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たくさん遊べば 2017年12月2日土曜日の慈恩堂 5

「……!」


おおう、背筋がざわざわと……。じかに響いたんでびっくりした。やっぱり慈恩堂は心臓に悪い店だなー、と思いながら、お客が来たならドアを開けようかと思ったんだけど。


──今日は自分でドアを開けられないお客は、店の中に入れなくてもいいですから。


真久部さんの言葉を思い出した。


「……」


コンコン


そうしている間も叩かれる。いや、俺がこんなとこ立ってるから開けられないんだよ、うん。すみません、開けますね、とふり返ろうとして……どうしてだろう、硝子ドアの向こう、店の外に、誰がいるのか確認しちゃいけない気がした。


コンコン


えーっと。とりあえず、ここからどかないと。そう思うのに、足が動かない。


コンコン


慈恩堂のドアは外開き。取っ手を握って、向こう側から引っ張れば……。


コンコン


声を掛けてくれたらいいのに。そうしたら動ける。


コンコン


いつも静かに騒がしい慈恩堂の店内が、どうしてかしんと静まり返っている。何かとうるさい古時計たちの音も、今はかすかにしか聞こえない。


コンコン


空気が重い。いつも店に入ったとたん目に入る、布袋様の太った腹も心なしか艶を失っているみたいだ。


コンコン


荷物持ってて開けられないとか? それなら手伝うけど、ドアの向こうの人は何で何も言わないんだろう。


コンコン コンコン


いつでもあっち側から開けられるドアのすぐ前に、背中を晒して立っているのは怖かった。内開きなら良かったのに、そうすれば体重を掛けて開かないようにできるのに。


コンコン コンコン コンコン


もう叩くのは止めてくれ。自分で開ければいいじゃないか。それが出来ないなら、何か言葉を……。


あけて 開けろ あけてよ


「……っ!」


心臓が飛び跳ねた。


あけてよ~ 開けて あけろ


声じゃない。声じゃない。だって遠すぎる。ごうごうと、遠くで渦巻く風の音に似てる。胸の奥の奥、底のほうでざわざわと、響くそれは海鳴りみたいだ。心の深いところにある普段意識しない場所が、脆い硝子になったようにぐずぐずと崩れかける。とても頼りなくて、とても寂しい──。


 さびしい~ さみしい~

 寂しい


「……」


寂しくて、俺の声も出ない。ああ、寂しい。何かからどこかからもぎ離され、さまよい出て、どこへ行ったらいいのかわからない。何にもない。どこにもない。自分の居る場所は、居てもいい場所はどこだ? いつも疎まれ追い払われて……。


 寂しい 寂しい 寂しい

 さびしい~ さみしいよ~


そのうちどこかへ散らされてしまう。嫌だ、嫌だ。さみしい寂しい。妻と娘と別れた俺、リストラされた俺、いらない俺。逃げ帰ろうにも、父のいる母のいる、あの暖かい家には帰れない。あの日、二人とも殺されてしまって──。

 

 さみしい さみしい さびしい

 あけて~ あけてあけて 

 さびしい あけろ 開けて あけてさみしい


そうだ、双子の弟ももういない──俺と同じ顔、同じ声の、殺されてしまった弟、俺の半身。何をせずとも意識しなくても繋がっていた糸が、断ち切れたあの瞬間。ああ、そうだ、もう名前を呼んでも……。


 兄さん!


「あ……」


耳元で、弟が俺を呼ぶ声を聞いた気がした。







チックタックチックタック

チチッチチッチッ……

……チッ……チッ……


また古時計たちが好き勝手に時を刻んでる、ような気がする。


チッチチチ チッチチチ チッチ チッチチチ チッチチチ チチチチチチ

チッチッチッ チチチッチッ チッチッチッ チチチッチッ


機嫌が良さそうで何より。ちょっとうるさいような気もするけど、さっきみたいに静まり返っているよりはずっといい。


怪しい鯉の香炉、赤膚焼きの壺、浮世絵を貼り付けて仕立てられた枕屏風、ファイト一発な筋肉自慢の阿吽の仁王像、宝船に乗ってる七福神、貴石と銀で出来た梅の小枝、長い髭が引っ掛かりそうで近くを通るときは気を使う銅製の竜。怪しい仏像、神像たち。


いつもの慈恩堂だ。


俺はほっと息をつき、熱いお茶の入った湯飲み茶碗で指先を温めていた。足元の、帳場の掘り炬燵は暖かい。店の隅で何かの気配が息を潜めているような、そんな微妙な空気も感じなくはないが、どうってことない。さっきのアレに比べたら。


弟が俺を呼ぶ声を聞いた、そう思った瞬間。ドアの向こうの何かの気配が消え去った。硝子を叩く音もいつの間にか聞こえなくなっていて、俺はようやく動けるようになった。


それでもふり向いて、硝子ドアの向こうを見るにはなれなかったけど。


そのまま前を見て、ロボットみたいにぎくしゃく歩いて、ようよう帳場机の前に落ち着いた。そのとき耳に聞こえた古時計たちの自己主張の強い秒針の音に、どれだけ安心したかなんて──つけ上がらせそうな気がするから言わない。



指がかじかんで上手く動きません……。

もう少し切りのいいところまで行きたかった……。

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□■□ 逃げる太陽シリーズ □■□
あっちの<俺>もこっちの<俺>も、元はみんな同じ<俺>。
『一年で一番長い日』本編。完結済み。関連続編有り。
『俺は名無しの何でも屋! ~日常のちょっとしたご不便、お困りごとを地味に解決します~(旧題:何でも屋の<俺>の四季)』慈恩堂以外の<俺>の日常。
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