冬の金魚 63
お祖父さんにしてみれば、家神様の力で無力化されたとはいえ、孫にまたどんな悪影響があるかもしれないと思えば、そんなもの即行捨てて燃やしてしまいたかっただろう。
だけど、兄の代わりに笑って元気に出征して行った次男は、封印するようにとの指示を残していた。家宝の皿を使って長持ちにでも封印すれば、目を通して家神様が抑えてくださると。──一時的にでも家神様の神薙となった息子がそう言うなら、従わなければならない。
だから、自業自得の無残な屍をさらしていた<白波>を、愚かな息子の道連れで命を失ったのであろう恩人一族の死に免じ、怒りを堪えて手厚く葬る手配をしつつも、言われたとおりにあの招き猫を封印することにしたのだろうと真久部さんは言っていた。
空っぽにした長持の蓋に細工して、その内側に家宝の皿を伏せるように設置し、中の招き猫の頭を抑えるようにしてあったそうだ。
<目>というのは皿のことだそうで、そこに描かれた主である金魚の中身が池に避難しているあいだ、万が一にでも呪物が何かの影響を受けて悪さをしたりしないよう、家神様がそれを使って監視していたらしい。
魚には目蓋が無い、つまり眠らない、だから変化があっても見逃すことはない──ということで、本当にずっとずーっと家神様が見張っていた、らしいよ。皿という媒体を必要としたのは、そのほうが確実なのと、少ない力での効率を考えたんじゃないか? っていうのが真久部さんの推測。
金魚の皿とは親和性があったから、家神様には使いやすかっただろうとも言ってた。顕現したときに金魚の形をしていたことからもわかるように、家神様の本質は“魚”なんだって。
それなら封印の御札は必要なさそうだけど、呪物自体の封印とその入れ物の封印は違うというか、うっかり誰かが開けたりしないように、要するに「開けるな危険!」という意味で御札で封をしてあったらしい。そんな曰くありげなもの、普通は誰も開けようとしないもんなぁ。
封印の御札は、今はもう小さな社しか残っていない神社の、当時の神主さんに作ってもらったものらしい。お礼に、その年の新米を奉納したことが覚書に書いてあったということだ。真久部さんが言うには、もし蓋が開いてしまえば家神様の封印も解けてしまうから、その封印を護る封印、ということで補強の意味があるらしい。
お祖父さんはそこまでしてようやく一息つけたようだけど、お父さんの気持ちはそれでは収まらず、それ以来蔵には滅多なことでは立ち入らないようになったそうだ。──自分は紘一ではなく紘二で、家と蔵を継ぐ跡取り長男じゃない。だから蔵には入らない、兄さんが帰ってくるのを待つ、と頑なにそう言っていたという。
本当はそれでは困るんだけど、残った息子の気持ちもわかるから、お祖父さんは何も言えなかったらしい。孫のため、家のことを考えれば、家神様の力を借りることが出来たのは僥倖だったし、次男の行いはありがたい……。それでも父として、“その犠牲は必要なことだったのだ”と割り切ることは難しかった。
だって、そもそもの発端は自分だ。自分が蔵を手癖の悪い者たちの更生に使おうなど思いついたから、可愛い孫がとばっちりを受け、危うく命を落とすところまでいった。自分が甘いせいで質の悪い<白波>を引き寄せ、その波にさらわれるようにして次男が死地に赴いてしまった──。
いつか息子の気持ちが落ち着いたとき、水無瀬家代々の当主が長男に伝えてきた諸々を伝えられるように、それから、あの夜に起こったことの詳細をせめて正しく伝えられるように、お祖父さんは当時のことを詳細に覚書にしていたらしい。
でも、水無瀬さんのお父さんは結局一度もそれを読まなかったんだろうな……。水無瀬さんには全然蔵の真の特性について伝わってないし。ほら、あれだ。「無断で物を持ち出すと騒ぐけど、一言断りさえすれば大人しい」ってやつ。
真久部さんが言うには、泥棒を呼び込んでは糾弾するように騒ぐ蔵が、自作自演のように思えたんじゃないか、ということだった。
手癖の悪い人たちを預かっていた理由は、事件のときに自分の父から聞いただろうけど、「“中のモノを勝手に持ち出すと蔵が騒ぐから”、それを利用して更生させていた」というのはまさに自作自演で、そんなことをしていた父に向ける怒りを蔵に向けて、頑なに否定していたんだろうって。
ちょっとした悪戯っ気と人の好さ、それが何を招いたか──そういうものが自分の中にもあり、父の気持ちもわからなくはないだけに、よけいにそうなったんだろう、というのが真久部さんの考えだ。ここまで来たら憶測ですけどね、なんて苦笑いしてたけど。
“泥棒製造機”だと蔵を毛嫌いし、自分は二度と立ち入らなかったし、父亡きあとはもう誰にも近寄ることすら許さなかったというのは、そういう心理的な理由からだったんだろうって言ってた。
そう、お父さんのお父さん、水無瀬さんのお祖父さんは、戦後数年で亡くなったんだそうだ。それはまるで、息子の本来の寿命を全うするかのように……家宝の金魚が護らなければ、水無瀬さんのお父さんは結局それくらいで死んでいたはずらしいから……。
水無瀬さんのお父さんがそれから二十年も長く生きることができたのは、お祖父さんがいくらか残していったぶんもあったのかもしれないですね、ということだ。