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冬の金魚 54

金魚が、跳ねた。


私はそれに目を奪われた。自ら発光するかのように闇に浮かび上がり、悠々と蔵の中を泳ぎ始める。


あえかな水脈(みお)を曳きながら、鰭を、尾鰭を動かすたび、かすかな光が揺れて、そこから小さな魚が生まれてくる。小魚たちは私がここに来た時に見たと思った魚影に混じり、金魚の後をついて泳ぎ出す。


見惚れていると、兄さん、と弟が呼ぶので、私はそちらに視線を戻した。


──僕は今、家神様に力を頂いたお蔭で、かつてないほど体調がいいんです。これまで家のために何の役にも立たなかった僕ですが、今なら何でもできそうですよ。


身体の調子がいいというなら、それは喜ばしいことだ。幼い頃から少しのことで熱を出し、伏せっていることの多い弟。同じように病弱な我が子もここ数日の危うい高熱から解放されたし、今日はなんて目出度いのだろう。これで心置きなく出征することができる……。


そんなふうに思っていると、弟は何故か子供の頃の恨み言を語り始めた。


──兄さん、僕はちょっと兄さんに嫉妬していましたよ。駆けっこしても全然疲れないし、凧揚げだって上手で、みんなの人気者で。木登りも得意だし、夏は大人に内緒で裏の池で泳いでいたっけね。僕は見ているしかできなかったけど、とっても羨ましかった。


弟が私や、近所の悪童たちと遊びたがっていたことは知っていた。知っていて、無視していた。本人が一緒に遊びたがるのだから良いだろうと考えなしに仲間に加えたら、その後必ず体調を崩す。そんなことが何度もあれば、母に言われなくとも弟を遊びに混ぜることはなくなった。


──いつも置いていかれたけれど、自分の身体のことはわかっていたので、恨んではいません。ただ、悔しかった。足手まといにしかなれない自分が、情けなかったんです。今こんな時代になって、辰さんや五郎さんたち使用人も戦争に取られてしまい、人手が減って大変なときに、僕は畑仕事すらできない。兄さんが毎日忙しくしてるのに、ただ見ているしかできないんです、子供の頃のように。


僕は役立たずな人間だ、と呟く。さっき酌をしてくれたときに見たのと同じ、寂し気な笑みで。それはしょうがない、お前は身体が丈夫じゃないんだから、と言ってやりたいのに、まだ声が出ない。身体が動かない。


──兄さんは僕の憧れです。僕は兄さんのように、いえ、兄さんになりたかった。兄さんになって、僕がいつもそうされていたように、兄さんを、家族を守りたかった。


何をそんな埒もないことを、と思ったとき、ようやく父が現れた。驚いたことに、父は泳ぐ金魚を見ても平然としていた。そればかりか、上がっていた息を静めると、金魚に向かって平伏する。


──お父さん、お父さんにはわかるんですか。


弟がたずねると、父はうなずいた。私には何のことかわからない。


──そうですか。盗難防止に蔵に仕舞った家宝の皿ですが、様子を見に来たときには、皿に棲む金魚がそこの()に食われそうになっていましたよ。危なかったので、家神様が庭の池に逃がしました。金魚(・・)が自分で出て行っただけのことで、何かが盗まれたわけではないのですが、蔵は勘違いをしているようです。この家鳴り、収めていただけますか。


弟の言葉を聞き、父は即座に「静まれ! 当主の言うことを聞け!」と蔵に向け、いつもの台詞で一喝した。あんなに激しかった家鳴りが、ただそれだけで収まり、静かになる。


──その招き猫、誰が蔵に入れたのか、とても悪いモノです。紘太郎が急に調子を崩したのはソレのせいですよ。家宝の皿を使ってそこの長持ちにでも封印してください。()を通して家神様が抑えてくださるそうですから……。


もっと早く僕が気づいていれば、紘太郎もあんなに苦しむこともなかったのに、可哀相なことをしました、と続ける。


──あの子は僕と同じ体質でしたが、家神様のお力をいただいたので、これから丈夫になっていくでしょう。


おお、ありがたい、と父が呟く。


──代わりに、家神様はしばらくお力を失います。感謝を持って、今まで以上に大切にお祀りしてください。


承知いたしました、と父は息子相手に丁寧な口をきいている。不思議に思う私に、弟が向き直る。


──兄さん、僕はずっと兄さんになりたかった。だから、僕は兄さんに、紘一(・・)になるよ。


家神様のお力で、僕ももうしばらくは元気でいられるから、と微笑んでみせる弟は、一体何を言っているのだろう。


──ふふ、うれしいな、兄さんになれる日が来るなんて。こんな僕でも弟を守ることができる(・・・・・・・・・・)。兄さんはよく言っていましたね、この蔵に入ると誰でも泥棒になるって。僕もそうだったみたいです。兄さんになるために、僕は赤紙を、召集令状を盗んでいくよ。


笑顔のままおかしなことを言い出す弟に、私は反駁しようとした。だが、口が金魚のようにパクパクするだけで、声が出ない。


──僕は紘一(・・)になってお国の役に立ってきます。父上、身体の弱かった私を慈しみ、ここまで育ててくださって、ありがとうございました。紘二(・・)、後のことは頼んだよ。


さようなら、皆様お元気で。弟がそう言って頭を下げると同時に、蔵の中を泳いでいた金魚がくるっと宙返りをした。急に蔵が元の闇を取り戻し、私の意識も闇に呑まれた。







「水無瀬さんの叔父さん、紘二さんは、巫覡(ふげき)の才があったようですね。神薙(かんな)ぎ、と言ったら何でも屋さんも知っているかな」


真久部さんは言うけど、俺、どっちも知らないです。


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□■□ 逃げる太陽シリーズ □■□
あっちの<俺>もこっちの<俺>も、元はみんな同じ<俺>。
『一年で一番長い日』本編。完結済み。関連続編有り。
『俺は名無しの何でも屋! ~日常のちょっとしたご不便、お困りごとを地味に解決します~(旧題:何でも屋の<俺>の四季)』慈恩堂以外の<俺>の日常。
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