけの」
──意思のない空っぽのモンスター。世界を蝕むだけの怪物。
そう呟いて、伯父さんは溜息を吐いた。
「友人はそんなことを望まないはずです。自分の頭の中身が無節操に現実になるようなものだもの。あいつは小説家だ。どれほどの分かれ道、どれほどの枝葉があろうとも、そのうちのただ一つを選ぶ。選んで、ただ一つの結末に行きついてみせる。そうして出来上がったたった一つの物語を、作品としてこの世界に送り出していた。
……ああ、そうとも。確かにこの鏡は友人の世界の継承者かもしれない。だけど、友人のようにただ一つの枝だけ選ぶなどということはしないし、出来ない。そういう存在でしかない」
つまり、こいつは世の理だけでなく、友人の流儀からも外れることになるわけさ、と付け加え、手元の湯呑みに新しくお湯を注いだ。ひとしきり揺らしてから眼を細めて眺め、喉を潤すでもなく元の場所に戻す。
「とにもかくにも理は、そこから外れた怪物を許しはしない。世界を蝕まれるままにはしておかない。
枝と根の釣り合わない植物は枯れるしかありません。本体を、根をこの宇宙に置いたまま生長を続けようとしていた萩も、結局は根詰まりを起こして枯れてしまっていたはずです。それが理というものだから」
そうでなければ理は、この世界、この宇宙の秩序を保つことなどできない、と続ける。
「……理に触れた怪物の末路は、哀れなものですよ。昔、見たことがある──あれは、影よりも存在の薄い、ただの道具に成り果ていた。元の役目ですら果たせない、我楽多以下の、塵のような……。この鏡だってそうなれば、内に飼っていた宇宙を失うばかりか、表面は曇り、歪み……何かを映すこともできずに朽ち果てるしかないでしょう。それは、ただ割れてしまうよりも恐ろしいことだ──私は友人の遺した鏡を、そんなことにしたくなかったんですよ」
「……」
古い道具を愛し、人と道具との縁を大切にしているこの慈恩堂店主の伯父さんは、やっぱり同じものを大切にしていた──。いつもの人を揶揄うような軽さがなりを潜め、静かに語るその佇まいの中には、俺なんかが気圧されるほどの真摯さがある。甥っ子真久部さんすら息を呑む気配があった。
「ああ、今日は本当に良い日だ!」
それも一瞬。いつの間にかすっかり普段の胡散臭い笑みを取り戻し、声すらも明るくなっている。
「何でも屋さんのお蔭で、道具がひとつ助かり、私の心の憂いも晴れました。本当に有難いことです」
感謝しているんですよ、とわざとらしくも丁寧に頭を下げてみせる。それからニタッと唇の端を吊り上げてみせると、おかしなことを宣った。
「あの“鳥居”も、ようやく落ち着いたようですよ」