冬の金魚 62
撮影機材待ちの俺、脳内説明会続きです。
あの蔵に入ると誰でも泥棒になると、お父さんは確かにそう思っていたし、口に出してもいたが、それを揶揄するかのように歌うように軽やかに言われた「だから僕もその通り、泥棒になって赤紙を盗んでいくよ」という弟の言葉が忘れられず、それは蔵のせいではないとは理解しつつも、蔵を恨んだらしい。
自分の父が蔵の特性を利用して、つまらないボランティア精神を発揮していたのが大元といえば大元だけど、変なところで人の良い父がどうしてそんなことをしたのかというと蔵が特殊だったせいだし、だから、おのれそんな思いつきをさせた化け物のような蔵め、と──つまりは八つ当たりというやつだ。
蔵に呪物を設置したやつが一番悪いんだけど、それはやっぱり何度も出戻りを繰り返した<白波>の彼で……どうして当時もすぐに彼がそうだとわかったのかというと、あの翌朝、叔父さんが出征していった後、与えられた部屋で彼が死んでいるのが見つかったからだという。
何か、異常な死に方だったらしいよ……。髪も、着ていた寝間着も全然濡れてなかったのに、溺死してたんだってさ。酷く苦しんだらしく、畳は掻き毟られ、襖の紙は内側だけ破られてボロボロ、柱にまで引っ掻き傷が付けられていたのだとか……。だから爪なんか割れるわ剥がれるわで手は血まみれだったらしい。
恐ろしいのが首に刻まれた傷で、何かの動物に荒々しく食い千切られたようにしか見えなかったという。また身体中に鋭い爪で抉られた痕があり、もちろん、というのも変だけども、寝間着には破れたり裂かれたりといった痕跡はなかったそうだ。そこからの血は一滴もなく、傷口は洗ったように肉の色しか見えていなかったことがさらに気味悪さを煽ったという。
傷つけてから寝間着を着せたのかも、なんて疑問が湧きそうだけど、もがき苦しんだ挙句の有り得ない姿勢で倒れていたというから、それはないだろうとのことだ。──もしそうだったとしても、誰が何のためにそんなことをしたんだって話だし。
そして、おかしいのはそれだけじゃなかった。口には何故か藻がいっぱい詰まっており、両頬には内部まで届くような爪痕があったという。見開かれた眼は恐怖にか膨れ上がり、まるで飛び出したかのようで、濁った瞳で左右を別々に睨むようになったその死に顔は、どこか魚の顔に似ていたという──。
それを聞いたとき、俺は背中を特大の氷柱が滑り落ちていったかと思ったよ……。
──水無瀬さんのお祖父さんの覚書にも、孫の紘太郎を呪うための呪物を蔵に設置した本人に、自分の掛けた呪いが返ったんだろう、と書いてあったとのことだった。真久部さんも同意見らしい。ただでさえ『人を呪わば穴二つ』っていうのに、この場合は返したのが家神様だし、呪いの増幅装置だった招き猫の呪いも一緒になって返っていったから、よけい酷いことになったんじゃない? ということだ。
というのは、その人の異様な死にざまもともかく、同じ夜、遠く離れた彼の実家が空襲で家人もろとも焼け落ちて、全員が死んでしまったのだそうだ。炎の中から誰一人として逃げ出すこともできずに。
その家のあった地方はふだん米軍機の通るコースから外れていたそうだが、何故かその日だけ上空を通っていったらしい。大きな街への空襲帰り、落とし忘れた一発を軽く落としていったって感じらしいけど、家よりも田圃と畑のほうが多い地域だったのもあり、他の家には被害がなかったという。
──月の明るい夜だったということだし、大きな庄屋屋敷は上空からもよく見えたんだろうねぇ、となんとも微妙な笑みで真久部さんは言っていた。──気の毒に、一族で返りの巻き添えを食らったんだろうね、とも。
戦時中だったから、その人の親兄弟だけでなく、伯父や叔父叔母一家も本家を頼ってそこに身を寄せていたらしいんだ。昔の大きな家って、離れなんかもひとつだけじゃなかったりするから、大勢でも暮らせただろうしな……。軒が離れていても、焼夷弾が敷地の真ん中に落ちたんじゃひとたまりもなかっただろうと思う。
そんな時代、凄惨な死体も見慣れていたはずの村の駐在すら顔色を無くしたほどの<白波>の彼の遺体は、暑い季節柄もあり、すぐお寺に運ばれたそうだ。どう見ても変死ではあるが、手を下したのが人間であるとはとても言えそうにない状況であったので、公式には「事故死」ということになったらしい。
今よりもずっと不可解な死が人の近くにあった頃のこと。カッパと相撲を取って負けたんだろうだの、イタチを虐めた祟りなんじゃないかだの、村の中でも色々に囁かれたらしいけど、基本誰も関わり合いになりたがらず、一応の葬式にも水無瀬家への義理で皆そそくさと線香を上げて帰っていくだけだったという。それくらい不気味な死に方だったんだ。
真相を知っている水無瀬さんのお祖父さんやお父さんが、腸が煮えくり返るほどの怒りを抑えてそいつの葬式まで出してやったのは、その実家が空襲で燃え落ち、一族も全て死に絶えたとの電報を、同じ村に住んでいた親戚から受け取ったからだという。憎い相手ではあるが、弔う者もいないのはさすがに哀れと思ったということだ。
お祖父さんは甘い自分を責め、とても気落ちしたらしいが、まだやらねばならぬことがあると必死に己を奮い立たせたという。
お祖父さんがやらなければならないこと。
それは、例の招き猫──呪物の封印だ。
「霊の招き猫」と変換してしまって、そんな招き猫があったら嫌だなぁ、と思いました。