鏡の中の萩の枝 12
「知っているとダメなんて、どうして……」
「縛られるんだよ、それを知っている側も」
設定に縛られる、と伯父さんは言う。俺はわけがわからなくなった。
「……だって、こっちは現実世界の人間じゃないですか。小説の設定に縛られるなんて、おかしいでしょう?」
「アレがこっちの世界に転がり落ちたこと自体が、既におかしい。──さっき“穴”と言ったが、あの“鳥居”自体が“穴”なんですよ。知って、係わりを持ったら引っ張り込まれる……。そんな気がするんです。いや、勘、かな」
とはいえ、勘も馬鹿にしたものでもないんだよ、と伯父さんは真面目な顔をしてみせる。
「私はSFのことはわからないけれど、古道具のことなら知っている。特に**の育った道具の難しさは……この鏡は元の性が穏やかなせいか、**の育った道具にありがちな、ややこしい扱いを必要としていません。持っていても不幸になったりしないし、のぞき込んでも、ただそれを映し返すだけで、何の悪さをするわけでもない。──ただ、言ったでしょう? これは内に宇宙を飼っている」
そしてそれを愉しんでいる、と伯父さんは言う。
「内なる宇宙、その変化を。友人が脳内で創り上げてきた物語たちが発展していくのを。それらが互いに干渉しあい、新しい枝を生んでゆくのを。
どんな感じがするのかわからないが──なかなか心地良いものらしい」
「……」
超時空的なことになってるのかな……。なんかもう、本当にSFの世界だ。
「そういうところは、いかにも**の育った道具らしいけれど、でもねぇ。いかに宇宙を抱えていようと、この鏡自体はこの世界に存在しているんですよ。私たちのいるこの世界に。根はここにある。だからこの世界の理に縛られる。
コレは私たちの世界においてはただの媒介であり、境界であり、その向こうに縁があるのは私の友人だけでした。
友人は、萩の世界が自らの想念で出来ていることを、自覚することもなく識っていた。あちらとこちらが混ざり合うことはないと──混ざり合った結果が作品であり、それ以上でも以下でもないと識っていた」
もちろん、彼の登場人物たちは彼の頭の中にしかいないのだから、現実に会うなんてことは考えもしない。考えても、そういう妄想、あるいは設定であると理解していたはずと続ける。
「言うまでもないことだがね。だから、友人の死とともに萩の世界は閉じ、後にはただの鏡だけが残るはずだった。**は育っているけれど、ただそれだけのね。
だが、あの“鳥居”は、アクシデントとはいえあちらの世界からこちらの世界にやってきて、現実に存在してしまった。これがどういうことかわかりますか?」
「いえ……」
俺は力なく首を振った。──どこかに、そんな設定のSFがありそうだとか思うだけだ。
「萩の鏡は、理の縛めから外れる機会を得たんだよ」
「え?」
「“鳥居”という穴を通し、こちらの世界に枝を伸ばすことができるようになったと、つまりはそういうことさ。確かに、この鏡は**を持つ道具としては大人しい。だけど、望みが無いわけじゃない。植物の本懐は生長すること。機会があるなら枝を伸ばすよ。伸ばさないわけがない」
石を割る桜、コンクリートから生えた大根。条件さえあれば、植物は無茶と思えるような環境でも生長をするものでしょう、と伯父さんは例えてみせる。
……そういえば俺も、どうやってか電柱の支線カバー? ネズミ返し? のけっこう長い筒の中を伝って伸びて、毎年鮮やかな花を咲かせている凌霄花を知っている。
「“鳥居”の話はまだ完結していない。だから、伸び続ける枝に絡め取られてしまうんだよ。知っている者が彼と会って言葉を交わすだけで、“鳥居”の話の登場人物になってしまう。そして萩の枝の世界の住人に──ここらは私にも想像でしかないけれど、知らずに萩の枝を伝ってあちらの世界に行ってしまうか、それとも、あちらとこちらのあわいで、曖昧な存在になってしまうか……いずれにせよ、良いこととはいえないでしょう」
だから呪物と、私はこの鏡のことをそう言うんだよ、と続ける伯父さんに、俺は何も言えなくなった。というか、眼を開いたままフリーズしてしまっていたかもしれない。話が大きくなりすぎて、もうついていけない──。
長く間が空いてしまい、申しわけありません。
昨年末、調子を悪くしていた家の年寄りが身罷りまして……。やっぱり寂しいですね。
次回で、この話の最終話にしたいと思っています。