表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
182/415

煙管と真久部さん 4

「いや、それは無理……」


怖がらずにいるなんて無理。


「害が無くても怖いですか?」


「そりゃ……」


いわく因縁、知らなきゃ綺麗な煙管だね、で済むけど、知ったらその美しさすら禍々しく……。


「知らぬが仏、ってね」


そんな言葉を吐いたあと、代わりのように紅茶を啜る。澄ました顔が、憎ったらしい……!


「真久部さんが勝手に教えてるんじゃないですか! だいたい、どうしてこの煙管をたまには使ってやらないといけないのか、そこ、まだ聞いてません、」


よ、と言った瞬間、真久部さんがニッと笑った。う、俺の馬鹿。何で自ら地雷を踏みに──!


「それはねぇ、何でも屋さん」


真久部さんが煙草盆からひょい、と煙管をつまみ上げ、ちょっとこの羅宇(らう)を見てください、と言った。この真ん中の部分を羅宇っていうのかぁ、と思いながらびびりつつも顔を近づけて眺めてみる。ススキとか何かの実が描かれているから、これはやっぱり秋の野なんだろう。そこに佇む女性は、ん? 頭にちょいちょいっと何か……これ、角?


──お大尽、一服のみなんし


鈴を振るようなきれいな声が聞こえた。高すぎず、低すぎずの心地よい声。お大尽って金持ちのことだっけ? どこにお大尽が。それより、ここに女の人いたっけ?


ふと気づくと、目の前に綺麗な女の人の横顔。明かりが心もとないのに綺麗だとわかるのは、その鼻筋がすっと通り、額から口元、顎までのラインを美しくなぞっているから。


──よう来なました、今度はいつ来てくんなます


へ? よく来てくれました、今度はいつ来てくれますか、って言ってる? いや、こんなところ、って、薄暗いからよくわからないけど、彼女の着ている金襴銀襴のきらびやかな着物は見える。他はうっすらおぼろで、いつどうやって来たかわからないところへは──。


「すみません、たぶんもう来れないと思います」


──それなら今宵の約束に、これをあちきと思うて大事に持っていてくださいまし


白くて細い指で煙管を手渡された。うっかり受け取ってしまう。身体を斜交いに、顔をこちらに見せぬままだった彼女がこちらを向き、赤い紅を引いた唇が動いて……。


──つぎに来なましたときに、あちきに返してくんなまし。それがぬしとあちきとの約束


「え? でも」


俺、煙管はやらないし、持っててもどうしていいのか……。


──持っていてくださいましな、源平藤橘四姓に枕を交わすこの卑しい身を 

 一筋に思おてくれたぬしの情けがあるとおもえば、それだけであちきは仕合せでありんす


「……」


──ただ、ようござんすか


「は、はあ……」


──ぬしの身の慌しいのは、あちきも承知しておりんす。またの逢瀬もいつになるやら……

 煙管のけむりの絶えぬうち、ぬしもあちきを思ってくんなましょうが

 もし絶えても……絶えても、

 けして、けしてそれをほかの女に吸わせないでくんなまし

 それだけがあちきの願い、けして(たが)えてくださいますな


えっと、次に会うまで預けておくけど、他の女に吸わせるなってことは──浮気はするな、ってことだな。俺、そういうの嫌いだし、惚れた女以外いらないって思う性質(タチ)だから……。


「わかりました」


そう声に出すと、紅い唇が微笑みの形になり──、もしも違えたならば、あちきは鬼になってしまいんす。それはぬしのお心ひとつ。お心ひとつであちきは鬼にも仏にもなりましょう、そう言って……。


「あ、あれ?」


気がついたら、俺、ぼうっと煙管持って座ってた。向かいには胡散臭い笑みを浮かべた真久部さんがいて、黙って煙草盆の灰吹きを示してくる。周囲を取り巻くように、ふわふわと薄い煙草の煙。


「え?」


俺、煙管吸ってたの? ──今の今まで気づかなかったけど、口の中に確かに煙草の苦味。刻み煙草のせいか、普通の煙草よりなんとなくマイルドだけども。


「ほら、灰吹きに火皿を伏せて、雁首を指にぽんぽんと」


言われるままに軽く叩くと、火皿から灰が落ちた。水を入れてあるのか、じゅっと小さな音がする。


「お疲れさまです」


口直しに、お茶をどうぞと勧めてくれて、手入れは熱いうちがいいんですよね、と言いながら、手製らしき紙縒(こよ)りで煙管を掃除し始めた。


「真久部さん……」


「んー……何ですか、何でも屋さん」


「今の、何ですか?」


新しく淹れなおしてくれたらしい煎茶に手を出す気にもなれず、俺はまだどこか呆然としながらたずねていた。


「あー、会えました? 彼女に」


「……」


「わかったでしょう、女性が使えない、使ってはいけない理由が」


真久部さんも、この煙管吸ってるあいだ彼女と逢ってたんだ。それが納得できて、俺はうなずくしかなかった。


「彼女からこれを預かった男は、その後どうしたのやら。二度と逢わない逢えなかったにしろ、死ぬまでこれを大切にしていれば、彼女も鬼女にならずに済んだものを……」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
□■□ 逃げる太陽シリーズ □■□
あっちの<俺>もこっちの<俺>も、元はみんな同じ<俺>。
『一年で一番長い日』本編。完結済み。関連続編有り。
『俺は名無しの何でも屋! ~日常のちょっとしたご不便、お困りごとを地味に解決します~(旧題:何でも屋の<俺>の四季)』慈恩堂以外の<俺>の日常。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