たくさん遊べば 2017年12月2日土曜日の慈恩堂 10 終
「……」
伯父さんの好奇心いっぱいの瞳の奥には、どこか熱っぽい昏さを感じさせる光がきらめいてる。それが俺には怖かった。けど、負けるわけにはいかない。
「……えーっとね。俺、ずっと帳場に座ってましたから。入って来なかったんなら知らないなぁ……本日のお客様は、木彫りの熊をお買い上げになった、本当にその方一人だけでしたよ。俺が店番させてもらっててもお客さん滅多に来ないから、今日はうれしかったですねぇ」
「ふうん……」
つまらなそうに伯父さんは鼻を鳴らした。
「なぁんだ。甥が骨董市にいて、店番があの子じゃないんなら、絶対ドアを開けてしまうと思ったのになぁ。あれたちの呼びかけは、なかなか無視するのは難しいものだから。そしたら寂しい風が店に吹き込んで、今頃は──」
「何でも屋さんの肩や背中、全身に縋りついて、自分たちの寂しさの中に取り込もうとしてたでしょうね」
二階から下りてきた真久部さんが、伯父さんの言葉の続きを引き取った。
「そのちょうどよく集まったところを、例の悪食鯉に食べさせたかったんでしょ? 伯父さんの魂胆はわかってるんだよ」
うちはペットの餌場じゃありません、と伯父さんを睨みつける。
「そう言うけど、ほら。一年のうち今だけのチャンスなんだし」
せっかく回遊してくるんだからと、つまらなそうな顔から一転、くるっと表情を変え、胡散臭い笑みで丸め込もうとするが、同じ笑みを通常標準装備にしている彼の甥っ子は、視線ひとつでそれを黙殺、ぴしゃりと切って言い捨てる。
「ああいうものを、サンマやイワシみたいに言わないでください。ここは漁場じゃないんだから」
「ええ~……」
「どうしても捕獲したいなら、自分で囮になればいいでしょう。これから大晦日まで、毎日店の前に立っててもいいよ。ただし、中には入れないから」
「冷たいなぁ」
ねえ、何でも屋さん。なんて言われても、俺は言葉を返せない。だって背中が寒い。
「……」
寂しさの中に取り込もうと、もうちょっとでされるところだったよ真久部さん。あのまま、ドアのすぐ前に立って、ずっとあの声を聞かされ続けたら……。
兄さん!
ああ、そうだ。弟の声がなかったら──。
「何でも屋さんは大丈夫です」
俺の眼をまっすぐに見て、真久部さんが言った。
「きみは守りが強い。仮に季節の客が来て、もしうっかり開けてしまっても、伯父の言うようにはなりません。──きっとそれがはねつけてくれるはずだから」
「……」
本当に? あの時開けてしまっても俺を守ってくれた……?
兄さん!
たとえ幻聴だとしても、あの声、あの弟の声が俺を正気に戻してくれたんだ……。ああ、そうかもしれない、俺は確かに何かに護られているのかもしれない。
「伯父はね、わかっていてからかってるんだよ。本当にそんなことになってるなら、店の雰囲気も変わってるから、ドアを開ければすぐわかる。──今日は、あわよくばで僕について来て、やっぱり当てが外れたものだから、せっかく来たついでに何でも屋さんを怖がらせて楽しんでるだけ」
趣味が悪いんですよ、この人は。そう言って伯父さんを鋭い眼で睨むけど──。伯父さんはにやにやしながら、趣味の悪さはこの子も私と似てるよねぇ、なんて俺に同意を求める。この場においては、もちろんノーコメント。──真久部さんにもそういうとこあるけどさ。伯父さんほどじゃないと思う……んだ。たぶん。
「それにね」
伯父さんを横目に牽制しながら、真久部さんは続ける。
「何でも屋さん、いつも店番のとき、遊んでやってくれているでしょう」
視線で、パタパタ走る気配のほうを示す。
「覚えていないでしょうけどね。でも、そうなんですよ。何でも屋さんは最初からそうだった」
「……」
うん、あんまり覚えてない……。ちょっと変だと思うことはあっても、気にしないように、すぐ忘れるようにしてるからなぁ。あるがまま、突き詰めて深く考えたりしない。それがここ慈恩堂で店番するための秘訣。
「生まれても遊べなかったものたち、そんなのはこの店の中にもいて、他の道具たちと一緒にきみに遊んでもらって喜んでいます。たくさん遊べば満足して、そのうち帰るべきところに還っていく、そういうものたちだから、彼らだって守ってくれますよ。遊んでくれる人のことは好きだから」
「持ちつ持たれつってやつだね」
伯父さんが茶々を入れるけど、それを無視して真久部さんは俺に頭を下げた。
「だから、うちの店を怖がらないでください。──必要なんです、きみが」
「真久部さん……」
「特に説明しなくても指示を忠実に守ってくれて、そのうえ自前の守りまで強い人なんて、そんな人材滅多にいないんですよ……!」
「……」
なんかがくっと力が抜けたけど、俺のこと買ってくれての発言だし。いいってことにしておこう。それって褒めて……褒めてくれてるんだよね? って、あ、いつの間にか閉店時間過ぎてるじゃないか。伯父さんめ。
