五月の雨と竜の鈴 3
※2019年7月20日推敲。2142文字→2185文字 話の流れは変わりません。
何故なら、最強なのは七年間だけで、八年目になると最凶になるんだってさ。──なんか怖いけど、そういう決まりらしい。この神社の神様との、それが約束なんだって。
昔から「七つまでは神の内」っていうけど、そんな言葉ができたのは、乳幼児の死亡率が今よりずっと高かったからだ。だけど、そんな時代でも、ここの御札にはすごいご利益があったんだって。御札を頂いた子は、必ず生き延びて元気にその年を迎えたっていうんだから。
ただ、御札を粗末に扱ったり、八つになるまでにここの神様に返さなかったりした場合は、それまでその子がどんなに元気でいても、嘘のようにころりと死んでしまったそうだ。それはたまたま偶然のことだったのかもしれないけれど、子供を死なせてしまった親たちの中には、「あれは子取りの神様だ」なんて言う人もあったのだという。
七つまでは養うけれど、七つ過ぎれば人になる。人になるのを待って喰ってしまうのだとか、何とか。御札はその目印で、粗末に扱ったりしたらそれはそれでその子は氏神様の「神の内」でなくなるから、やっぱり喰われてしまうのだとか。
だけど、決まり通りにした親の子供はやっぱり元気に育つから、誰もそんな訴えを取り合わなかったらしい。この神社の神様は優しいけれど、約束を守らない者には厳しい。それだけの話だと。
厳しいのはともかく、今と昔では数えたり数えなかったりで年齢の概念が違うから、そこのところはどうなってるんだろう、とふと疑問に思ったので五十川さんに聞いてみると、そこは時代に連れて変わっているのだという。社会的にこの子は七つと認められる年齢が、その子の七つでいいんだって。
昔は生まれていきなり一歳、次の正月が来たら二歳とする習わしだったから、極端な場合は年末大晦日に生まれても、翌日元日にはもう二歳だったりしたけど、今は満年齢が採用されていて、生まれて七年めの誕生日がその子の七歳になるから、それでいいということなんだ。
どうして「それでいい」とわかったのかというと、その頃になると、子供の親が我が子の数え年七つで御札を納めても、満年齢七つ、数え年九つで御札を納めても、何も悪いことが起こらなくなったから。
その頃というのは、国が満年齢の概念を取り入れ、それに倣うよう国民にも知らしめ、推奨し、さらには義務付け、国民全体に数え年よりも満年齢のほうが浸透してきた頃。だから、満年齢で我が子の年を数えていた親は、親族などに指摘されて真っ青になって御札を返しに行ったけれど、そのあいだも子供は変わらず元気に育っていたんだって。
だから今では、数え年過ぎても大丈夫になったということなんだ。それでも、満年齢の七つを過ぎて満八歳になるまでに御札を納めて返さないと、やっぱり悪いことが起こるらしい。
数え年七歳で御札を納めても、それはそれで氏神様は良しとしてくれている──、ということで、何だかわけがわからなくなってきたから、思わず今回の仕事を仲介してくれた古美術雑貨取扱店慈恩堂の店主、真久部さんにたずねてみると。
『神様だって、時代にフレキシブルに対応してくれているんでしょうね』
いつもの読めない笑みで、そう答えてくれた。
『もちろん、人の都合に合わせるばかりではなくて、あくまで決まりごとの枠は崩さずに。この場合の枠は、御札を頂いた子供の年です。七歳になったなら、それが数え年でも満年齢でもいい。数え年七歳で御札を納めても納めなくても、それは決まりごとの範囲。ただし、最長である満年齢の七歳、それを越えて八歳になるまで放置してはいけない。その前に必ず納めて返しなさいと、そういうことなんでしょう──』
地味ながらも男前、よく見ると左右で瞳の色が違うあの人が、柔らかい声で『神様との約束はきちんと守らないとね』と、悪戯っぽくも歌うように。
『御札ごとき、と舐めてかかるとしっぺ返しに遭うこともある、ということです。そこらへん、鷹揚な神様も多いけれど、五十川さんの故郷の氏神様の子護りの御札は、御加護の力が強いぶんけじめが必要で、氏神様も甘い顔はできないし、人の側もそれを守らないと悪い返しが来るんでしょう』
……御加護の力かぁ。御札を頂いて、ちゃんとお祀りして、子が七歳になったらきちんと御札を納めた親の子供は、それからも恙なく成長することのほうが多かったから、噂を聞いた近隣の村からも、御札をもらいに来る人がそれなりにいたって話を、五十川さんからも聞いた。
だから、「あそこの氏神様の子護りの御札は、よほど強い力を持っているんでしょうね」とうなずいた俺に真久部さんたら。
『ええ。よく効く薬みたいですよね? でも、薬と同じように、ときに劇薬にもなるんだよ。扱いを間違うと、命を落とすというところもほら、おんなじ』
てなこと言って、びびらせにかかってくれた。
『ほら、狭心症の薬のニトログリセリンなんて爆薬ですし、猛毒植物のジギタリスだって昔は心臓の薬として使われてましたし。片や爆発物、片や毒薬。それを良いものにするのも、悪いものにするのも人間次第ということで。何でも屋さんならそんなこと、言わなくてもわかると思いますけど』
にーっこり。
信用していますよと、いつものあの、古い猫みたいな怪しい笑みで。
「……」
思い出すと、何だか背中が寒い。まあ、もう御札も納めたし、真久部さんもからかってるだけだし。もう忘れとこ。