第15話 二人の未来
数年の月日が流れた。
前侯爵の不実な運営により領民の貧困が深刻な問題となっていたローゼンバーグ侯爵領は、今や王国で最も治安が良く、そして「弱者に優しい土地」として、その名を広く知られていた。
窓の外からは、今日も元気に走り回る子供たちの声が聞こえてくる。
「ローゼンバーグ侯爵様、今回の『全寮制無料学校』の建設プランですが、クレール様から提案のあった『給食制度』と『定期検診』を導入することで、就学率がさらに向上する見込みです」
「ありがとう、ヴィンス。……子供たちが健康に学べる環境は、何よりも優先して。私の領地から、読み書きができないために不当な扱いを受ける人をなくしたいの」
執務室では、美しく成長した当主シャルロッテと、相変わらず無表情で有能な補佐官ヴィンスが、山のような書類と格闘していた。二人のデスクワークは、もはや一つの芸術のような手際だ。
私はと言えば、窓辺のソファに横たわり、影を自在に操る力で優雅に紅茶を淹れていた。
『あーあ。人間って、どうしてこうも書類が好きなのかしら。私の前世の知識を、この世界の行政システムに落とし込むだけで精一杯だってのに』
私は数年前、自分が別の世界で人間として生きていた記憶を持っていることを、シャルロッテとヴィンスの二人に打ち明けていた。 シャルロッテは「クレールのいた世界は、すごいのね」と微笑んで受け入れてくれた。
一方で、鉄の補佐官ヴィンスはと言えば――。
「クレール様。あなたの『前世』とやらが実在するかどうかは私の管轄外ですが、その知識が有用である以上、最大限に活用させていただきます。……さあ、次の『社会保障制度』の草案を出してください」
驚いたことに、この男は私の正体を知っても全く動じなかった。むしろ「出所不明の画期的なアイデア」よりも「異世界の蓄積されたデータ」として扱う方が、彼にとって合点がいったらしい。
おかげで、私の記憶にある「公衆衛生」や「義務教育」といった概念は、ヴィンスという超高性能な翻訳機を通して、驚異的な速度で領地の礎となっていった。
「クレール様。例の『夜警システム』の報告書も届いています。昨夜も、路地裏で商人を脅そうとしていた不届き者が、巨大な影に睨まれただけで自ら騎士団に自首してきたとか」
『ふん、当然ね。私の影を見せて、少しばかり「恐ろしい未来」を幻視させてあげただけ。物理的に排除しなくていいのは楽でいいわ』
今や私は、領地の「影の守護者」として恐れられつつも、同時に「闇の中で子供を守る銀髪の精霊」として、領民たちから深い感謝を受けていた。
「クレール、お茶ありがとう。……ねえ、見て。さっき、学校の子たちが摘んできてくれたんだよ」
シャルロッテが、書類の手を止めて、花瓶に生けられた一輪の花を指差した。
「幸せだね。……あの離れの冬があったから、今の温かさがこんなに愛おしいんだと思う。……ねえヴィンス、あとの半分は、明日一緒にやりましょう? 今日はもう、三人でお茶にしたいな」
「……。左様でございますね。侯爵様の集中力も限界のようです。では、あと五分でこの項を締めましょう」
ヴィンスが珍しく僅かに口角を上げ、眼鏡を押し上げる。
『……フン。人間はやっぱり面倒くさいし、書類は多いし、私の休みは全然増えないけれど』
私はカップをもう一つ、影を使ってヴィンスの前に置く。 シャルロッテを支える補佐官と、彼女を慕う領民たち。 そして、どんな時も彼女の隣にいる、唯一無二の精霊である私。
『あの子がこうして笑ってるなら、悪くないわね』
私はふっと微笑み、忙しくも充実した執務室の空気に身を委ねた。 窓の外からは、保護された子供たちが元気に遊ぶ声が響き続けている。
影は光があるからこそ存在し、光は影があるからこそその輝きを増す。 私たちの物語は、これからもこの夜明けのような領地と共に、どこまでも続いていく。
(完)
短いお話でしたが、お付き合いくださりありがとうございました!
1/28の20:30から、新作を投稿してゆきます。
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