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第5話 愉快な隠蔽生活のはじまり

「……っ、おはよう、クレール! なんだかとってもよく眠れたわ!」


翌朝。窓から差し込む埃っぽい光を浴びて、シャルロッテが弾けるような声で跳ね起きた。


いつもなら悪夢にうなされ、鉛のように重い体を引きずって起きる彼女が、今は頬を桜色に染めて目を輝かせている。


『おはよう、シャルロッテ。いい顔ね。昨夜は「悪いもの」を全部、私が預かっておいたから』


私がそう伝えると、彼女は不思議そうに自分の掌を見つめ、それからベッドの上にいる私をそっと抱き上げた。


「……なんだか不思議。こんなに体が軽いなんて、いつ以来かしら。ねえ、クレール。私、昨夜の間に何かが変わった気がするの。眠っている間、ずっと私を縛っていた冷たい鎖のようなものが……スッと消えて、代わりにとても深い静寂に包まれているような、そんな感覚だったわ」


『不思議じゃないわよ。別に何かを「与えた」わけじゃない。あなたの心をざわつかせていた悪夢や痛みを、ただ「無」に還しただけ。余計なものがなくなれば、そこには静かな眠りだけが残るでしょう? それが私の力の本来の姿みたい』


「えっ……クレールが悪夢を消してくれたの……?」


シャルロッテは驚きに目を見開き、私の核にそっと指先を触れさせた。


『そう。それにね、シャルロッテ。昨日であなたとの「パス」が完全に繋がったわ。これからは、あなたが供給してくれる精霊力を借りて、私が影の術を行使できる。……いわば、私たちが二人で一人の精霊術師になったようなものね。ほら、感じない? 私たちの繋がりが、昨日よりずっと強くなっているのを』


「二人で……一人の……。ええ、感じるわ。私の中から温かいものがあなたへ流れて、それが心強い力に変わっていくのがわかる」


シャルロッテは確信を得たように、愛おしそうに私を抱きしめた。


「いまなら精霊術が使える気がする……。ううん、正確には、あなたと一緒に歩むための『道』が見えた気がするの。これなら、私たち……」


(ええ。この子を縛っていた恐怖という重石は消えた。これからは私の闇が、彼女を守る盾にも矛にもなるわ)


私は彼女の喜びに応えるように、自身の影をアメーバのように床へ広げてみせた。


『ええ。もう何も怖がることはないわ。試しに、この部屋を少し整えてみましょうか。あなたの「願い」を私に預けてみて』


「……うん! お願い、クレール。 この埃だらけの床を、きれいにしたい!」


シャルロッテが私の体に手を添え、イメージを共有する。その瞬間、私の足元から伸びた黒い影が、数年分の埃やカビを音もなく飲み込んでいった。


「すごい……! 影が私の意思通りに動いてる……。クレール、私たち、本当にすごいわ!」


シャルロッテの目がキラキラと輝く。私は彼女の期待に応えるように、今度は影から小さな「触手」を一本だけ生やし、窓枠の汚れをサッと拭き取ってみせた。


『どう? 私の手にかかれば、窓の曇りなんて一瞬よ』


「ふふ、まるで有能な執事がついたみたいだわ。でも……」


喜びも束の間、シャルロッテはふと表情を曇らせ、窓の外――本館の方をどこか不安げに見やった。


「あまりきれいにしすぎると、お母様たちに『自分で掃除したならもっと仕事を増やしてもいいわね』って言われてしまうかも。本当はきれいなのがいいけれど、ここはまだ『汚い部屋』のふりをしておきましょう?」


『……。賢いわね、シャルロッテ。じゃあ、見えないところだけ完璧にしましょう』


私たちは顔を見合わせ、まるで秘密の悪戯を計画する共犯者のように、声を潜めて笑い合った。見た目は煤けているけれど、中身は不自然なほど清潔で快適。 二人だけの「秘密の聖域」の完成だ。


『さあ、掃除の後は栄養補給よ。昨夜、厨房から少しばかり「徴収」してきたわ』


私は、影の中から音もなく最高級のふかふかパンと新鮮な牛乳を取り出した。


「わあ……! これ、やわらかいパンじゃない!? クレール、いつの間に……。ふふ、食いしん坊な精霊さんね。お姉様たちが今頃、朝食が足りなくて怒っているかもしれないわ」


『いいのよ、あんなに太っているんだから。 さあ、半分こよ』


シャルロッテは久しぶりのおいしい食事を楽しみながら、私と「今日をどう生き抜くか」を作戦会議する。そんな平和なひとときをぶち壊したのは、やはりあの高慢な義姉だった。


