恋愛ゲームの歩き方
恋愛短編「恋愛ゲームの始め方」の続編、別視点です。
全国の山田 太郎さん、ごめんなさい(土下座)
渡瀬さんに付き添って生徒会室に来たけれど、集まったメンバーを見れば俺がどれだけ普通か良く判る。
少々強引だが、生徒想いで常に生徒の為にイベントや学生生活を運営し、女子生徒に絶大な人気を誇る生徒会長、桐澤 冬夜。
そんな生徒会長を影から支え、いざというときは生徒会長すらも叱りとばし、噂には親衛隊までいるといわれている副会長、垣崎 尚人。
中学時代は別のクラスだったが、性格は明るくムードメーカーで成績も優秀、スポーツも万能でその上優しいと評判の峰岸 勇太。
外見は校則違反をしているが、暴力を振るったとか、問題を起こしたといった話は全く聞かず、それどころか他校の不良に絡まれた俺を助けてくれたこともある渡辺 朱里。
そして教師陣から信頼の厚い風紀委員長で常に公平に物事を見極め、見た目は強面だが男らしい優しさを持つ従兄弟の山田 一佳。
会話から騒動の原因だと思われる女子生徒は学年が一つ上のネクタイを締めていて、渡瀬さんとはまた違った美少女だった。その女子生徒は一佳兄さんに対して何か説得をしているようだが、ゲームの話をしているようにも聞こえて要領を得ない。現に一佳兄さんは彼女の言葉を聞き流しているようだった。
「もういい加減にしてくれませんか」
我慢の限界だと背中から出てきた渡瀬さんだが、繋いだままの手は小刻みに震えているのが判る。きっと怖いのだ。詳しい事情は判らないけれど、さっき泣いたように再び傷付けられるのを恐れているんだろう。
だから俺は少しでも彼女が怖がらないように、小さなその手をしっかり握った。頭の中は泣かないで欲しい、悲しまないで欲しいと願うだけ。俺が傍にいたからといって何ができる訳じゃないけれど……
「だからもう二度と私に関わらないでください」
毅然と前を向き、涙に濡れた長い睫毛を振るわせた渡瀬さんの手が俺の手の中に更に入り込んでくると、いきなりとんでもないことを言いだした。
「それからハッキリ言いますが、貴方達は私の好みではありません」
これだけでも驚きだ。大概の女子生徒が彼等4人の彼女になりたいと願うし、彼女くらいの可愛い女子が彼氏として選ぶのも彼等のような格好いい男子だと思っていたのに。
驚きすぎて彼女を見ると、同時に渡瀬さんは頬を赤く染めて俺に顔を向けてきた。
「私が好きなのは貴方です、山田 太郎君」
その言葉にいきなり心臓が早鐘をならし、血液が沸騰するように全身が熱くなる。もちろん顔だって真っ赤だろう。こちらを不安そうに見つめる彼女と同じように。
「渡瀬……さん」
驚きすぎて、意外すぎて言葉が出ない。ただ彼女の涙に潤んだ大きな瞳や、泣きすぎて赤くなってしまった目尻や鼻、思わず告白してしまったというように引き結ばれるピンクの唇を俺は見つめ続けた。
「初めて見たときからいいなって思ってた。今日、いろいろ優しくしてもらって本気で好きになりました」
しっかりと合わされる視線は言葉以上の本気を伝えてくる。
「こんな泣き顔じゃなく、もっと知り合ってから告白するべきなんでしょうけど……それでも私と付き合ってくれませんか」
繋がれた手が熱い。頭の中は歓喜と混乱と不安が渦巻き、早く返事をしなくては……との焦りが更に俺の言葉をせき止める。昨日の入学式に外部の中学から入ってきた彼女を気にしている男子生徒は多かった。俺も、俺の友人達も、彼女の名前を知りたいと遠くで騒いでいた。俺達だけじゃない。今日のお昼を一緒に取った俺に大勢の男子生徒が押し掛け、彼女の話を聞きたがった。それだけ渡瀬さんは可愛い女子なのに。
