五月の雨と竜の鈴 2
※2019年7月20日推敲。2211文字→2344文字。話の流れに変わりはありませんが、男系女系がこんがらかっていたのを直しました。五十川さんは女性。息子さん夫婦ではなく、娘さん夫婦。
不規則に敷かれた石にうっかり足を取られそうになりながらも、しばらく歩く。と、周囲の様子が少し変わった。相変わらずの森ではあるんだけど、何故かそのあたりだけ樹高が低く、せいぜい俺の腰くらいの高さ。厚めの葉っぱが濃いめの緑を連ねていて、ちょっと不思議な光景。
何でここだけ他と木の高さが違うんだろう? とは思うも、道が隠れてないならいいや、とそっちに意識を向け、小枝を踏み、枯葉を踏み、しるべの石を辿る。陽射しが眩しい。
緑の葉のてっぺんを吹き渡る風が少しだけ強く、うなじに当たる直射日光の熱さを和らげてくれる。波のようにざわめく低い樹木たち、葉擦れの音。視界に入った小さな影に、ちらりと眼だけ上げてみると、何かの鳥が、気流を上手く使ってあまり羽ばたくことなく滑空しているところだった。気持ちよさそうだなぁ……。
「『飛び立ちかねつ鳥にしあらねば』、なーんて」
そこしか覚えていない何かの和歌の一節を呟いて、俺は地道に細道を行く。──鳥だってそんなに自由でもない、空には風の道がある……これは誰の言葉だったっけ? ああ……あの授業の時の古文の先生だ。当時はふーん、って聞いてただけだけど、オッサンになった今はわかるよ、人も鳥も柵だらけだ。
柵。理。何かの決まり。時により、所により、様々に。窮屈だけど、面倒だけど、それがなければ物事は成り立たないし、人は暮らしていけないのだと、先生は言っていた。「決まりなんてなくたって、生きていくことはできるじゃん」なんて、ちょっと生意気な同級生が口答えしてたけど、「もし、この世に物理の法則がなければ、どうなるね?」逆にそうたずねられて、後に理系の大学に進んだそいつは黙ってしまったんだった。
ホーホケキョ
ケキョ ホーケキョ
はっ! いかんいかん、歩くのが単純作業になっていた。それでもいいけど、ぼーっとしてるのはダメだ。山は異界なんだから(某古道具屋主人・談)、もっと周囲に気をつけないと。さっきも転んだしさぁ、足元からマムシが出たりなんかするかもしれないし。
あと、蜂とか、虻とか、ダニとかヒルとか──。対策はしてるけど、今だってべしゃっと蜘蛛の巣にはかかってしまった。そう、現実とはこんなもの。やっぱり多少は緊張してないとな。
細いのにやたら存在感のある糸を払うと、迷惑そうに親玉が逃げていく。ごめんよ、蜘蛛。帰りも通るから、同じところに巣をかけるのは明日にしてもらえるとうれしいな。
「ふぅ……」
この道に入ってから、かれこれもう三十分にはなると思うけど──、と足元から前方に視線を向けると、樹高が通常の木々と同じに戻った、さらにその先に道は続いているようだ。神社はたぶんあの杜の中なんだろう、鳥居らしきものがちらりと枝のあいだから見えた。
「よし!」
足元見つつ、周囲に注意を怠りなく。獣道よりはずっとマシな、でもごつごつ歩きにくい道もそうやって歩いていれば、やれやれ、ようやく目的地に到着だ。
鳥居は小さなもので、赤い丹の色がだいぶん剥げている。その奥に、鳥居のわりに大きいお社。まあ、こんな山の、無人の神社なんで、境内だって周りとおんなじ草ぼうぼうだ。草引きは頼まれてないけど、参道にあたる真ん中あたりだけ、申しわけ程度に引いておいた。お社の正面を塞ぐように生えてるのは、もう少しだけ丁寧に引いて、毟って。
社の前にある、石の供物台、っていうのかな? それを持ってきたタオルで拭いて払ってきれいにして、ようやくここに来た目的を果たす。自主的に持ってきたワンカップ酒とアンパンを供えてから、リュックの中で折れないように、大事に預かってきた古い御札を真ん中に置いた。
代参ですみませんが、御札を納めに参りました。
どうぞよろしくお願いします。
心の中でそう呟いて、二礼二拍手一拝。これで依頼完了。木々のあいだを縫ってさらりと吹き過ぎる風が、汗ばんだ肌に気持ちいい。満足の吐息とともに眼を開けて、新緑と木漏れ日の織り成す明るい森の景色をしばし眺める。
本日の仕事は、五十川さんのお孫さん、しゅんすけ君の七つのお祝いに、元々の氏神らしいこの神社まで御札を返しに来ることだった。
五十川さん、今は特急の停まる大きな駅の近くに住んでるけど、元はこの麓の農家の出だったんだって。五人姉妹の三女で、結婚をきっかけに街に出ては行ったけど、繁忙期には帰ってきて実家の田圃や畑を手伝っていたらしい。だから縁が切れていたわけじゃなく、この氏神様にだってたまに参っていたらしい。
それから流れ流れてウン十年、今から七年前のこと。なかなか子供ができなかった娘さん夫婦に男の子ができて、「手の舞い足の踏む所を知らず」というくらい、それはそれは喜んだらしい。早くに夫を亡くし、女手ひとつで育てた一人娘。良い人と一緒になってくれただけでも良かったと、ほとんど諦めかけていた孫が産まれたら、そりゃそうだろう、無理もない。
でもって、さっそくここの氏神様の御札を作ってもらい、お祝いと一緒に娘さん夫婦に渡したんだって。なんか、身体の弱い子も強い子も、病気や怪我で命を失ったりしない、最強の御札らしいよ。
御札を作ったのは、この村にいる親戚の小父さんらしいけどね。古い田舎によくある兼業神主ってやつ。普段はごく普通の農家のお爺さんなんだけど、小父さんは年に一度の祭祀を司ってるから、御札としての効力はちゃんとあるんだって。
それはともかく、御札を返すなら、なにもわざわざ俺みたいな何でも屋を雇って、こんな山奥まで返しに来させなくても、普通にどこかの神社に返せばいいと思うんだけど、どうやらそういうわけにはいかないらしい。
この御札の効力は、七年。七年過ぎたら、その子が八つになる前に、必ずこの氏神様に御札を返しに来なくてはならない、らしい。