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藤花の季節 1

書くのが遅いので、やめておこうかな……と思った話ですが、やっぱり書きたくて書き始めました。


『五月の雨と竜の鈴』を忘れているわけではありませんが、もう少しリハビリしないと書けなさそうです。楽しみにしてくださっている方、すみません。がんばります。


※2021年8月31日 〇編(前編とか)としていたのを数字にするついでに、少々加筆修正していきます。話の流れに変更はありません。

ふわふわ、ふわふわ。頭がふわふわ。


温かい湯に浸かり、ふっと目を閉じてしまったときのような、抗いがたい心地よさ。眠るつもりじゃないのに、眠っちゃいけないのに……ゆめとうつつが遠くなったり近くなったり──。



 

──今の時季になると、山中(やまじゅう)むらさきで、それが藤で。ぜんぶ藤の花で




藤の花……?




──ああ……他の季節だと、気配も見えないのにね。確かに、山を覆う勢いだ


 ──あれは蔓だから、巻きついた木を締めて、締め殺して立ち上がって


──ほう


 ──根も伸びる、うねくりあってさ、好き勝手にどこまでも這うように伸びて


──ほほう。


 ──どれがどの木ともわからない。まるでひと元の大樹のようだ


──そこには藤しか生えていないのかい?


 ──ああ。蔓も根も絡まり合って、締めあって、その伸びようがまるで掴みあいみたいで


──それではさぞかし歩きにくかろう


 ──生者の足を踏み入れるようなところじゃないよ


──だろうなぁ




え……なに? 何の話……?




 ──このあいだ、鹿が迷い込んで来てね


──ほう、鹿が


 ──この時期の葉も花も、柔らかくて美味いらしくて

  

──ほうほう


 ──進めば進むほど、蔓と根に四方八方から足を取られ、角を絡め取られて


──それは恐ろしい


 ──頭を振って蔓を千切っても、撓ってた別の蔓が突き出てくる。立ち往生さ


──なんと、なんと


 ──何も殺そうとはしてないんだ。勝手に絡まって死んでしまう




……どこかで、水のしたたる音がする。明るい緑に染められて、ひんやりと湿った山の空気。


四月も末、八重桜も葉桜に変わる頃。人里から遠く離れたそこは一面むらさきに見えて、何か良い匂いが……ああ、あれは藤の花じゃないか。見渡す限り藤で、藤の花で、世界は藤の花で出来ているかのようで……。


きれいだなぁ……。桃源郷っていうのかな? いや、()源郷?


あれ? 大きな鹿がやってきた。角が立派だから雄の鹿だ。むしむしと藤の若い葉や花を食べて……ああ、本当に美味そうだ。美味いからもっと食べたくて、どんどん奥へ……。


ふわり、と藤の香りが包み込んでくる。


あ、角が藤の蔓に引っかかった。鬱陶しげに鹿は頭を振る。蔓が少し緩む。目の前に藤の花房、鹿はまたそれを食む。あれ、今度は根に前足を取られた。進むことでそれをほどこうとするけど、角がまた蔓に引っかかる。他の足にも絡む。根も絡む。


藤の芳香が濃くなる。


暴れるけれど、新たに蔓を引っかけるばかりで。角も四本の足も節くれだった蔓や根に絡まれてがんじがらめ。苦し気に口を開けるけど、鳴き声は聞こえない。鹿が身動きするたび、藤の花房が揺れて。揺れて、鹿の体に藤の花が被さって覆って、覆われて、覆い尽くされて。


後には、ただ噎せかえるほどの芳香が漂うばかり──。




「……っ!」


荒い息を吐きながら、俺は必死で目を開けた。さっきまでそこに広がっていた、あの紫に染まった世界はどこへ……? 


目の前には、磨き込まれた古い和机、これは古道具屋慈恩堂の帳場(レジ)。その天板に突っ伏して、俺は居眠りしていたらしい。


そうと分かっても、夢の余韻が俺を苛む。藤の蔓が、花房が、ぎっしりと身体に絡みついて、囚われて身動きできずにいると、ひんやりとしたあの紫色の花房が、俺の口や鼻を塞いできて、吐息すら押し込められて──。


「おや、起きたのかい、何でも屋さん」


のんびりとした声に呼ばれて、俺は飛び上がった、ら、天板の裏に嫌というほど膝をぶつけてしまった。


「いってぇ……!」


思わず呻くと、楽しそうな笑い声が聞こえる。


「ああ、気をつけないと。怪我でもしたら大変だ」


大丈夫かい、と心にもない言葉とともに、この(慈恩堂)の店主よりも数段胡散臭い笑みを向けてくるのは、真っ白い髪に髭、真っ白い眉をした、怪しい仙人みたいな──。


「真久部さん……」


というか、真久部の伯父さん。


「いつから、いらしてたんですか?!」


びっくりして、挨拶もすっ飛ばしてついそんなことを口走ってしまった。本日の何でも屋お仕事メニュー、<店番>依頼にあたり、俺、あなたの甥っ子である店主の真久部さんから聞いてないよ、あなたが来るなんて。


「何でも屋さんが居眠りしてるあいだ、かなぁ?」


にやにやと、揶揄うような笑み。うっ、それを言われると……。


「すみません、つい、うとうとしちゃって……」


いくら客が来ないからといっても、店番失格だよなぁ。店主の真久部さんは「気にしなくていいですよ」と言ってくれるけど、いやしくも一人前の社会人、プロの何でも屋として、これはいただけない。──でも、ここの店番してると、いつもどうしてか眠くなって困るんだ。だいたいは何とか堪えてるんだけど、意識しないうちに眠ってしまっていることも……。


「いいんだよ。この店では、何でも屋さんはそれで。あの子もそう言ってるだろう?」


「ええ、まあ……」


だからといって、はい、そうですかと眠るわけにもいかないよ、まともな神経してたらさ。なのに俺、何で居眠りを──。


「前にあの子がバイトを雇ったときには、誰もいないし客も来ないからと、堂々と居眠りしていたようだがねぇ」


「そ、そうなんですか……?」


タチ悪いとは思うけど、店番さえいれば店を開けてはいられるから、そんなんでも良かったのかな? 真久部さん。確かにここ(慈恩堂)は滅多に客が来ないけど、もし来たらさすがに接客くらいはするだろうから、店主の留守中だけなら勤まらなくもなかったのかも……。


「だけどそのバイト、()()()()()何をしたのやら、道具たちに嫌われたらしくてねぇ、さんざん怖い思いをさせられて、半日も経たずに逃げ出して行方知れずだよ」


行方知れずといっても、連絡が取れなくなったというだけのことだが、とにたりと笑う。

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□■□ 逃げる太陽シリーズ □■□
あっちの<俺>もこっちの<俺>も、元はみんな同じ<俺>。
『一年で一番長い日』本編。完結済み。関連続編有り。
『俺は名無しの何でも屋! ~日常のちょっとしたご不便、お困りごとを地味に解決します~(旧題:何でも屋の<俺>の四季)』慈恩堂以外の<俺>の日常。
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