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第6話

 柏木書店がある居無井町は、文字通り四方を山に囲まれ、昔から交易の街道から微妙に外れた場所にあったことから、人も住まない土地という意味でこの名前がつけられたらしい。

 台風や地震などの災害に強い土地だったことが幸いし、鉄道の鈍行が経由するようになってからは移住者がわずかに増えたが、都市部へ出るには乗り換えを駆使して一時間半、車を使っても一時間はかかる。ただゆったりとした時間だけが流れる町だった。

 その居無井町に観光客が溢れるようになったのは、六年前のある事件がきっかけだった。

 隕石がふたつ、町に落ちたのである。

 ひとつは町の南部にある大竹山に落下した直径5メートルの隕石で、山頂に小学校の運動場くらいのクレーターを作った。

 もうひとつは直径50センチほどの小さな隕石だったが、こちらは柏木書店の目と鼻の先にある溜め池に落下した。

 死者・負傷者ともに出なかったのをいいことに、町の人間は商魂逞しくふたつの隕石が残した爪痕を名物として町おこしに利用。元々四季折々の景色を楽しむことができる土地だったので、「隕石の落ちた町」としてそこそこ人気の観光地となっているのだった。

 実はこの隕石落下には不可解な点が多く、超常現象やオカルトなどのスーパーミステリーマニアにも人気のスポットになっているのだが……。

「はぁ……」

 入口のガラス越しに見える溜め池の中央、これ見よがしに作られた隕石を祀る小さな社を横目で見ながら、僕は小さくため息をついた。

「おい。ふざけんなよ、お前」

 コミック誌の売場を手直ししていた僕に、中学からの悪友である小嶋仁志がメンチを切りながら詰め寄っていた。

「なにが?」

 とりあえず、目を合わせずにとぼけてみる。

「なにが、だぁ⁉︎ 中高のダチ公がアバンギャルドを夢見て都会へランナウェイする中、お前だけは俺と一緒にモテない人生をひた走ると思ってたのに」

 言い回しが古い。

 仁志は血の涙を流しながらカウンターの方をビシッと指差した。その先には、おばあちゃん相手にレジの接客をがんばっているアイラさんがいた。

「ありえねぇ……俺に一言の相談もなく、あんな美人と結婚してただなんて。俺たち一生独身でいようって誓い合ったマブダチじゃなかったのかよ!」

「してないよ。結婚も、そんな約束も」

「いいや、信じねぇ! 見ろ、デマでこんなに町の人間が集まるわけねぇだろうが!」

 僕はまたため息をもらす。

 いつもはお客さんが四、五人しかいない午前中の店内に、物見遊山な近所の常連客がアイラさんを一目見ようと集まっていた。

 おばちゃんよりもおじちゃんの方が数が多い。エロ親父どもめ、チラチラとアイラさんへ視線をやるくせに、買うのはビジネス雑誌や教養新書だったりするから恐れ入る。いつもは僕がレジのタイミングを狙ってグラビアがメインの週刊誌や成年雑誌を買っていくのに。

 そんな中、定期購読しているバイク雑誌をいつも通り購入していく仁志はブレない漢である。

「ありがとうございました」

 アイラさんにふわりとスマイルを向けられ、でへへと鼻の下が伸びているのはいただけないが。

「めちゃくちゃいい子じゃねぇーかよ」

 わざわざ僕のところまで戻ってきて、仁志はなおも続けた。

「いい子って……アイラさん、僕らよりも年上だからな」

「落ち着いた大人の女性が時折見せる可憐な少女の一面……そのギャップがたまんねぇーんじゃねぇか」

 やっぱりこいつもダメだ。

「お前……あんな美人と毎晩毎晩くんずほぐれつしてんのかよ」

「……………」

「あぁーッ! やっぱりか、てめぇーッ!」

 違う違う。

 本当に覚えてないから困っているだけだ。

「とにかく、恋人じゃねぇっつーのは信じねぇからな。シフト被ったら卓郎からも聞き出してやる」

「お好きにどうぞ」

 軽く手を上げて出ていった仁志を見送った後、僕は品出しを再開した。

 実際、アイラさんはすこぶる優秀だった。初勤務からまだ四日目だが、すでにレジ周りの作業はほとんど完璧にこなしていた。素直だし、要領もいい。厳しい部分もある朝のベテランスタッフ三名には早くも気に入られている。

「圭さ……店長」

 カウンターを横切ろうとした時、アイラさんに呼び止められて僕は足を止めた。台車を脇に寄せて、カウンターの中へ入る。

「どうしました?」

 アイラさんはじっと僕の顔を見上げていた。

 ドキッとして、目線を彼女のおでこに逸らしてしまう。

「あの……笑い方は、大丈夫でしょうか? 私、あまり笑うということに慣れていなくて……」

「あぁ」と僕は頷く。少し硬い感じがするのは、実は僕も気になっていた。

「口だけじゃなくて、こう、目の方も笑顔にできるといいと思います。……なんて、人に言えるほど僕も上手いわけじゃないですけど」

 ふむふむ——と、アイラさんはエプロンのポケットからメモ帳を取り出し、書き込んでいく。

 本当に、僕はこんな真面目な人に、手を出してしまったんだろうか。つまり、お互い裸だったわけで、そのぅ……気持ちのいいことを、してしまったんだろうか?

 最悪だ。雇ったばかりの従業員に襲いかかるなんて、職権濫用も甚だしい。穴があったら、たとえそれが凶暴な蛇やサソリの巣だったとしても入ってしまいたい……。

 その時、小さい男の子を抱っこしたお母さんがレジへやってきた。

「いらっしゃいませ」

 僕に言われたことを意識したらしい、お会計が終わった後、アイラさんは目配せをするようにその母子へ笑いかけた。

「おねーた、ばいばい」

 男の子がアイラさんへにこっと笑いかけ、手を振ってくる。

 アイラさんはわずかに両目を見開いたが、すぐにやわらかい笑顔で小さく手を振り返した。

「きれいなお姉さんだったねぇ」

 親子を見送ってから、アイラさんは僕の方を振り返った。

「少し、できた気がします」

 アイラさんがうれしそうに、僕に満面の笑顔を見せる。

 無邪気な少女のような。

 それは——。


 天使の笑顔だった。

 

 瞬間。

 僕の胸の奥が「とくん」と跳ねた。

「う……あ……」

「店長……?」

 言葉にできない。

 初めて知った。人間の目からは本当に火花が出る。

 接客中とは明らかに異なる、心からの笑顔。

 マズい。

 これは本当にマズい。

 僕は。

 彼女のこの笑顔を。


 僕以外の誰にも見せたくない——と、思ってしまった。

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