第3話 はじめての『友達』と、地獄を塗り替えるための誓い
召喚の儀式が終わり、父である侯爵に「視界に入れるな」と冷たく言い放たれた後。私はシャルロッテに抱えられ、侯爵家の本館から遠く離れた北棟の隅へと連れてこられた。
そこは、侯爵令嬢の居室とは到底思えない場所だった。窓は小さく、埃が舞い、家具は古びた椅子と小さなベッドだけ。下働きの使用人が使う部屋ではないだろうか。
シャルロッテは私をベッドの上に置き、扉の鍵を閉めると、そのまま床にへたり込んだ。
『……泣かないで。あんたのせいじゃないでしょ。むしろどいつも私が上級精霊様だってこともわからない無能ばかりなのね。 というか、この扱いは何なの? 掃除もされてないし、管理責任者は誰よ』
「……クレールは、変な子だね。……それに、クレールは『上級精霊』なの?」
『そうよ。闇の上級精霊。今は生まれたてで魔力が足りないからこんな姿だけど、本来ならひれ伏されて当然の存在なんだから……多分?』
私の言葉に、シャルロッテの頬がわずかに緩んだ。
「……そっか。私、ちゃんとお役目を果たせてたんだね。すごい精霊様を、召喚できていたんだ……私」
彼女は涙を指先で拭うと、姿勢を正して、私の目をまっすぐに見つめた。
「あらためて、自己紹介するね。私の名前は、シャルロッテ・フォン・ローゼンバーグ、7歳よ。このローゼンバーグ侯爵家の、本当は後継ぎになるはずだった子です」
小さな声だった。
(後継ぎになるはずだった…か)
『私はクレール。さっきあんたが名付けてくれた、闇の精霊よ。よろしく、シャルロッテ』
私たちは短い挨拶を交わし、その夜は眠りについた。
***
翌朝。部屋の扉が乱暴に蹴破られる音で、私は意識を引き戻された。
「いつまで寝ているの、この穀潰し!」
甲高い声。
現れたのは、派手な装飾品をこれでもかと身に纏った女――シャルロッテの継母だった。その後ろには、彼女にそっくりな意地の悪そうな笑みを浮かべたふくよかな義姉、エルザが立っている。
「おはようございます。……お母様、エルザお姉様」
シャルロッテは飛び起き、床に跪いて頭を下げた。その手足は恐怖のせいで小刻みに震えている。
「その薄汚い精霊を見なさい。侯爵家の恥さらしだわ。連れてきたのはただの煤の塊……! 召喚に使った魔石の代金さえ、今のあなたには払えないでしょうね…ああ勿体ない」
継母の扇子が、シャルロッテの細い肩を容赦なく打ち据えた。
シャルロッテは声を上げない。ただ、じっと床を見つめて耐えている。その虚ろな、感情を切り離したような瞳。
(……あ)
その瞬間、私の視界が激しく歪んだ。
耳元で、冷たくて乾いた夜風の音が聞こえる。勤めていたブラック企業のオフィス前、街灯の光の下で私を待ち伏せていた母の、憎悪と強欲に歪んだ顔が脳裏に張り付いて離れない。
『あんたが勝手にいなくなってから、うちは火の車なんだから!』
『お兄ちゃんの借金はどうするつもりなの! あんたが働いて返しなさいよ、親不孝者!』
『あんたが我慢すれば済む話でしょ? 家族なんだから、助け合うのが当然でしょ!』
搾取。否定。訴え。そして絶望。
必死に積み上げた努力も、削り取られた心も、あの人たちにとっては一円の価値もなかった。
人間としての尊厳なんてどこにもない。私はただ、彼らの生活を支えるための、名前のついた「財布」に過ぎなかったのだ。
肺が潰れるような息苦しさ。どれだけ叫んでも届かない、あの夜の無力感が全身を支配する。
いま、目の前で跪いている少女は、かつての私だ。誰にも助けを求められず、自分の価値を否定され続け、ただ嵐が過ぎ去るのを待つことしかできない、無力な私そのものだ。
『……ふざけないでよ』
ふつふつと、黒い怒りが足元からせり上がってくる。それは悲しみではなく、理不尽に踏みつけられた過去の自分を救い出そうとする、激しい衝動だった。
「何よ、その不気味な煤玉は。……黙って見ていれば、さっきから汚らしく蠢いて。エルザ, このゴミを少し掃除してあげなさい」
「ええ、お母様。ちょうど昨日、火の精霊の新しい術を覚えたところなの」
エルザが指先を鳴らす。サラマンダーから小さな火球が、ベッドの上の「私」に向かって放たれた。
(――防げ! 弾け! なんでもいいから!)
焦った私は必死に念じた。けれど、生まれたばかりの私には、力の使い方がわからない。体の中の精霊力は暴れるだけで、何の形にもならなかった。
「……っ!」
直後、私の視界が覆われた。シャルロッテが、私の前に飛び出してきたのだ。
ジュッと、布が焦げる嫌な音がした。火球は彼女の古びたドレスの袖を焼き、白い腕に赤い火傷の痕を残して消えた。
「あらあら、ゴミがゴミを庇ったわ。滑稽ねぇ」
「お母様、見て。あの煤玉、何もできないみたいよ。本当にただの役立たずね」
継母とエルザは、痛みに耐えてうずくまるシャルロッテを見下ろし、嘲笑う。二人は満足げに扇子を揺らしながら、高笑いと共に部屋を出て行った。
残されたのは、静寂と、焦げ臭い匂いだけ。
『……なんで、庇ったりしたのよ』
私の声は、怒りで震えていた。
シャルロッテが傷ついたことへの怒りじゃない。何もできなかった自分への、どうしようもない苛立ちと、情けなさだ。
上級精霊? 笑わせる。ただの無力な毛玉じゃないか。
シャルロッテは、赤く腫れた腕をさすりながら、弱々しく微笑んだ。
「……だって、クレールは私の大切な、初めての『友達』だから」
その言葉が、私の胸を抉った。
こんな目に遭わされてもなお、この子は私を守ろうとしたのだ。私を「役立たず」や「煤」としてではなく、一人の『友達』として。
『……シャルロッテ。顔を上げて。私を見て』
私の低い、けれど熱を帯びた声に、シャルロッテが弾かれたように顔を上げた。
『あなたが「出来損ない」なんかじゃない。あなたに召喚された私が、それを一番よく分かってる。……おかしいのは、あんたの価値を認めない、あいつらの方よ。いい、シャルロッテ。私と一緒に強くなりましょう。レベルアップして、この地獄を私たちが塗り替えてやるのよ』
シャルロッテの瞳に、初めて小さな火が灯った。それは絶望に耐えるための光ではなく、戦うための、静かな怒りの火だ。
「……っ。……クレール」
彼女は震える手で、私のモフモフした体をぎゅっと抱きしめた。その腕の力強さが、私たちの「共闘関係」の始まりだった。
『いいわね、シャルロッテ。反撃の準備よ。……正直、今の私に何ができるか、まだ全然わからないけれど。まずは何ができるか、二人で一緒に探してみましょう。見てなさい、この「闇」の使い方、私が絶対に見つけてあげるから』
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