藤花の季節 5
諦めて、数字にしようかな、と思いつつ。
さすがにあと一話で終わりです。店主の真久部さん、このところ出番が無いので、最後だけちらっと出てもらおうかな、などとも思う、真夏の真昼。
舞い降りた白鷺は、地面近くの太めの根の上に留まろうとしたようだ。足が着くと同時に、中空に伸びていた蔓が撓り、別の蔓が浮き上がる。頭上から葉や花房が被さるのを嫌がってか、白鷺は再び飛び立とうとする。
細い足が、蔓に絡まった。身を捩ると別の蔓を引っ張り、また花房たちが被さってくる。白い翼にむらさきの花が映える。花は、そんなふうにして白鷺の白い体を飾ってゆく。葉と蔓が覆ってゆく。
藻掻く白鷺の動きに、しばらくは揺れていた花房たちだが、徐々に静かになり、今はもう動かない。ただ、時折の風に花をこぼすのみ──。
「猪でも、猿でも、兎でも、そんなふうにして皆、藤の森に捕らわれてしまうのだそうだ。一度足を踏み入れたら、もう逃げられない。藤の木は何もしないのに、その柔らかい葉や花に惹かれた動物たちが、勝手に絡まって死んでしまう」
一見、楽園のように見える藤の花畑、その葉陰には、数えきれないほどたくさんの動物たちの死骸が隠れているというよ、と伯父さんは続ける。
「そして腐り落ちた肉の隙間に蔓が伸びて、骨までも絡め取り、いつしか同化していくのだという。干からびた骨は朽ち、蔓に絞められて砕け、落ちた肉とともに土に返る。そこからまた新芽が芽吹き、花が咲き、楽園に加わる──」
「あの! 物々交換の話じゃなかったんですか?」
ひたすら気味の悪い話を聞かされて、現在ただ今、俺が精神的に懲らしめられている気分。俺、伯父さんに何か悪いことしたっけ?
「せっかちだねぇ、何でも屋さんは」
困ったような顔をつくり、伯父さんは言う。
「ものには順序というものがある。今の話は、いかにして私の求める呪物の、その大元が出来上がったのか、という説明なんだがなぁ……」
「じゅ、呪物?」
「そう。理不尽に命を落としたたくさんの動物たちの、焦り、怒り、苦しみ、恐怖。あらゆる負の感情。そこに蔓延る藤たちは、彼らの苦しみに関与するが、関知はしない。ただ、その全てを吸い上げて根を張り、蔓や葉を伸ばし、花に咲かせる──自然発生的な呪物になるのさ」
「……」
この世ならぬ場所にあるという、その呪いの藤の森は怖いと思うけど、自然発生なら仕方ない──うん、仕方ない。今はそれよりも。
「呪物が欲しいって、ど、どうして……?」
そっちのほうが怖いよ!
「もちろん、浮気者を懲らしめるための道具としてさ。──私には、何の力も無いからね?」
優男だからさ、と小首を傾げてみせる意地悪仙人のわざとらしい笑みに、嘘だ! と俺は心で叫んだ。いつも何か、怪しいことしたり、妖しいことしたりしてるじゃん、伯父さん! 不思議な力、持ってるの俺知ってるぞ。だいたい、今日はいつもの相棒、俺の苦手なあの鯉のループタイはどうしたんだよ? 怖いから指摘しなかったけどさぁ!
「……」
俺の無言の非難を、伯父さんは聞き取ったのだろうか。眼だけが楽しそうにきらめいている。
「残念ながら、鯉のアレはこういうことに向かないんだよ」
そんなふうに言う。
「アレはあんまり加減が出来ないからねぇ。意趣返しどころか、彼女の夫が廃人になってしまうかもしれないし」
丑の刻参りにヘビーユーズされた桜の木、その材から造らせたという一刀彫の、叔父さんお気に入りの鯉のループタイ。骨董古道具に育った、何か……俺にはいつもその<何か>が聞き取れないんだけど、良くない“気”だか性のようなもの、それを喰ってしまうので、店主の真久部さんからは蛇蝎のごとく嫌われている。喰われて無くなってしまうと、道具がただの我楽多になってしまうんだって。
鯉のアイツは貪欲で、人の心に巣食う良くない“気”も好む、らしい。負の情念に凝り固まっていたり、過剰な欲を持っていたりする人の“気”を、心ごと喰らってしまうことも──。
「……」
俺の反発のエネルギーが、しゅるんと小さくなるのを、面白そうに伯父さんは見ている。
「だから、アレ以外の別の道具が必要だったんだ。もっとマイルドで、継続的なもの、素人でも扱いやすいもの。それには、話に聞いていた藤の木が最適だと思ってさ」
昔、そこの道具が教えてくれたんだよ、と指さす先には、俺がこの店に出入りするずっと前からそこにあるらしい、何を模っているのかわからないどっしりとした木彫りの塊。特に気にしたことない道具だったけど、そう言われると意識してしまう……。
「生身の人間ではとうていたどり着けない、深い深い山の中に、不思議な藤の森があると。それは勝手に来ては勝手に死んだ動物たちの恨みで、ごく自然に呪物の性質を帯びていると。花でも葉でも、どこを使ってもいいが、根が一番強く、花が一番弱い、つまりマイルドらしいんだ」
そう言って、伯父さんは懐からジッ〇ロックの袋を取り出した。中に、紫色の藤の花房が入っている。とても瑞々しくて、まるでたった今、摘んできたばかりのように……。
「え……。真久部さん、まさかそこに行ってきたんですか?」
ドン引きつつも、俺は、この人ならば可能かも、と思ってしまう。
「いやいや、私だってさすがに、どことも知れない場所には行けないよ。生者には足を踏み入れることのできないところだというし。一応、何でも屋さんもよく知る、例のラーメン屋の亭主にも聞いてみたけど、そんな場所は知らないと言われたよ」