ある日の真久部さんその後の<俺> 2017年6月 1
※2017年12月1日加筆。2171字→2243字。内容に変化はありません。
空はクリームソーダ色。
今日も涼しい、というか肌寒い。六月だというのに。
でも、昨日のことを思い出すともっと寒い。何だったんだ、あれはホントに。真久部さんに叩かれて、バシッっと背中ではじけた、痛いほどの衝撃。
ショックだったのは、ここ数日の頭のはっきりしない感じ、妙な身体の怠さがその一瞬で吹き飛んだことだ。
いや、真久部さんと慈恩堂があやし……ゴホンゴホン、その、みょーに雰囲気あるのはいつものことだけど、うちの他のお客さんたちはさ。そりゃ、変わった人もいるけど、そっち系の人はいなかったっていうか。そっち系って何だ? って聞かれたら困るんだけど。
……
……
不思議なことって、変な言い回しだけどたまにけっこうよくある。でも、どれもランダムっていうか、誰もそんなこと企んでないっていうか、意図してないっていうか──、まあ、四つ辻のまじないみたいな良くないのもあったけど、あれだって特定の誰かを狙ったわけじゃなかったっていうか……。
俺自身を狙って、何か仕掛けられたのは初めてだ。
なんか落ち込む……。んー、そりゃ、真久部さんには今までだって散々怖い思いさせられてるよ? でも、ちゃんと分かってる。彼はいつだって臨時従業員たる何でも屋の俺の安全を、第一に考えてくれてるって。知らないほうがいいことは教えてくれない。けど、実際それで事が上手く運ぶ。それに、もしもの場合の備えだってしてくれてる。
「何でも屋さんなら大丈夫」って任された仕事で、良くないことに出合ったことはない。そりゃ、途中薄気味悪かったり不気味だったりはするけどさ。その後、変な夢見たり、妙な怪我をするような、いわゆる“障り”ってやつに遭ったことはない。
届け物を頼まれて道に迷ったり、時間がおかしくなったりなんてことは、あるけど……。でも、それはしょうがないというか、慈恩堂の仕事ならそれも想定の範囲内──って、俺、毒されてきたかな? だって真久部の伯父さんのほうが、タチ悪い……。
……
……
つまり、何ていうの? 俺の体質? 資質? それを真久部さんは便利に使ってはいるらしい。でも、それ以上のことはさせないというか、今回の新規客みたいに、表向き無害な仕事を依頼しておいて、俺自身も知らないあいだにおかしなことさせるようなのは、しかも“障り”のあるようなことは絶対やらせない。──そういう信用はあるんだ。人を使い潰す、みたいなのは、さ。真久部さんは絶対しないって。
良い(?)お得意様に恵まれて、俺、ちょっと油断してたかなぁ。でも、もろもろいろいろ気のせいかもしれないし、そうでないかもしれない。見えない世界のことは、やっぱり俺には分からない。そうなると自衛のしようもない。
歩きながら、俺は左手親指に目をやる。そこにはもう絆創膏は貼ってない。
昨日ざっくりやったはずの傷、無くなっちゃったんだよ。元々、本当に切ったのかってほど痛みがなかったから、狐につままれたみたいだけど。でも、こういう不思議、慈恩堂ではよくある。怪我したか? と思っても、帰ってみれば痕がなかったりする。その逆はない。害がないんだよな。
だから俺、イヤだな~、怖いな~、なんて某怪談の語り部みたいなことを言いながら、慈恩堂の仕事請けるんだ。──実は真久部さんが心配してくれるほど、あそこで悪いことは起きなかったりする。害のない怖いことはともかくとして。
でなければ、いくら手数料にいっぱい上乗せしてくれるからって、あんな怪しい店の仕事、引き受けるわけがない。俺は長生きしたいんだ、死んだ双子の弟のぶんまで。
それに、娘のののかの花嫁姿を見るまでは、俺は元気な身体でいなけりゃいけないんだ。娘に心配かけられないものな。孫の顔だってしっかり見るつもりだ。
別れた妻の許で暮らす可愛い娘の顔を思い出し、よし、今日も何でも屋稼業をがんばるぞ! と決意も新たに、これから将棋の相手にお邪魔する、神埼の爺さんに振る話題についてあれこれと吟味する。昔の子供の遊び方なんか聞いてみるのはどうだろう、“だるまさんがころんだ”なのか、“ぼんさんがへをこいた”なのか、大仏のご隠居がいたら白熱しそうだな、てなことをぼーっと考えながらお寺の駐車場のあたりまで来たら。
なんか、猫の変な鳴き声が聞こえる? “春”のときでもない、ケンカのでもない、でも普通ではない鳴き声。
枇杷の木の根元の草むらがごそごそしてる。もしや、事故にでも遭ってそこでうずくまっているとか? 気になって見に行ってみると。
猫が、紐でがんじがらめになっていた。
「みぎゃあ」
哀れな声で猫が鳴く。誰か人間に悪さされたみたいな感じでもないから、遊んでいて絡まったんだろうけど、これじゃあ自分で解けないだろうな、と思いつつ、取ってやろうとする。
「みぎゃあ、むぎゃあ……」
だいぶん弱っているようだ。
「ちょっと待ってろよ、いま外してやるから。ったく、何やってこんなんなったんだ、お前」
噛んだり爪を立てたりしてくれるなよ、と話しかけるも、助けを求めているくせに暴れようとするので、なかなか上手くいかない。こりゃあもう切ったほうが早いな、草刈りのときなら鎌持ってるのに……と思いながら、何か紐を切れるものは無いかとウエストポーチを探っていると。
昨日、慈恩堂で俺の手を切ってくれた肥後守が!
真久部さんが帳場の抽斗に仕舞ったはずの、あの骨董的価値のある逸品が、いつのまにどうして俺のウエストポーチの中に?
背中に、変な汗が浮かんぶのを感じた。
「前編」としたいところですが、キケンなので数字にしておきます。
今回は短い、はず……。