五月の雨と竜の鈴 11
「結界、ですか──?」
そう言われても、俺、覚えがないんだけど……。お寺とか神社にあるような、竹でできた通せんぼするようなやつ、ああいうのを結界って呼ぶのは知ってる。けど、真久部さんが言ってるのは、そういうんじゃないんだろうなぁ。
「あちらとこちらを別けるもの──暖簾もそうだと、以前お話ししたことがあると思いますが」
「あ……」
視線で示されて、俺はこの帳場のある畳部屋の、鴨居に張り巡らされた目立たない暖簾に眼を向けた。頑丈そうな木綿で出来た、小さな四角い布をいくつも繋いだ形状のそれは、店とこの畳部屋を隔てる結界だとそういえば前に教わったっけ……。
暖簾といえば、商店街の蕎麦屋『二八』みたいに屋号を染め抜いたやつとか、居酒屋お屯の縄暖簾だとか、ここの台所側の戸口にあるような、目の前に垂れ下がる目隠し的な布しか普段は意識しないから、すっかり忘れてた。
「そういえば──、いつかの、お、怨霊、的な人も、このエリアには入れなかったですね」
今も店の隅にひっそりとある、寄せ木細工のオルゴールにまつわ……ってほしくなかった怪異。いつもは<見ない見えない聞こえない>してる俺だけど、アレだけは露骨すぎて、気のせいにも気の迷いにもさせてもらえなかったよ……。
つい遠い目になってしまった俺に、真久部さんはうなずいた。
「ええ。確かそのときにお話ししたんじゃなかったかな。あのとき、瘴気は漏れてしまったけれど、本体は防いでいたでしょ?」
「そう、だったみたいですね……」
怖かったけどな。
「もっとわかりやすいのは──そうだねぇ、竜田さんのお願いで遠出していただいた、いつかの祠掃除のときのことを思い出してみてください。飛び入りの佐保青年のせいで危ない目に遭いかけはしたけれど、あの四つの祠を結んだライン、それは、内側に入った人を良くないモノから守ってくれる、紛れもない結界でした」
「そうでしたね……」
怖かったけどな。
「何より、何でも屋さん自身の在り方が良い。本来怖くもないものを、徒に怖いものだと思いたがらないし、おかしなものを見たと思ってもさらっとスルーできるでしょ? ──うちでそうしているように」
「……」
<見ない見えない聞こえない。すべては気のせい気の迷い>。それは、俺がこの店で仕事をするときのために編み出した、苦肉の策の心得だ。
掛け軸の中の仙人っぽい老人と談笑してる、身体が虎で顔が人の姿をした神獣に「こっちにきて蟠桃の実でも食べないか?」なんて誘われたような気がしたり、通路の暗がりからかすかに祭囃子の音が聞こえたりしたような気がしても、血まみれ怨霊やコンキンさんのように害を感じられないものを、いちいち怖がったり気にしたりしてちゃやっていられない──。
「怖いと思うから怖い、んじゃないかなー、なんて」
あはは、と笑ってごまかしておく。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」って言葉があるけど、それはそういうものだと信じていればいいと思うんだ。正体もなにも、元から枯れ尾花なんだってね。そう、たとえ、恐ろしげな化け物がいきなり出現したように見えたとしても、その正体は何てことはない、両手の指を組んで作っただけの、ただの影絵だったりするんだよ。
──枯れ尾花のふりした幽霊もいるかも、とか、考えちゃいけない。特に、この慈恩堂では。
そんな俺の、自分で自分に目晦ましをかけるみたいな、なんとも微妙で繊細な心の裡を知ってか知らずか。
「ええ、本当にそのとおり」
真久部さんは眼だけでちらりと微笑む。
「何故ならね、何でも屋さん。そういった気持ちの持ちようが身を守る、つまり、その心構えが既に、結界の役割を果たしているんだよ。きみはその心の結界で、ほとんどの怪しのものを寄せ付けないでいる──」
「……」
ほ、誉められてるのかな? なんか顔が引き攣る、じゃなくて、照れるなぁ。あはは。でも、きっとそれだって気のせいだよ、真久部さん。そうに決まってる。怪しのものなんてさ、ただの想像の産物なんだ、足元の自分の影に怯えるみたいなもので──。
「想像力は、時に人を殺すほどの力を持つ」
「へ?」
微笑んだままの唇から、ひょいっとそんな言葉が飛び出してきて、俺は変な声を上げていた。頭の中で捏ねくり回している誰に対してかわからない言い訳に、思わぬところから返事が返ってきたみたいで、虚を衝かれたような気持ちになる。
「──好奇心は猫をも殺す、じゃなくて?」
注意しないとわからないレベルの、黒褐色と榛色不思議なオッドアイをまじまじと見つめると、真久部さんはちょっとだけ苦笑をしたようだった。
「そうと信じる気持ちが、ときにそういう力を持つ、と言い換えてもいいよ」
「信じる気持ち、ですか……」
「催眠術のショーで、見たことがないですか? ──あなたはだんだん眠くなる~」
急に真顔でそんなこと言うから、うっかり笑ってしまう。
「あれって本当に眠くなるそうですね、かかってしまうと」
「そう。身体がひとりでに揺れる、と言われれば勝手に揺れるし、芋虫みたいに転がる、と言われれば、本当に転がってしまう」
「そうそう!」
大学時代、一般教養の心理学、第一回めの講義。担当教授が最初の掴みとばかりに、最前列にいた学生を相手に、催眠術を披露してくれことを思い出した。ちょっとパリピな感じの学生が、教授の言うまま片足立ちをしたり、後ろ歩きしたり、その場に金縛りになったり、歌ったりしてた。
本人も、その場の全員大ウケで、みんな俄然心理学に興味を持ったけど、催眠術はその一回だけで、あとはどんなに学生が頼んでも、二度と見せてはもらえなかったっけ。だから、つまらないと顔を見せなくなった学生や、出て来ても寝てる学生がほとんどになってしまったけど、熱心に講義を聴く学生たちもいた。俺? 俺はまあ、ちゃんと聴いてたよ。単位を落とすわけにいかなかったし。
「暗示とは、想像力を刺激するもの……ある意味、増幅させるようなものです。身体が揺れたら? 転んだら? そう考えた時点で既に術中にはまっている。『これは灼けた鉄の棒だ、とても熱い。それを今からあなたの背中に押し付ける』と言われ、実際背中に当てられたのはただのスプーン。なのに、その部分の皮膚が火傷をしたように赤くなる、ということまである。暗示を掛けられた本人の想像力がそれをするんだよ、自分で自分を火傷させる」
「……」
暗示と想像力の関係は、ある意味、火と油のようなもの──。そんな言葉を聞きながら、俺はあのちょっと退屈だけど、興味深いと言えば興味深かった講義のことを考えていた。教授は、専門家だからこそそういう危険物の取り扱いについて慎重だったんじゃないだろうか。
もう内容はすっかり忘れてしまったけど、「心というものに、形は無い。その形の無いものが身体を支配している。その意味について考えてほしい」という、最後の講義の最後の言葉が頭を過った。