「あら、無能のくせに随分と呑気な顔をしているわね。シャルロッテ!」


扉を乱暴に蹴開けて入ってきたエルザの手元には、昨日よりも一回り大きい火の精霊『サラマンダー』がいた。


「今日は訓練場へ来なさい。お父様がいらっしゃる前に、あなたの『煤玉』がいかに役立たずか、私の精霊術と比較して分からせてあげるわ」


……ああ、面倒くさい。けれど、下手に断って部屋を燃やされても困る。私はシャルロッテの肩に乗り、彼女の耳元でささやいた。


『シャルロッテ、いい? 怖がらなくて大丈夫。あの子に、ちょっとした「絶望」をプレゼントしてあげましょう』


「……ええ。頼りにしているわ、クレール」


屋敷の広大な訓練場。


「さあ、見ていなさい! 焼き尽くせ、サラマンダー! 火弾(ファイア・ショット)!」


エルザが仰々しく杖を掲げる。サラマンダーが大きく口を開け、膨大な精霊力がその喉元に集まる――その瞬間。


いまなら、あの小さな火の玉くらいシャルロッテの精霊力で跡形もなく消し去れる気がする。生み出された現象を強引に無へと引き戻す力。その確信と共に、一つの名が自然と脳裏に浮かび上がった。――『帰無(キャンセル)』。


「いっけえぇぇー!」


プスン……。


エルザの叫びと共に放たれたのは、情けない灰色の煙がひとすじ。


「……え?」

「プシュゥ……?」


エルザもサラマンダーも、呆然と固まった。控えていた使用人たちからも、「あれ?」「術の行使を失敗したのかしら?」というヒソヒソ声が漏れ始める。


『ふふ、いい気味ね。シャルロッテ、あいつの足元もちょっとぬかるませてやったよ』


私の囁きと同時に、エルザは足をもつれさせ、泥だらけの地面に尻餅をついた。顔を真っ赤にして叫ぶエルザを背に、私たちはそそくさと訓練場を後にした。


廊下を歩いていると、掃除をしていたメイドたちがこちらを見て、聞こえるように陰口を叩き始めた。


「……見た? さっきのエルザ様の不調。絶対にあの不吉な煤玉のせいよ」

「無能のくせに、存在しているだけで迷惑だわ。早く追い出されればいいのに」


シャルロッテの肩がピクリと震える。私は彼女の悲しみと共鳴するように、繋がったパスを通じて流れ込んでくる精霊力を使いスッと影の中に潜り、彼女の歩く先で偉そうに立ちはだかっているメイドの足元へ、庭から持ってきた小石を音もなく置いた。


「きゃっ!? 何これ……痛っ!」


派手な音を立てて、メイドが廊下で転倒する。手に持っていた雑巾入りのバケツがひっくり返り、彼女は自分が汚したばかりの水でびしょ濡れになった。


『おっと、解けそうよ』


慌てて駆け寄ろうとしたもう一人のメイドの靴紐も、両足結び合わせてやった。


「ちょっと、大丈夫――あ、れ!? うわっ!」


倒れた仲間に重なるように、彼女もまた、漫画のように前のめりになって派手に転がった。


「くっ……」


シャルロッテの口から、小さな、けれど確かな笑い声が漏れた。北棟の角を曲がり、誰にも見えない場所まで来ると、彼女は堪えきれなくなったように噴き出した。


「ふふ、あはは! ごめんなさい、クレール。さっきの二人、転んだりバケツを被っちゃったり……。なんだか、おかしくて笑いそうになっちゃった。……私、お姉様たちと同じ『悪い子』になっちゃったのかしら」


『何を言ってるの。当然の報いよ、シャルロッテ。一方的に殴られて耐えるのが「良い子」だなんて、そんなの間違ってるわ。あなたは、ただ自分の身を守って笑う権利があるだけ。……それに、悪いのは全部私よ。精霊がやったことなんだから、気にしなくていいの』


私の言葉に、シャルロッテは少し驚いたように目を見開き、それから今までで一番柔らかい表情で私を抱きしめた。


「……そうね。私、あなたの相棒だもの。これからは、あなたと一緒に少しずつ『悪い子』になっていくわ」


能ある闇の精霊は、爪を隠して影に潜むもの。シャルロッテと二人で「無能」を演じながら、私たちは、この冷え切った屋敷の影へと、静かに、けれど着実にその手を伸ばし始めていた。

執筆の励みになりますので、続きを読みたいと思っていただけたら、ぜひブックマークよろしくお願いします!評価もいただけると嬉しいです。


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