自由への扉
「やっと、やっと終わる。永かった・・・・・・」
40年の刑期を終える。明日の朝だ。男はその日、眠りにつく前に、そう独白した。辛く苦しい毎日を思い出すと涙が出そうになる。今日すべての務めを終えた。枕に頭を落とし就寝時間となる。しみじみと過去を振り返る。仲の良かった囚人仲間には別れの挨拶も済ませていた。二人しかいなかったが、涙を流して喜んでくれた。
明日以降の行動もすべて決まっている。まずはうまいものを食う。牛丼もラーメンもカレーライスでも何でも良い。酒も飲む。たばこも吸う。そして、ほろ酔い気分でふかふかのベッドで昼間からまどろむ。そして、これから何をしようかと楽しいことを考えながらゆっくり眠る。風俗に行こうか、パチンコへ行こうか、一人旅をして、その土地の名物の旨いものを食べ歩く、等々。あれこれと思いを巡らせる。
何をしてもよい。自由である。40年間夢に描いていたことが、明日から現実に起こる。いや、待て、今この瞬間が一番の幸せなのかもしれない。夢が叶った瞬間、こんなものかとがっかりすることはよく聞く話だ。だったら、今、この瞬間の幸福感を味わい尽くすことが重要だ。
男は、夢見心地のまま、人生で一番の幸福感を味わい尽くしながら、その日は眠った。
翌朝、男は、荷造りしておいた荷物の中身(といってもボストンバック一つであった)を確認し、部屋で一人、正座をして、看守が呼びに来るのを待っていた。同部屋の囚人は、午前中の作業に出かけていった。看守の足音が扉の前で止まり、重い扉が開いた。男は彼に従い無言で歩き始める。表情ににじみ出る微笑をこらえる方法があるのだろうか。眼を輝かせ、笑みを浮かべ、廊下を歩く男の足取りは、軽やかだった。
エレベーターの前で看守は止まり、上へ向かうボタンを押した。この建物の中に、エレベーターがあることは、男は今まで知らなかったが、封筒を渡され、最上階まで行くように促された。渡された封筒に入った書類を看守長に渡すように指示された。最後に、
「それで、釈放となる」と看守は言った。
男は少し不安な気持ちになった。看守長が書類の確認をして不承認となったらどうなるのであろう。しかし、承認されれば地獄の日々は完全終了となる。最後の審判に向かうような気持ちになった。永く辛かった刑期は昨日で完了となっていることは間違い無いので、書類上の手続きであろうと納得した。
「これで、すべてが終わる。最後の仕事だ」
男はエレベーターに乗り込み、最上階まで行った。最上階でエレベーターが止まる。扉が開いた。周囲を見回すと、事務机に座っている女性看守がいた。制服を着ているので刑務所内での事務担当者なのであろう。
「あの、この書類を看守長様にお渡しするよう言われてきたのですが」
男は持っている封筒を見せた。
「看守長はあちらの部屋にいます」と促された。その先には立派で重厚な扉があった。扉は彫刻が施されていた。男は3回ノックした。2回はトイレであることは知っていた。失礼があって、看守長の機嫌を損ねてはいけない。
「入りたまえ」と低い響きのある重厚な声がした。
男は、緊張して扉を開き、一礼した。看守長は部屋の奥にある大きな机に座っていた。
「失礼いたします。あの、この書類を看守長にお渡しするよう言われたので、持ってきたのですが」
男は歩み寄り、持っていた封筒を手渡した。看守長は封筒から中身を取り出し書類を確認した。男は非常に緊張していた。確認を終えると看守長は優しい笑顔になった。
「長い間のおつとめ、大変ご苦労様。これからは生まれ変わって、新しい一歩を踏み出してください。出口はあちらです」
と入ってきた扉とは別の扉に促された。どうやら、承認されたらしい。男は少なからずほっとした。
「長い間、お世話になりました。これから一生をかけて罪を償うつもりです。失礼いたします。ありがとうございました」
男は一礼し扉を閉めた。これですべて完了である。最後の大仕事もこれで完了した。フカフカの絨毯が敷き詰められた廊下は一本道で密閉されており、窓一つ無かった。歩いて行くと、大きな扉が見えた。小走りに扉に向かった。
(あれは自由への扉。あの先には自由がある)
男が勢いよく扉を開けた瞬間。真っ逆さまに崖から落下していった。海岸の岩場に打ち付けられた男の体は砕け散った。一瞬の出来事であった。ボストンバックが一つ、荒波にもまれながら浮かんでいた。
看守長は最上階の窓から美しい青い海を眺めて、つぶやいた。
「彼の肉体は有機物として、魚やエビやカニの餌となる。やがて腐敗してプランクトンを発生させ、海の命を育む栄養となる。彼は、生まれ変わる。輪廻転生だ。エネルギーは変わらない。形を変えるのみ。質量保存の法則だよ」
男は輪廻転生したのです。




