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五月の雨と竜の鈴 7

※2019年7月24日推敲。2103文字→2181文字 話の流れに変わりはありません。

気力と体力を、保っているのが難しい。惰性で足を前に出し続ける。敷石に躓かないでいるのが奇跡だと、頭の隅でぼんやり思う。


逃げ場なく、道を行くしかない俺を、じわじわと嬲るように尼はついてくる。追ってくる、御経擬きの呪言を詠誦(えいしょう)しながら。手に持った小さな鈴の音だけが、今の俺にとっての光だ。思うようにならない指先を懸命に動かし、あえかな音がちりん、と鳴るときだけ、ふわっと意識がしっかりして周囲が見える。


両側に続いていた丈高い草が、来るときに通ってきた樹高の低い木々に変わった。鉈ででも払わなければとうてい歩けないほど枝が密集しているのに、この世のものではない尼には関係ないんだろう、ただじっとりと俺を睨みながらついてくる。


ちり、また鈴を鳴らすことができた。忌々しそうな尼だが、俺がもう限界に近いのがわかっているんだろう、牙剥き出しに吠え猛る犬さながらの醜い表情をさらに歪め、厭らしい嗤いの形にしようとしている。人を追い詰め、いたぶり、絶望させるのが何よりの愉しみだとでもいうように。


 ちゃりん しり……ん


「……ぁ」


力の入らない指先から、鈴のついたキーホルダーが鍵ごと落ちた。土から浮き出した敷石の縁に当たって、最後の音を響かせる。


ニヤァ、と尼が分厚い唇を歪めた。勝利を確信したような笑み。異様に膨らむ白目と、きょろりきょろり、小狡そうに動く小さな黒目──。


空がさぁっと翳って、太陽が隠れる。さっきまでの輝きが嘘のように、視界のすべてが一瞬で色褪せる。


「……──」


動く黒目がきろきろと、舐めまわすように見つめてくる。白目が睨みつけてくる、真正面からいつの間に。恐怖に硬直してしまった俺を嘲笑い、面白がるように、きろりと黒目が動く。ぬろりと白目が()めつける。


「……っ」


鈍色(にびいろ)の雲のあいだから、細い雨が降ってきた。山で、無防備に雨に濡れる。それは死に直結しかねないことだ。頬に、うなじに雨粒が当たる。そのたびに、竦んだままの身体が冷えていく。視界いっぱいに広がる、醜怪な尼の白目と小さな黒目。俺もこれでお終いなのか、そう思ったとき。



 しゃらーん しゃらーん

  しりりりーん



鈴の音。



  しりりーん しゃららーん

 しゃらららーん



幾千幾万もの小さな鈴が、いっせいに鳴りだしたかのように。



  しゃららーん しりりーん

   しりりりーん りーん



雨が、幾重にも重なり合う緑の葉を叩く。銀色の細い糸が天と地とを繋ぎ、低く連なる森の枝葉を揺らしていく。耳に沁みいるような、その音。聞くともなしにただ感じていると、尼の悔しそうな白目が視界のどこかで一瞬だけひらめいて、そのまま消え失せた。



  しりーん しゃらーん

   りーん しりーん しりぃーん



なんてきれいな音だろう。



  りーん しゃらーん りぃぃーん しゃーん しゃらーん

   しゃん しゃらん……



気づけば、雨は止んでいた。雲は遠くに引いてゆき、腰高くらいの不思議な森は、眩い陽の光に満たされている。名残のしずくに飾られた蜘蛛の巣たちが、きらきらと輝きながら深い緑の木々を彩っている。


放心し、ふとかえり見すれば、鮮やかな五色の虹が遠くの山と山を繋いでいるのが見えた。














──尼入道。


それは嫌われ者の比丘尼の成れの果てだと、真久部さんは言った。

いつもの慈恩堂、古時計たちが好き勝手に時を刻む店内で。


 

 ……タ……タ……タ……

 タット……タット……タット……

 チ……ッ……チ……ッ……



……今日のあいつらは、なんだか大人しい。いつもはもっと自己主張が激しいのに。


「成れの果てというか、妖怪ですね。この世への執着が過ぎて、地獄へも極楽へも行けずにさ迷っているというか──」


店主である真久部さんも大人しい。というか、元気がない。珍しく落ち込んでいるようだ。


「僕の見識の浅さで、何でも屋さんを危険な目に遭わせてしまって……申しわけありません」


「いや、あの……」


ええと。何て言ったらいいのかな。今回、めちゃめちゃ怖い思いはしたけど、そんなんこの人のせいじゃないしさぁ。


「昨日、五十川さんから電話で話を聞いたとき、思わず受話器を取り落としそうになりましたよ──。大鈴が、壊れてしまったんだって?」


「えっと……」


俺は、帳場(レジ)にある古めかしい黒電話に眼をやった。ここではいまだ現役の、あの重たい受話器をうっかり落としたら、机の天板がへっこんでしまうんじゃないだろうか──そんなことを思いつつ、なんとか言葉を探す。


「いや、それは俺のミスというか……」


常日ごろ、怖い話を小出しにし、びびる俺の反応を愉しむようなところのあるこの人が、こんなふうに萎れていると、何故だか罪悪感に似た後ろめたさがこみあげてくる。


「氏神神社への細道の入り口で、落としてしまって、ですね──」


そんで、拾ったつもりで、何でか似たような大きさの石をポケットに入れてたんだよな。


「行って、とにかく戻ってきたら、そこに転がってたんです。落っことしただけで、わざと石に叩きつけたりしたわけでもないのに、どうしてかひしゃげてたのが五十川さんに申しわけなくて……預かりものだったのに」


あれってさ、ちょっと重いなーと思ってたら、実は銀製だったらしいよ。


「本当は一昨日帰ってすぐ、五十川さんに報告と謝罪をしたかったんですが、時間的に無理で。ただ、御札のことだけは──無事納めましたと、病院の時間外受付の人に伝言をお願いしましたけど」


無事納められたかどうか、気が気でなかっただろうからなぁ……。


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□■□ 逃げる太陽シリーズ □■□
あっちの<俺>もこっちの<俺>も、元はみんな同じ<俺>。
『一年で一番長い日』本編。完結済み。関連続編有り。
『俺は名無しの何でも屋! ~日常のちょっとしたご不便、お困りごとを地味に解決します~(旧題:何でも屋の<俺>の四季)』慈恩堂以外の<俺>の日常。
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