寄木細工のオルゴール 33
「手遅れ?」
いや、でも、せめて休ませて止血しないと、あの血の量では……。
「気づきませんでしたか? あれはもう既にこの世のものじゃなかった」
「……」
言われて、思い出した。……そうだ、彼女には影がなかった──。いや、影そのもののように、全体的に暗かった気がする。黒いのではなく、薄い闇をまとったように仄暗く……。
「ゆ、ゆゆ、ゆうれい……?」
そうだよ……、普通だったら、あんなに怪我をしていて元気に歩いて来れるわけないじゃないか! 頭も割れて、中身が……。
「……」
言葉が出なくなって思わず真久部さんを見ると、頬にシニカルな笑みを刻んでいた。
「どうやら、ここを出てからすぐ悲惨な末路をたどったようだねぇ……。恨み言を言いに来たんでしょう、自業自得なのに」
「……」
俺、幽霊としゃべってしまった。そう思うと、ぞうっと背中に震えが走って、悪寒が……。
「大丈夫だよ、何でも屋さん。“ご隠居”が一喝してくれたみたいだから」
そう言って、真久部さんはちゃぶ台の上で音楽を奏で続けるオルゴールに目をやった。──どっかのご隠居のように存在感のある、どっしりとした風格の、寄木細工が美しいオルゴール……蓋、蓋が開いてる……! あ、ああ! 開けちゃったんだ、俺。あれを!
「真久部さん、俺、それ開けちゃっ……どうしよう、“声”、“声”が聞こえたら、俺!」
♪~♪♪♪♪~♪♪♪♪♪ ♪~♪♪♪♪~♪♪♪♪♪♪♪……
……小さな光が弾けるような、きれいな音。
「……」
繰り返し押し寄せる白い波、大粒の真珠……。
「何でも屋さん!」
「え?」
瞬きをする。……ここは海じゃなくて、いつでも骨董古道具たちがつやつやしてる慈恩堂の店内。えっと、俺は何を──。
「──僕が帰ってきたとき、何でも屋さんがぼんやりしてたのはそのせいですか……」
納得がいったというふうに、うなずいている真久部さん。何が?
「落ち着きなさい、ということだよ」
お茶を淹れるから、大人しく待っていてください、と言われ、俺はコタツの中に入り直した。──身体、冷ええたんだな……。
♪~♪♪♪♪~♪♪♪♪♪♪♪~♪♪♪♪♪♪♪~ ♪♪♪……
♪~♪♪♪……
♪……
曲を奏で終えたオルゴールは、沈黙した。開いた箱の底、鍵の頭のような螺子も回転を止めている。他には何も入ってないな、と思いながらぼーっとしていると、目の前に湯気の立つ茶碗が置かれた。置いた手を伝って視線を上げると、苦笑気味の真久部さん。
「何でも屋さんには、“声”は囁かないよ。オルゴールが鳴っていたでしょう?」
きっと、正しい手順で開けたご褒美だね、と微笑む。
「僕は最後まで開けなかったし、直前の持ち主は失敗、その前も椋西の先代も開けようとしなかった。たぶんその前も。だから、ちゃんと開いた場合のことは曖昧にしか伝わってなかったんですが……」
「え、と。じゃあ……俺、心配しなくてもいいんですか……?」
恐ろしい“声”の代わりに、オルゴール。もう安心して、いいのかな……。
「もちろん」
真久部さんは言った。
「今回は、ね」
怪しいような、悪戯っぽいような笑みで。
「……!」
今回は、というのはどういうことかと聞くと。
「また次に、同じように開けられるかわからないから」
そんな答が返ってきた。
「言ったでしょう? 僕も最後の直前くらいまで開けたって。でも最後の最後に絶対間違うから、そこで止めたってこと」
「……間違えさせられる、んでしたっけ」
そう、と真久部さんはうなずいて、蓋の開いたオルゴールを見た。
「気分次第だからねぇ……」
“ご隠居”──! 間違って、さらにそのまま無理しようとする人はともかく、正しい順番で開けてる人にまで意地悪するのやめようよ! シャレにならないよ……。心の中でそんなふうにシャウトしていると、ゆっくりとお茶を啜りながら、真久部さんが言った。
「でも、凄いね、何でも屋さん。コレが開けるのを許してくれたにせよ、あんなに素早く正確に初見の秘密箱を開けるなんて」
実はパズルもの得意だったんですか? と聞かれ、まさか! と俺はぶんぶん首を横に振った。
「こういうの、俺は全然ダメです。苦手なんですよ、ルー○ック・キューブだって一面しか合わせられないし」
「そうなんですか?」
不思議そうに首を傾げるのに、俺はうなずいてみせた。
「──でも、弟は得意でした。ジグソーパズルでも、通常よりパーツの細かいルー○ック・キューブでも、難しい立体パズルでも、すごく簡単そうに……。秘密箱は知らないけど、たぶんそう時間を掛けずに開けられたんじゃないかな……」
俺と弟、一卵性で元は同じはずなのに、頭の出来はずいぶん違ってたなぁ……。
「じゃあ、さっきのは──」
「俺、あのとき身体の自由、きかなかったんですよね……。真久部さんもでしょう?」
動けたら、俺がオルゴールを開けようとするのを力づくでも止めてたと思う。
「不覚にも、ね……」
悔しそうに、真久部さん。
「でも、こちらには入れなかったと思うんだ、この帳場の畳部屋までは」