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第7話 二人の決意

「あら、まだ生きていたのね。しぶといこと」


冬の足音が聞こえ始めた季節。北棟の石床は、素足で歩けば体温を奪い去るほどに冷え切っていた。部屋に現れた義母ヴァネッサは、毛皮の襟巻きを優雅に揺らしながら、シャルロッテが寒さを凌ぐために必死に身に纏っていた、擦り切れて薄くなったショールを無造作に引き剥がした。


「お、お母様……それは、それがないと凍えてしまいます……」


「煤玉のような不浄な精霊を飼っている者が、贅沢を言うものではありません。これはエルザのサラマンダーの足拭きにしてあげますわ。火の精霊は汚れを嫌いますからね。無能なあなたと違って、エルザは我が侯爵家の次期当主候補なのですから」


ヴァネッサは、シャルロッテの必死の制止を嘲笑うように、そのショールを床に叩きつけ、わざと泥のついた靴で踏みにじった。さらにヴァネッサは、控えていたメイドが持っていたバケツの中の汚水を、シャルロッテの唯一の寝床であるベッドへとぶちまけさせた。


「ついでに、その薄汚い毛布も没収なさい。あなたに毛布なんて贅沢よ。……ああ、そうそう。お父様ともお話ししたのだけれど、三年後の『精霊品評会』に、あなたは出席させないことに決まったわ。我が家の恥を晒すわけにはいかないもの。あなたは死ぬまで、この北棟の影で腐り落ちるのがお似合いよ」


冷酷な宣告。 それは、シャルロッテが心のどこかで抱いていた「いつか自分の力を見せれば、認めてもらえるかもしれない」という最後の希望を、完膚なきまでに踏み潰すものだった。


ヴァネッサが嘲笑を浮かべて去っていった後、部屋には濡れたシーツの嫌な臭いと、芯まで凍みる沈黙だけが残された。


「……あ……、あ……」


シャルロッテは泥に汚れたショールを拾い上げようとしたが、指先が凍えて力が入らない。彼女は泣かなかった。いや、涙すら凍りついたようだった。


その背中に、私は影から滑り出してそっと寄り添う。


『……待って、シャルロッテ。私に任せて』


私は影を広げ、彼女の足元に転がっているショールと、濡れそぼったベッドを包み込んだ。そして、あの術を発動させる。


帰無(キャンセル)


シュン、という小さな音と共に、ショールにこびりついていた泥が消失し、ベッドのシーツを濡らしていた汚水も、まるで最初から存在しなかったかのように吸い出されていった。


「え……? ショールが、きれいに……。ベッドも、乾いているわ……」


シャルロッテが驚きに目を見開く。私はさらに、影の空間に蓄えていた本館の暖炉の「余熱」を、彼女を包む空気へと放出した。


『あんな女の汚れなんて、私がいれば一切残さないわ。……シャルロッテ、落ち着いて。さっきあの女が言っていた「精霊品評会」って、一体何なの?』


私の問いに、シャルロッテは力なく唇を動かした。


「……四年に一度、王家が主催する大規模な式典よ。十歳から十三歳までの貴族の子女が、自分の契約精霊をお披露目する場所。……お姉様は今十歳だから、三年後の品評会では十三歳。あそこで一番になって、自分が次の当主に相応しいって証明するんだって、お義母様もお姉様もずっと楽しみにしているわ……」


『なるほど。四年に一度、対象は十歳から十三歳……。だから姉妹で同じ舞台に立つ可能性があるわけね。……ねえ、シャルロッテ。あなたは今七歳。 つまり、次の品評会には本来あなたも出席するはずだったということね』


私の言葉に、シャルロッテがハッとしたように顔を上げた。


『あいつらはあなたを「欠席」させて、存在そのものを無かったことにするつもりよ』


「でも……お義母様が、私は出席させないって……。あいつらが認めない限り、私は会場にさえ……」


シャルロッテが不安げに私を見つめる。私は彼女の頬を影の手で優しく撫で、不敵に囁いた。


『あいつらの許可? そんなのいらないわ。あいつらが扉を閉ざすなら、私たちは影を伝って、その舞台の真ん中に直接降り立ってやればいいのよ。王族や高位貴族たちの前で、圧倒的な闇を見せつけてやるの。そうなれば、あいつらが何を言おうと世界があなたを放っておかないわ。許可を待つんじゃなく、既成事実を作っちゃいましょう。三年よ、シャルロッテ。三年の間に、とびきり美しい闇を私と一緒に作り上げましょう』


シャルロッテの瞳に、絶望ではない、鋭い意志の光が宿る。


「……そうね、クレール。何とかしてみせるって言ってくれるあなたのこと、信じているわ。私、もうあの日みたいには泣かない。……あいつらが私を影に閉じ込めるなら、私はその影で……あいつらのすべてを飲み込んであげる」


私たちはこの日から、数年後に訪れる「断罪の舞台」に向けて、静かに、確実に牙を研ぎ始めた。


それからの日々は、地道で過酷な「改造」の連続だった。


『集中して。私の影を、あなたの指先から心臓へと逆流させるイメージよ』


深夜の特訓。私は影の触手を極細の糸に変え、シャルロッテの魔力回路へと潜り込ませていた。


長年のストレスと恐怖で萎縮し、不純物が詰まった彼女の回路を、私の闇で「掃除」していく。


「くっ……ぁ……っ!」


彼女の細い体が大きく跳ね、脂汗が床に滴る。


本来、精霊が契約者の内側にこれほど深く干渉するのは禁禁だ。激しい痛みが彼女を襲うが、シャルロッテは決して私の糸を拒まなかった。


『ごめんなさい、もう少しの辛抱よ。……ほら、ここが詰まっているから「不発」になるの。この滓を、私が全部食べてあげる』


私の闇が、彼女の回路を塞ぐ「負の感情」を吸い取っていく。回路が通るたび、シャルロッテの精霊力は澄み渡り、かつてないほどの出力で私の核へと流れ込むようになる。


私たちは、精霊と契約者という関係を超え、文字通り「一心同体」のエネルギー循環を作り上げていった。


同時に、私は影の移動能力を駆使して、本館の調査も進めていた。


(……見つけたわ。ヴァネッサが領地の運営費を着服して、自分の宝石に変えている証拠。それに、シャルロッテの実母の死に関する不審な書簡も……)


影の中に潜み、ヴァネッサの執務室から重要書類を一時的に「拝借」しては、内容を記憶し、また影の空間にストックする。これらはすべて、三年後に彼女たちを地獄へ叩き落とすための武器になるだろう。


「ねえ、クレール。私、最近時々わからなくなるの。……本館の人たちの声が、なんだかすごく遠い場所から聞こえてくるみたいで。私を叩いたり笑ったりしていても、それは霧の向こう側の出来事のように感じるのよ。でも、こうしてあなたといる時だけは、自分がここにいるって、ちゃんとわかるわ」


ある夜、修行を終えたシャルロッテが、どこか縋るような、切実な瞳で私を見つめて言った。外界に対して完全に心を閉ざした彼女にとって、私の闇だけが唯一、深く呼吸のできる安息の場所となっていた。


『それでいいのよ、シャルロッテ。あんな連中の言葉に、あなたの心を使う必要なんてない。……私だけが、あなたの本当の味方なんだから』


私は影でできた手で、彼女の頬を優しく撫でる。三年後の品評会で、世界は知ることになるだろう。


無能と蔑まれた少女が、どれほど美しい「夜の女王」へと成長したのかを。

執筆の励みになりますので、続きを読みたいと思っていただけたら、ぜひブックマークよろしくお願いします!評価もいただけると嬉しいです。


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