冬の金魚 68
こちらに間違えて投稿していた「星月夜の天使」は、『俺は名無しの何でも屋!』のほうに投稿し直しました。
※2019年4月28日、ルビの失敗に気づいたので訂正。一所懸命「・」の数を数えたのに、何故気づかなかったのだろう…。※そして今更「傍点」機能に気づき、さらに訂正。以前はルビ振りと同じやり方で各文字の真上に「・」を表示できたと思うのですが、今はそれだと中央寄りになってしまいますね。
「交通費と……まあ、その他諸経費だけいただきまして、残金はここに」
懐から出した封筒を、水無瀬さんの前に置く。
「──どういうことですかな?」
中身を確認した水無瀬さんは、困惑の表情で封筒と真久部さんの顔を交互に見ている。──察するに、中身がほとんど減ってなかったんだろうな。外から見ても厚みあるし。
「僕と、これを探してきてくれた伯父とで、意見が一致したんです。そういうものには、出来るだけお金は介在しないほうが良いと」
「……」
水無瀬さんはさらに困った顔になる。まあまあ話を聞いてください、と真久部さんはなだめるように微笑んでみせる。笑顔は胡散臭いけど、言葉は本物だと思うから、俺も黙って聞くことにした。
「この石は、とある深い山の中の、小さい滝壺の中に沈んでいたものだそうです。滝壺といってもそう深いものではなく、太股くらいだったそうですが。──胴付き長靴とゴム引き合羽、長ゴム手袋を装着した完全装備で、その辺に落ちていた木の棒と持って行った魚籠を使い、水から揚げたと伯父は申しておりました」
さすがにこの季節の滝壺は冷えたそうですが、と他人事みたいに言う。──真久部の伯父さん、大変な作業だったみたいなのに、甥っ子にこんなふうに言われてちょっと可哀想、と思いつつ、俺はつい気になったことをたずねてしまった。
「いや、でも……勝手に拾ってきて良かったんですか? こんな凄いの」
俺の疑問に、水無瀬さんも「土地の所有者は知ってるのかね?」と懸念を重ねる。
「土地の所有者は、水無瀬さんですよ。ほら、…県の水魚山。あそこは水無瀬家の所有ではありませんか?」
首を傾げてにこり、としてみせる真久部さんに、え? と水無瀬さんは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
「あ、ああ……確かにあの山はうちのものじゃが──、柘榴石なんてもの、採れたかな……」
顎に手をやって、親父には聞いたことはないがのぉ、と考え込んでいる。
「水魚山の隣の、若榴山では昔よく採れたそうですよ」
「若榴山……」
ああ、うちの東側の、今は国有地になってるところか! と水無瀬さんが膝を打ち、ええ、そうです、と真久部さんはうなずく。
「あの滝の、さらに上流が若榴山の昔の採掘場近くを流れる川に繋がっているらしいんです。つまり大水のときなんかに、水魚山側に流されてきたんじゃないでしょうか。──そうそう、滝壺近くの川岸で、細かい粒の柘榴石も見つけたとのことで……」
これがそうです、と真久部さんは袂から小さいガーゼハンカチに包んだものを取り出した。──薄い夕焼け空みたいな色。本当に柘榴の実のつぶつぶのひとつみたいだ。
「恐らく、この石の塊から剥がれたものではないでしょうか。──伯父が申しますには、割れてしまった磐座は、元々水無瀬さんのご先祖が同じ川から拾ったものではないかと」
「あ、ああ──そうかもしれませんな……」
唖然としたように目を瞠り、それでも水無瀬さんは納得したらしい。ゆっくりとうなずいている。
「──それにしても、どうやってこの石がその滝壺に沈んでいると突き止めたんですかな、慈恩堂さんの伯父君は」
普通は人の行かないような、満足な道も無いようなところなのに、とそこは不思議そうだ。
「それが伯父独自の伝手でしてね」
真久部さんの笑みがまた妙に深まってしまう……。
「馴染みの知り合いたちに、『こういう条件の石を探しているんだが』と聞いて回ってくれたそうです。その中に、偶然あの近くの出身者がいて、あの山のあの川のあの滝壺になら、ひとつくらい落ちてるんじゃないかと教えてくれたということなんですよ。──水と、魚に馴染んだ石……滝壺の底にあった石ならぴったりですよね」
にっこり。
「……」
その出身者って、もしかしなくても何かの古い道具なんじゃないでしょうか。あるいはズバリ、かつて若榴山から産出した柘榴石だったりなんか──。
水無瀬さんの手前、聞くに聞けない俺は黙っているしかなかった。
「他にも候補はあったそうですが、伯父が山に入るにあたり調べてみると、どうやらそこは水無瀬家のゆかりの地。ということで、そこに決めたのだと聞いています」
「それは……。伯父君は、石に詳しい方なのですかな」
うちにも磨いた菊花石などありますが、と水無瀬さんは呟く。
「そうですね……詳しいとは思いますが、専門家ではありません。ただ、石に限らず何でも鑑賞するのは好きなようです。興味の持ちようがちょっと人とは違いますが──」
真久部の伯父さんは、古い道具たちの声を聞くことができる、らしい。甥の真久部さんには「骨董の声は聞くな、聞こえても知らないふりをしておけ」と言っておいて、ご本人は聞きたい放題。伯父さんが話しかけると、彼ら喜んで応えてくれる、らしいよ? 書画骨董古道具と意思疎通のできるような人間は、普通はいないから。
真久部さんによると、そういうの本当はとても危険なことらしい──。なのに何で伯父さんは嬉々として彼らの声を聞くのかと言うと、歴史書や記録、伝記小説にツッコミを入れるためなんだって。普通じゃない方法で聞き出した事柄と比べて、違いを愉しむんだってさ。
歴史上の偉人や英雄も、まさか酒の席での盃や、身に着けている根付、文箱や笛や簪が見たこと聞いたことを、後世の人間に語るなんて誰も思わないもんな。