第六話 授業②
「他にアイデアがある人はいるかしら?」
「はい!」
次に手を挙げたのは波斬だった。波斬の能力は『泡』。泡を操る能力であり、実力学年順は15位で、成績学年順は下位である。水色の髪をしている美少女だ。
「よだれ少年の話がいいと思うの」
本当に波斬はよだれが好きなんだな。よだれの臭いを嗅ぐくらいだしな。
波斬はニコニコしていたが、つまらなそうな話にしか思えない。明日香もそう思ったのか、冷めた目で波斬を見ていた。
「つまらなそうだけれど、それはどういう話なのかしら?」
「よだれ少年はいつもよだれを垂らしているんだけど、両親はまったく叱らなかった。それどころか良い子だといつも褒めていたの。よだれを垂らしてもらわないと両親はとても困るのよ」
困るとはいったいどういうことだろうか? よだれなんて垂らすよりは垂らさないほうが良いはずだ。ただただよだれを垂れ流す少年の話かと思っていたが、どうやら違うようだな。
「よだれ少年のよだれは床に落下した途端、宝石へと姿を変えるの。両親はその宝石を売り、豪邸で優雅な暮らしをしているの。だからよだれ少年がよだれを垂らさなくなったら、家計は火の車になってしまうのよ。固定資産税も払えなくなるし、豪邸で過ごすこともできない」
両親にとって少年は金を生み出す道具でしかないわけか。金にはまったく困らないが、少年は幸福とは言えない。金のなる木としか見られていない感じがするし、愛情を注いでもらっていたとしても、あまり嬉しくはないだろうな。
「どうやらシリアスな話のようね。仮に少年がよだれを垂らすのを拒否したとしても、猿轡をすれば、自分の意思にかかわらずよだれは自然と垂れてくるし、一生飼い犬にできるわよね」
「……そ、そうね」
波漸は明日香の表情に若干引いていた。その気持ちはよくわかる。明日香の表情から察するに少年が猿轡をされている場面を頭に思い浮かべているはずだ。でなければよだれをジュルリとなんてしない。
少年を一生飼い犬にするという発想が恐ろしい。明日香らしくはあるけどな。
明日香は表情を切り替え、波斬に話の続きを促す。
「いつしかよだれ少年はよだれを垂らさなくなった。そのことに激怒した両親はよだれ少年に猿轡をしてよだれを垂らさせたの。そしてよだれ少年を一生飼い犬に……ってあれ?」
完全に明日香に引っ張られてるじゃねえか。そうなるともう波斬のアイデアではなく、明日香のアイデアだろ。設定と序盤から中盤までのストーリーが波漸で、終盤のストーリーが明日香という合作状態だ。……いや、合作じゃなくストーリー協力というやつか。別にどっちでもいいけどな。
「私がさっき言ったことを言っただけじゃない。私のアイデアに引っ張られてどうするのよ。本当はどういう話にするつもりだったのかしら?」
「えっと両親がよだれ少年によだれを垂らさせていたのは自分たちが優雅に暮らすためではなく、よだれ少年に豪邸を遺産として残したかったからなの。どれだけ働いても、固定資産税を払えるほどの金は得られないから、よだれを垂らさせていたのよ。そのことを知ったよだれ少年は深い愛情を感じながら、両親と幸せに暮らしましたとさ……といった話にしようと思ってたんだけど、明日香のアイデアの方が良い気がする」
俺としては波漸のアイデアの方が良いと思うけどな。波漸のアイデアは良い話なのに対し、明日香のアイデアは悪意がある。少年が一生飼い犬にされるのは何だか可哀そうだし、波漸のアイデアの方が断然良い。
「ちなみに豪邸の床は氷河よ。しかも全裸だから目のやり場に困る。氷河って露出狂だったのね」
波斬は汚らしいものでも見るかのように、俺に視線を向けてきた。勝手に俺を露出狂にしておいて、その目はないだろう。烈土だけじゃなく、波斬までも俺を登場させるとは思わなかった。
「俺を登場させるなよ! しかも全裸って何だよ! せめて服は着させてくれ!」
「烈土のアイデアの時に『せめて俺を登場させろよ』って言ったから、登場させてあげたのに、私の優しさがわからないの?」
波斬は非難するかのような目で俺を見る。明日香たちも非難の目で俺を見てくる。何でそんな目で俺を見るんだ? 俺は何も悪くないはずだ。悪いのは俺を雑に扱う波斬の方だろ?
「普通に登場させてくれるなら、俺だって怒らない。床役はまあ、許容範囲だ。だが、全裸はダメだ。全裸だと寒くて床役を果たせないじゃないか! 風邪を引いたらどうするつもりだ!」
「……何で床役はいいのよ。それに寒いとかの問題じゃないでしょ」
明日香は心底呆れたようにポツリと呟いた。
わかっていないな。床役だとじっとすればいいだけだ。しかし、全裸となるとじっとすることもできない。寒さで体が震えてしまう。床役をするには服を着ておく必要がある。
「出るからには全力でやるつもりだ」
「出るといってもこれは劇じゃないのよ。小説に登場させるだけなんだから、氷河は何もしなくてもいいのよ。地の文に『氷河はおいなりさんをビンビンに立たせながらも、全裸の状態で床役を全うしていた』と書けばいいだけだもの」
わかっていなかったのは俺の方だった。明日香の言うように、これは劇ではなく、小説の創作なのだ。俺が本当に全裸になる必要はどこにもない。地の文で俺が全裸だと描写すればいいだ……ん?
「っておい! 俺のおいなりさんをビンビンに立たせるな! そこは『氷河は全裸で床役を全うしていた』だけでいいだろ! 危ねえ、危うくスルーするところだった」
「反応が遅すぎるわよ。このまま何事もなくスルーされたらどうしようかしらとヒヤヒヤしたわ」
「……すまない」
俺は頭を下げて明日香に謝った。明日香は何も言わずに、往復ビンタしてきた。俺の顔がおかしかったのか、蘭たちは笑いをこらえていた。笑ってないで明日香を止めろよ。
俺は明日香の手を掴もうとしたが、体を動かすことができなかった。蘭が人形の腕だけを出現させ、俺が暴れられないようにがっしりと体を押さえていたからだ。俺じゃなく、明日香を押さえろよ。
「さて他にアイデアがある人はいるかしら?」
「ちゅちゅけりゅなよ!」
往復ビンタされながら言ったためか、『続けるなよ』がうまく言えなかった。明日香たちはゴミを見るような冷たい目で俺を見た。ビンタされてたんだから、うまく言えなくて当然だ。俺に非はない。というかいつまで往復ビンタを続ける気なんだ? だんだん頬の感覚がなくなってきたんだけど。
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