「えっと、じゃあそろそろ……」
俺は時計を眼で示した。
「あ、そうですね。すみません。これ、今日のお仕事報酬です──危険手当付けておきましたから」
「……」
今日のアレって、やっぱり危険だったの、真久部さん? そう聞いてみたかったけど、伯父さんがにやにやしてるからやめておこう。隙あらば怖い話を聞かせようとする、この伯父さんが俺にとっての危険だ。きっとそういうことなんだ。
「それと、これ」
薄~く愛想笑いしながら領収書を書いて渡すと、その手の上に、ピンクのでっかいざらめ糖みたいなものが入ったガラス瓶をのせてくれた。
「バスソルトです。うちの仕事してて、何か不安なことがあったらお風呂に入れてください。それでだいたい大丈夫ですから」
ヒノキの香を切らせていて、花の香しかなくてすみません──。そう言われてラベルを見てみれば、これは薔薇の香りかぁ。独り暮らしのオッサンが、薔薇のかほり漂う風呂につかっちゃうのか……まあ、メインは塩だし、ご厚意だし。ありがとうございます、と受け取ると、悪戯な瞳で伯父さんが言った。
「もう帰っちゃうのかい、何でも屋さん」
「ええ。真久部さん戻られたし、閉店時間だし」
真久部さんはともかく、伯父さんとはあんまり長く一緒にいたくないなー、なんてそんなこと言えないけど。
「久しぶりに会えたんだからさぁ。せっかくだからどうだい? 三人で夕飯を一緒に」
寿司でも取るよ、とにんまり笑う。──いや、夜の慈恩堂に出前なんて、店の人が可哀想だからやめてあげて。
「ダメだよ、伯父さん。何でも屋さんはこのあと、犬の散歩が入ってるんですよね?」
真久部さんの助け舟にこくこくうなずく。残念だなぁ、という笑い混じりの声を聞ききながら、俺はジャケットを羽織った。ここに来たときの荷物もまとめる。外、寒そうだなぁ。
と。携帯に電話が。あれ? 吉井さん? これから散歩に迎えに行くグレートデンの伝さんの飼い主さんだ。寒そうなのと、まだちょっと店の外に出るのが怖かったんで、真久部さんに断って店の隅で電話に出た。
「はい。はいそうです。え──? あ、そうなんですか。はい──、はい。わかりました。またよろしくお願いします」
「どうしたんですか?」
なんとなくぼーっとしてた。ちょっと心配そうな真久部さんの声で我に返る。
「え? ああ。今日は吉井さん、息子さんが帰ってきてて、伝さんの散歩に行ってくれたんですって」
「そうですか」
と。今度はメール。間抜けな鳩時計の着信音が薄暗い慈恩堂の店内に響く。──なんか、嫌な予感。
「……」
「何でも屋さん?」
メールは、セントバーナードのナツコちゃんの飼い主さんから。ナツコちゃんがあんまり散歩に行きたがって、予約の時間まで待ってくれそうにないから、仕方なく今もう一緒に道を歩いてるって内容。
了解のメールを返してたら、また電話。慌てて出る。
「はい? あ、莉奈ちゃんのお母さん。お世話になってます。はい、はい。ああ、そうなんですか。お父さんのお迎えだったら莉奈ちゃんもうれしいですね。わかりました。それじゃあ、またよろしくお願いします」
犬二匹の散歩のあと、本日最後のお仕事になるはずのお迎えもキャンセルになってしまった。
「……」
前にもこんなことあったな。あれも、まるで伯父さんの都合に合わせるみたいに……。伯父さんの忍び笑いが聞こえる。
「もし、この後の予定が無くなったんなら、よく老人の話し相手をしてるみたいだし、私もお願いしたいんだけどねぇ……。どうです、何でも屋さん?」
ぞぞっ ぞぞぞぞぞーっ
今日一番の寒気が背中を駆け抜ける。真久部さんが何やら伯父さんに怒ってる声が聞こえるけど、もうどうでもいい。俺は帰る。帰るんだ。今帰らないと、夜の慈恩堂の道具たちと伯父さんのサバトの目撃者に……!
店の隅から帳場まで戻ってくると、真久部さんが本当に申しわけなさそうに謝ってきた。
「伯父がもう、すみません、何でも屋さん──」
この人はそんなものを目撃してもきっとマイペースを崩さないだろう、そう思いながら、俺は無言で荷物から取り出したあるものを手渡す。
「え? どうして日本酒──『桃の実』? 変わった銘柄ですね─」
桃の実は、魔除けになるという。これくれた笹井さんありがとう! 今度またこむら返りになったら、すぐに助けに行くから!
「ああ、そうか……」
真久部さんは俺の意図をわかってくれたみたいだ。困ったように笑ってうなずく。
「清酒と、桃。これはダブルで魔除け、厄落としですね。──ほら、伯父さん。もうあきらめて、素直に何でも屋さんを帰してください」
俺は黙って会釈だけして慈恩堂を後にした。硝子ドアを閉める瞬間、「ここは黄泉比良坂か!」と笑う伯父さんの声が聞こえたけど気にしない。
慈恩堂より今日の寂しい季節の客より、何より誰より真久部の伯父さんが怖い!