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第11話 逆転の伏線

さかのぼること数時間前――。


王都の喧騒は、私たちが過ごしてきた離れの静寂とは無縁のものだった。馬車の底、冷たい影の中から這い出した私たちは、まずは侯爵家の目から逃れるために路地裏へと身を潜めた。


「……やっと、自由になれたね。クレール」


シャルロッテが、少し汚れた指先を払いながら王都の空を見上げる。その瞳には、恐怖ではなく、これから始まる「お返し」への期待が灯っていた。


「ええ。でも、まずはその格好をどうにかしないとね。品評会に相応しい姿にならないと」


私たちは、本邸から拝借してきたずっしりと重い革袋を手に、王都でも指折りの高級仕立屋へと向かった。侯爵家が私たちに一銭もかけなかった三年間。その分、この袋の中身を使い切ることに一片の躊躇いもなかった。


しかし、店内に並ぶどんなに高価な既製品も、私たちの求める「闇」には程遠かった。


「……ベースとなる最高級の黒絹だけ買いましょう。あとは、私たちの術で仕上げればいいわ」


私の提案に、シャルロッテは力強く頷いた。


私は店主に十分な代金を支払い、最高品質の「真夜中の絹」を一反いったん買い取ると、そのまま王都の裏通りにある目立たない安宿へと向かった。人目を避けるように一室を借り、私たちはその薄暗い部屋の奥へと籠もった。


「まずは、汚れを落さないとね。シャル、じっとしてて」


馬車の底で浴びた泥や埃が、私たちの肌や髪を無残に汚していた。私は指先に意識を集中させ、シャルロッテの体を覆う汚れの分子一つ一つに干渉する。


三年間、精霊力の精密操作を極めた私にとって、物理的な汚れを「帰無キャンセル」して霧散させることなど、造作もないことだった。


私の指先が触れるそばから、黒ずんでいた彼女の肌は雪のような白さを取り戻し、埃っぽかった金髪は月の光を吸い込んだような輝きを放ち始める。清め終えると、私たちはようやく本番に取り掛かった。


ここからが、私たちの三年の集大成だ。


私はシャルロッテから溢れ出す濃密な精霊力を受け取り、それを極限まで細く、鋭く練り上げていく。三年間、指先の神経をすり減らして身につけてきた精密操作。私は影を「糸」へと変質させ、買い取った絹の繊維一本一本に編み込んでいった。


「――完成よ」


出来上がったのは、光を一切反射せず、見る者の視線を吸い込むような漆黒のドレス。


人の手による刺繍ではなく、影そのものが模様となって布の上を流動的に揺らめいている。それは、この世のどんな名工でも到達できない、魔法と技術の結晶。


汚れを完璧に拭い去り、このドレスを纏ったシャルロッテは、彼女自身が夜の静寂を司る精霊の申し子のような、気高くも恐ろしい美しさを手に入れていた。


次に向かったのは、品評会の受付だった。案の定、そこでは一悶着があった。


「シャルロッテ・フォン・ローゼンバーグ様……? しかし、ローゼンバーグ侯爵家からは、重病につき参加辞退との届け出が既に受理されていますが」


受付にいた騎士は、困惑した顔で名簿を指差した。


義母たちが勝手に送った「重病につき参加を辞退する」という偽りの返信。彼女たちは、あらかじめ私たちの出口を塞いでいたのだ。


「ええ、ですからこうして、回復したことを証明しに参りましたの。招待状はここにありますわ」


シャルロッテが、三ヶ月前に本邸へ届いた際、私たちが密かに回収しておいた正当な招待状を差し出す。騎士がそれを受け取り、首を傾げて名簿と照らし合わせ始めた。


「おかしいですね……確かに招待状は本物ですが、辞退の届け出との整合性が……」


騎士が名簿を捲り、奥の責任者に確認しようと視線を逸らした瞬間だった。


「……行きましょう、クレール」


私たちはその場の影にスッと沈み込んだ。驚いた騎士が顔を上げたとき、受付の前にはもう、夜風が吹いたような冷ややかな気配が残っているだけだった。


「……影渡」


厳重な警備も、会場を仕切る重い扉も、影の中にいる私たちを止めることはできない。私たちは誰にも気づかれることなく会場の深部へと侵入し、華やかな光の届かないステージの真下、深い影の中でその時を待った。


頭上から響くのは、エルザの傲慢な声と、彼女が放つサラマンダーの爆音。けれど、その響きは耳を覆いたくなるほどに不安定で、荒削りなものだった。


クレールとしての私の感覚が、エルザの精霊力の危うい揺らぎを正確に捉えていた。まともに基礎的な操作の訓練すら疎かにしてきた者が、ただ虚栄心を満たすためだけにあんな無謀な出力を出すなんて……!


『……シャル。あの子の火は、自分自身のプライドで肥大化しすぎて、もう限界だわ。自壊するのも時間の問題ね』


私は影の中でシャルロッテの手を握った。


『エルザが失敗し、会場が絶望に包まれた瞬間。そこが、あなたの舞台』


「わかってる。……お姉様の火を、私の影で包んであげる」


シャルロッテの返答は、どこまでも穏やかだった。


侯爵家に見捨てられ、病死したことにされようとしていた少女。彼女は今、自分を消し去ろうとした者たちの「影」となり、彼らを救い、その後ですべてを塗り替えるために、静かに闇の中で牙を研いでいた。


そして、エルザの叫び声が聞こえた。絶叫と熱風が会場を包んだその時、私たちは影の底から、光り輝くステージへと一気に浮上したのだった。

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