今だってとても可愛い。泣いた跡の残る顔で俺を好きだと言ってくれた女の子が可愛くないはずがない。
ただ俺は自他共に認める普通の男子だ。今まで女の子と付き合ったこともないし、好きだと伝えたことも、言われたこともない。そんな俺が彼女のように可愛い女子に好かれる理由が判らないと……散々混乱した頭で考えたのがそれだった。
「俺はふ、普通だし、渡瀬さんは、かっ可愛いから……」
噛みまくりながら理由を聞こうとすると彼女の顔が曇っていく。そんな顔をさせたいんじゃないと焦る俺に、一佳兄さんの落ち着いた一言が降ってきた。
「太郎。返事は短く、だ」
それを聞いて頭に浮かんだのはたった一言。言い訳も詳しい話も飛ばして、今はこれだけ伝えればいいのだと最大の勇気を振り絞って口を開く。
「俺こそ、君が好きだよ」
小声で自信のない声に俺は頭を抱えたくなったが、そんな返事でも彼女は嬉しそうに……本当に嬉しそうに笑ってくれた。
「今日はもう遅い。詳しい話は明日聞くぞ。冬夜、いいな?」
一段落したところで一佳兄さんが事態を収拾してくれて、生徒会長が渋々肯いた。鞄を持った渡瀬さんと俺を一佳兄さんが守るように廊下に連れ出してくれる。途中峰岸君が渡瀬さんを呼び止めたようだが、振り返った一佳兄さんが小さく首を振って止めていた。
「君は寮通学か? 自宅通学か?」
昇降口についてから一佳兄さんが渡瀬さんに確認する。男子生徒に泣かされた彼女を一人で帰らせるわけにはいかないと気遣う一佳兄さんと慌てて肯く俺に、渡瀬さんは不思議そうに見返してきた。
「えっと『木蓮寮』です」
「それなら俺が送っていこう。太郎はもう帰れ。遅くなると危ないからな」
女子寮の名に一佳兄さんが一緒に校門を出る。道はここで分かれるのだ。俺は右、渡瀬さんと一佳兄さんは左だ。一佳兄さんが寮に入っているとは知らない彼女が一人で帰れると片手と首を激しく振っていたが、同じ方向だと諭されて納得したのか俺の方を見た。
「今日は本当にありがとう」
「気にしなくていいから。また明日」
「……うん!」
嬉しそうにはにかむ笑顔を見送りながら夢じゃないよなと、俺は自分の頬を抓ったのだった。
「行ってきます」
次の日。妙に朝早く起きてしまった俺はいつもより余裕を持って家を出ることにした。本心を言えば早く渡瀬さんに会いたかったのもあるが、それ以上に同じクラスの峰岸君と渡辺君を警戒していたのもある。どんな言葉を言ったのかは知らないが、彼等が渡瀬さんを深く傷付けたことだけは確かなんだ。
ドアを開けて門を出ると日差しの中を学校へと歩き出すと、少し早い時間のせいか学校に向かう生徒はまばらだった。
「あの……」
交差点で声を掛けられたのは家を出てすぐだ。振り返ると昨日生徒会室にいた2年生の女子生徒が小さくなりながら立っていた。長い黒髪を下ろし、少し垂れ気味の大きな目が俺を熱心に見つめてくる。渡瀬さんとはまた違うタイプの美少女は微かに頬を染めながらゆっくりと近付いてきた。
「昨日はごめんなさい。いろいろと誤解があったみたいで……私、冬夜たちがあんな風に彼女を傷付けると思わなかったの」
俺よりも頭半分ほど背の低い彼女が本当に済まなそうに俯くと、風に乗ってフワリと甘い匂いが漂ってきた。香水だろうか。なぜか安らぎを憶えて警戒していた心が少し緩まる。
「俺に謝っても仕方がないよ。傷付いたのは渡瀬さんなんだから」
昨日は訳の分からないゲームの話をしていた彼女だが、俺から渡瀬さんの名が出るとポロリと涙をこぼした。
「謝りに行ったの。でも会えなかった。誤解を解くこともできなかったの!」
そう言って顔を覆い泣き伏してしまう彼女を見ながら、誤解があるのなら解いた方が渡瀬さんのためにもなると思った。昨日、あんなに傷付いていた彼女の心の痛みが少しでも和らぐなら、それに越したことはないはずだ。
「判りました。一佳さんが放課後に生徒会長たちと話をするって言ってたから、その時に話したらいいよ。渡瀬さんにも言っておきますから」
いきなり彼氏面はできないが、友人として話を聞くようにアドバイスすることならできるはずだ。だが女子生徒はいきなり俺の腕を取って抱きついてきた。
「今日一日誤解させたままなんて彼女に悪いと思うの。お願い、ホームルームの前に教室に行って謝らせて」
涙を浮かべた目が請うように俺を見上げてくると、香水の甘い匂いが更にきつくなる。
「お願い。私に付き合って……」
腕が胸に当たって内心で動揺する。引き剥がそうとしても女子生徒の肩は華奢で、力を込めたら怪我をさせそうだ。そして鼻にかかった甘えた声は不安と寂しさに満ちていたけれど。
「すみません」
俺はそう言って彼女から腕をそっと引き抜くと、数歩下がって距離を取る。こんな可愛い先輩に頼られて男として悪い気はしないが、俺は昨日から自分の立ち位置を自分で決めていた。
『私がいたから両親が死んだって言われた。私が……私……』
その声は泣きすぎて掠れていたが、俺には渡瀬さんが酷いことを言われて自分が傷付いたから泣いたのではなく、もっと別の理由で悲しんでいるように聞こえた。
だから――
「俺は何も知らないから、何があっても渡瀬さんの味方になるって決めたんです。先輩には生徒会長や副会長がいる。本当に悪いと思うなら部外者の俺に頼らず謝罪してください」
縋るような眼差しを振り切るために頭を軽く下げると、一気に走り去ろうとして――女子生徒の言葉に足を止めた。
「なにも知らないからこそ、彼女は貴方を利用したのに」
深く淀んだ棘のある言葉に足を止めてしまったことを後悔する。名前も知らないような女子生徒の言葉を信じてしまう不可思議さもあるが、やはりそうなのかと自問自答もした。渡瀬さんのように可愛い女子が俺のような、どこにでもいるモテない冴えない男を好きになる方がおかしいのだ、と。
「彼女は冬夜や勇太たちの気を引こうとして、当てつけで貴方に告白したのに……それでも貴方は彼女の肩を持つの? 私だったら絶対そんなコトしないのに」
疑問を感じた心にスルリと入り込んでくる甘い言葉は、不安と疑念を大きく育て始める。
「私だったらそんな酷いことしないわ。他の男子を振り向かせるために、なにも知らない人間に告白するなんて……あんな大勢の前でいきなり告白したのがいい証拠よね?」
硬直した俺の背を女子生徒の手が撫でた。
「私は貴方の味方よ。だから私と友達になりましょう」
背中に密着しながら耳元で囁かれると、拳を痛いほど握りしめて歩行者信号が点滅する横断歩道を無言で走って渡る。その後ろで女子生徒が唇を大きく歪めて笑っているのも気付かなかった。
「おはよう! 山田! お前、あの上級生となに話してたんだよ」
信号が変わって追いかけられないのを確認して一息吐くと、歩いていた俺の背後から背中を叩いてきたのは同じ班の宗方だった。彼は中学からの同級生で、出席番号も近くなることが多く、気心の知れた友人だ。サラサラの髪を少しだけ茶色に染めた彼は俺の首に腕を回しながら声を潜めて話し出す。
「もしかして告白されてた、とか?」
「違う」
「そうだよな~。山田だもんな~。でもお前、今モテ期っぽいよな~。昨日渡瀬と一緒に昼飯食ってたじゃん」
「彼女の席の回り、男子ばっかりだろ? 困ってたようだったから誘ってみたんだよ。女友達が増えればそっちに行くさ」
そうだ。昨日のお昼は仕方なく俺と取ったんだろう。きっと告白も気が動転してて、ちょっと手助けした俺に恩を感じたからかもしれない。もしかしたら『吊り橋効果』ってやつに似たものかもしれないし、興奮していたせいで我を忘れていたのかもしれない。
「そうか? 渡瀬、お前のこと名前で呼んでんじゃん。あ~、俺も呼んでくれねぇかな~」
「あれ? 宗方の名前ってなんだっけ?」
「お前! それヒドくねぇ?」
学校に着くと内履きに履き替えながら冗談を言い合い馬鹿話を続ける。宗方は俺が落ち込んでいるのに気付いてわざと冗談に乗ってくれているのだから、本当に良いヤツだ。だがお陰で気分は浮上したし、頭が冷えて落ち着いてもきた。昨日の事はもう一度話さなければならないと思うが、渡瀬さんから逃げ出したい気持ちは小さくなっていく。
「おっす!」
宗方が挨拶をしながら教室に入り、続けて俺もドアから入って……それまでの逃げ出したい気持ちは一瞬で吹き飛ばされ、目を奪われた。机に座りながら窓の外を見ていた渡瀬さんが振り返って俺に気付き、遠目からでも判るほど頬を赤く染めると、にっこりと嬉しそうに微笑んだのだ。心情を素直に表した無邪気なほほ笑みを直視して俺も真っ赤になりながら口元を思わず押さえる。一緒に前を歩いていた宗方も、彼女の隣に座っていた峰岸君も、惚けたように硬直していた。
立ち止まってしまった俺達の横をクラスメイトが不思議そうな顔で通りすぎ、同じように疑問に思ったのだろう、渡瀬さんが首を横に傾げる姿にハッと我に返ると慌てて机へと鞄を置く。
「おはよう」
可愛らしさ10倍の声で嬉しそうに挨拶されれば、不思議なことになんだか素直に納得できた。昨日の告白は俺を利用するためのものじゃないと。
「おはよう。大丈夫か?」
朝の挨拶をしながら席に座ると、後ろを向いて気遣う。昨日の酷い様子を見ていれば仕方のない質問だったとは言え、もう少し気の利いたことが言えないのかと内心頭を抱えた。
「うん。今朝、目が腫れたくらいで……本当にありがとう」
それでも微笑む渡瀬さんは可愛い。この笑顔が俺に向けられるのなら騙されるのも悪くないと思えるから笑える。さっきはあれだけ落ち込んだのに、俺って調子のいい人間だったんだな。
「少しでも役に立てたのなら良かったよ」
自然と会話を交わしていた俺達だが、そこにクラスメイト達が乱入してきた。
「渡瀬さん。山田の事、名前で呼んでるんだろ? なら俺も太一って呼んでくれよ」
「なに言ってんのよ、山田! ダブル山田だから太郎君呼びなんじゃない! ごめんね、渡瀬さん。こいつらアホなのよ」
俺の前の太一と隣の樋口さんが話に入ってきて、そこに宗方も加わる。
「渡瀬! 俺も修二郎って呼んでくれ!」
「え? 名前の方が長いよね?」
いつの間にか渡瀬さんを呼び捨てにしていた宗方を彼女が笑って切り捨てるとガクリと項垂れる。笑いを誘うその姿に樋口さんの友達も入ってきて、渡瀬さんは楽しそうに笑っていた。
渡瀬さんが誰とお昼を食べるかで一悶着あったが(結局俺と彼女の周りの机をくっつけて、男女混合で食べた)、お陰で他の女子とも仲良くなったようだ。このクラスに他の中学から入学してきたのは彼女しかいなかったから、みんな気を使ったんだろう。野郎共は下心もあっただろうし。加えて昨日の放課後に泣きながら走る姿を何人かに目撃され、噂を聞いたクラスの女子達が憤慨しているという話を聞いて、早く席替えになるといいなと言うと少し寂しそうな顔をされた。
頼むから多大な期待を持たせるような仕草はやめて欲しい。
それと授業で班ごとの話合いがあった時の渡瀬さんは昨日と変わりなかった。峰岸君にも渡辺君にも普通に話しかけて話も聞いていた。けれど峰岸君が授業と関係のない事を話そうとするとフイッと顔を背ける。一瞬失われる表情に彼女がまだ傷付いているのを感じて俺は気遣うように笑いかけ、峰岸君は沈黙するしかないようだった。
「渡瀬さん。今日の放課後、一佳にぃ……一佳さんが生徒会室で何があったのか聞くって言ってたけどどうする?」
授業が終わり、ホームルームも終わって帰る準備をしながら話を聞くかどうするかと質問すると、怯えたような表情の渡瀬さんを目にした。後ろで成り行きを見守っている峰岸君と渡辺君も不自然に元気がなかったが自業自得だと割り切ることにする。
「太郎君」
少し青ざめながら名前を呼ばれ、話せるようになるまで待っていると、鞄を抱きしめた彼女が口を開いた。
「私も判らないの。どうしてあんな事を言われたのか。どうして会ったことのない生徒会長達や峰岸君達に嫌われるのか。理由が判らないのは怖いことだけど……私はあの女の先輩が一番怖い。会いたくないの」
今日のクラスメイトへの態度から、渡瀬さんが人見知りや話す人を選んでいるようには見えなかった。だから怖いというのは本心なんだろう。それを聞いて渡辺君は舌打ちしつつ不機嫌そうに教室を出ていき、峰岸君は悲痛な顔で俯いた。
その二人を見て俺はこのままじゃ駄目だと思った。俺は今回の事はなにも判らないけれど、少なくとも峰岸君と渡辺君は悪い人じゃないことを知ってる。二人は理由もなく人を嫌うような人物じゃないんだ。
「渡瀬さんが行きたくないのなら行かなくていいと思う。でも、できれば峰岸君と渡辺君の話は聞いてあげて欲しい。俺はクラスが違ったけど3年間同じ学校に通っていて、彼等の良いところも沢山知ってるから」
できればでいいんだと再度告げながら、それでも快活な峰岸君の今日一日の様子を見てつい同情してしまった。ムードメーカーでもある彼の元気がないとクラスの雰囲気にも影響したし、なにより過ちを悔いて立ち直る機会を与えて欲しかったから。
「時間はかかると思うけど判ったわ。でもその時は……」
俺の言いたいことを理解した彼女が肯くが、視線を泳がせて言葉の続きを言い淀む。
「俺で良ければ付き合うよ」
言いたいことが違ったら恥ずかしいな、と思いつつそう口にすると、渡瀬さんはみるみる頬を染めて安心したように微笑んだ。頼むから俺の精神力を削るようなそういう表情はやめて欲しい。もてない男子は女子に笑顔を向けられるだけで勘違いする生き物なのだから。
「それじゃ、一佳さんには欠席するってメールしておく」
そう言って視線を携帯端末に落としたときだった。
生徒のまばらになった教室に誰かが入ってきたと思うと突然左手を取られる。慌てて俺の腕を抱き込んだ人物を見れば、それは今朝会った女子の先輩だった。
「太郎君、待たせてごめんね? 生徒会室に行きましょうか」
青い顔をした渡瀬さんに非難するような視線を向ける女子生徒は、力任せに俺の腕を引っ張って教室から連れ出そうとする。
「先輩、ちょっと待って下さい!」
「あら。今朝、私と付き合ってってお願いしたでしょ? 約束はちゃんと守らなきゃ」
楽しくて仕方がないといった笑い顔に嫌悪感が先立ち、彼女の甘い匂いに思わず顔をしかめると、残っていたクラスメイトと渡瀬さん、峰岸君が見守る中で強引に腕を引き抜いた。
「どうしたの? 太郎君」
甘えた声で不思議そうに見上げてくる女子生徒の視線に、こちらを軽蔑するような嫌悪の感情が一瞬よぎった気がして、俺は一つ息を吐くと正面から彼女を見据える。
「名前も知らない先輩。俺は今朝、ちゃんと言いましたよね? 何があっても渡瀬さんの味方になるって」
睨むほどの根性はないけれど、真剣に見つめるくらいはできる。
「ええ、聞いたわよ。けれどその後の私の話も聞いていたわよね?」
言いながら女子生徒は媚びるような笑顔を浮かべるけれど、渡瀬さんの笑顔の方がずっと可愛いと思った。
「聞きました。だけどそれは俺と渡瀬さんの問題です。先輩は関係ありません」
言い切ると女子生徒の顔色がサッと変わる。その目に涙は浮かんでいるが、視線の種類は非難だけだ。彼女は悲しいんじゃなくて悔しいのだと判ると、頭の中がスッと冷えた。
「そんな言い方、酷い! 私は貴方の為を思って言ってあげたのに!」
まるで周囲の同情を買うかのように大袈裟に感情を振りまく女子生徒。けれどクラスメイト達は遠巻きに見ているだけで、なぜか峰岸君も近づこうとしない。それどころか彼は渡瀬さんを守るように立ち上がっていた。
「私はただ、貴方と友達になりたかっただけなのに……貴方の彼女が駄目だと言ったのね! 酷い人!」
一人で叫んで助けが来ないことを悟ると、女子生徒は渡瀬さんを睨みつけて走り去っていく。訳の分からない感情の波にさらされていた俺は、溢れ出た疲労感に教卓へと寄りかかるのと同時に周囲をクラスメイトに囲まれた。
「よく言った! それでこそ男だろ!」
「やべぇ。山田が格好いい。やべぇって!」
「何があったんだ?」
「渡瀬さん。大丈夫、私達も味方だからね!」
「っていうか太郎君、ちょっと格好良かったね」
「おい、山田! 彼女いるって本当かよ!」
男子は俺を、女子は渡瀬さんを囲みながら口々に叫び出す。一部関係ない突っ込みも混じっていたが、照れ笑いを浮かべて流すことにした。
クラスメイトの向こうにこっちを見て笑う渡瀬さんが見える。つられて笑い返せば、視線に気付いた連中が騒ぎ出した。
「おい……まさか、まさかだよな?」
「冗談だろ? 山田だぞ」
「え? なに? 俺、判んねぇ」
言葉と共に殺気だっていくクラスメイト達。俺と渡瀬さんを交互に見る彼等に、俺は付き合っているとは言い出せなかった。正直に言えばあの女子学生の言葉が気になっていたのだから。だから両手を上げ降参のポーズで沈黙する俺から、視線は徐々に渡瀬さんに向けられていく。
「渡瀬さん……」
誰もが突っ込んで質問できない空気を破って樋口が雰囲気だけで問うと、渡瀬さんは頬を染めつつもしっかり視線を上げて言い切った。
「はい。私は太郎君が好きです」
「「「「「えええええええ!!!」」」」」
直後に巻き起こる爆発的な叫び声と悲鳴。隣のクラスや廊下を歩いていた学生が何事かとのぞき込み、混乱止まないクラスメイト達はなぜか右往左往している。いや、その気持ちは良く判るが。
「山田だよ!? あの山田だぞ!!」
このクラスに山田はもう一人いるけどな。
「マジか! お前、どうやって!」
本当、俺自身も不思議だよ。だけど首を絞めるな、苦しいだろうが。
「嘘でしょ! 峰岸君なら判るけど!」
樋口さん、さすがにそれは酷い。
「渡瀬さん! 最近視力が弱くなってない?!」
佐々木、それはお前だ! いい加減眼鏡を掛けろ!
様々な叫びを聞きながら困ったように笑う渡瀬さんだが、他人に知られたことを後悔している様子はない。そしてそこで鈍い俺はようやく気が付いた。これはあの女子学生の言葉の答えなのだと。利用するつもりなら付き合うことを決して教えたりしないだろうと。
「俺が渡瀬さんと付き合うのがそんなに驚くことか?」
「「「「「「驚くわ!!」」」」」」
にやついてしまいそうになる顔を誤魔化すために話を逸らそうとすると、倍返しで返事が返ってきて、俺は地味にへこんだのだった。
峰岸君たちの描写がないのは太郎君の眼中にないから(笑) 視界に入っていても自分の事で手一杯の彼は峰岸君達に注意を払う余裕がないようです。
そして未だに出ていない『女子学生』のフルネーム・・・そろそろ出さないと呪われそうだ・・・