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第52話

 水筒のコップに入れた麦茶を代わりばんこに飲んだ後、僕とアイラさんは同時にほぅと一息ついた。

「いい景色ですねぇ」

 展望台にはいつも人がいないことで有名な大竹山だが、桜が満開になるこの時期だけは隣町からも人が押し寄せてお祭り騒ぎになる。山道が緩いこともあり、駐車場から展望台への道中には屋台が立ち並び、展望台の広場も子供連れのファミリーやカップル、友だちと連れだって来た学生たちで溢れていた。

 小さな町だ。あたたかな風に舞う桃色のパノラマ。その向こう側には、僕らの柏木書店も見下ろすことができる。

「圭様が生まれ育った町」

 二人鉄柵に体を預けながら、アイラさんは感慨深そうに呟いた。

 アイラさんは花柄のワンピースに薄手のセーターを羽織っていた。今日のためにわざわざ買ってくれたものらしい。

「柏木書店はいつからあるのですか?」

「祖父の代からですね。元々は土建屋の従業員の住み込みアパートを曽祖父が管理していたらしいんですが、火事で焼けてしまったらしくて、その跡地で祖父が始めたんだそうです」

「居間に飾ってある写真の?」

「そうです。祖父と祖母はおしどり夫婦で、仲がよかったみたいです」

 父と同じで、祖父は寡黙な人だった。

 むしろ印象に残っているのは祖母の方で、よく家の縁側で絵本の読み聞かせをしてくれたのを覚えている。少し悲しい結末の時は、目一杯僕のことを抱きしめてくれる人だった。

「そういえば、姉が祖母にそっくりなんですよね」

「凪様が?」

「祖母の若い頃の写真を見たことがあるんですが、めちゃくちゃ似てました。気が強そうなところとか、破天荒なところとか」

 祖母が万引き犯をタコ殴りにして警察に突き出しているのを何度か見たことがある。

 まだ本がよく売れていた時代のことだ。

「お会いしてみたかったです」

「そうですね。僕はおばあちゃん子だったから、アイラさんのこと、紹介したかったな」

「ちょっとちょっとそこのおにーさん。美味しい焼きそば食べてかない?」

 背後から聞き慣れた声がして、僕はこめかみに指を当てた。

「リア、お前……」

 振り返ってみて仰天する。リアの服装がメイド服だったからである。

「まぁ」

「なんで外でそれを着てるんだッ!」

「目立つし、客寄せにいいだろ、これ?」

 準備があるからと車に残ったから何をしていたのかと思えば、これに着替えていたらしい。

 僕はリアの肩越しに奥の屋台を覗き込んだ。

 そこでは、白い七分袖のはっぴを着た仁志がバカでかい鉄板で大量の焼きそばを作っていた。

「仁志も止めてくれよ……」

「ちょっとスカートが短すぎる気がすっけど、いいんじゃねぇの、祭りだし。コスプレっつーんだろ、こういうの?」

「はい、どいたどいたー」

 リアにお尻で思いきり突き飛ばされ、僕はたたらを踏んでよろめいた。

「むぐ……」

 しかし、確かに客寄せの効果は抜群で、仁志の屋台の前には行列ができていた。

「大人気ですね」

「うちもこれくらいお客さんが来てくれるといいんですけど」

 桜祭りの日は町からほとんど人がいなくなるので、今日は甲斐田さんたちに頼んで柏木書店の方は夕方には閉店してもらうことになっている。

「私もしてみたかったです」

「えぇっ⁉︎」

「あ、いえ、屋台です。あの服装は圭様の前以外ではしませんから」

 メイド服姿のアイラさんに群がる男ども。そんな想像をパッパッと手で払いのける。

「半分くらいリア目当てで並んでそうですね」

「いいじゃないですか。明日にはこの町を離れなければならないんですから」

 アイラさんと僕に課されている愛の試練。

 実はその試験は今日で終わりで、アイラさんとリアは一度天界に戻ることになっていた。

 リアが言うには、アイラさんと僕は「合格」ということらしい。

 リアが経過を見にきたこと以外は特段難しいこともなく、このままあっさり終わりそうなことに僕は拍子抜けしていた。

「ホントに、一日だけなんですか?」

「はい。報告さえ終われば、戻ってこられます。私はお店の方が心配です」

「店は父と母が手伝ってくれるので、それこそ心配しないでください」

 僕のお腹が鳴って、僕らも仁志の屋台の焼きそばをベンチに並んで食べた。

「外で食べるご飯もいいですね」

「はい。おいふぃです」

 口元に青のりをつけながら、もぐもぐと目を輝かせるアイラさんはかわいらしかった。

 それから僕らは、のんびり散歩がてら何軒かの屋台を回った。アイラさんは特にベビーカステラに感激したらしく、ほむほむと口に放り込んでは感嘆のため息をもらしていた。

「これは名作です。まだまだ知らないものがたくさんありますね!」

「今度家で作ってみましょうか?」

「ふぁっ⁉︎」

「お店みたいにはできないですけど、ホットプレートのたこ焼き焼き器で代用できると思うので」

「はぅ……! うれしいです、圭様っ」

 アイラさんに抱きつかれて、周りにいた家族連れやカップルの目が一斉に僕へ向けられた。

「いや、これは、その……!」

 彼女の手を引いて、慌てて場所を移動する。

 手をつなぐのは人前でも自然にできるようになった。いろんな屋台に一喜一憂するアイラさんを見ながら、僕は彼女を、もっといろんなところに連れていってあげたいと思った。

 年を重ねても、同じ景色を見せたい。見ていたい。

 そういう感情は、どう言葉にすればいいんだろう。

「はわぁ……っ」

 アイラさんはその屋台を視界に捉えた瞬間、子供がおもちゃをおねだりするような表情で僕の方を振り返った。

「やります?」

 くじ引きの屋台だった。紐を選んで、その先に繋がっている景品がもらえるというものだ。

 まぁ、だいたい残念賞しか当たらないわけだけど。

 綺羅星の如く両目を輝かせるアイラさんに、そんなことを言えるわけがなかった。

 人の良さそうなおばあちゃんに千円を渡して、アイラさん、僕の順番で紐を選んだ。

 ……何が当たったのかは、屋台の脇に設置されたカゴからおもちゃを選んでいるこの現状でわかってもらえると思う。

「色々ありますね♪」

 しかし、アイラさんは上機嫌だった。

 僕は早々に虹色の吹き戻しを選んだ。息を吹き込むと伸びて戻ってくるあの笛だ。リアにあげれば喜ぶだろうという心積もりだったが、アイラさんがまたキラキラした目で見つめてきたので、前言撤回、彼女にあげることにする。

「あ……」

 楽しそうにカゴの中を物色していた彼女は、それを手にした瞬間言葉を詰まらせた。

「あ……」

 と、僕も声をあげる。

 それはおもちゃの指輪だった。

 光を反射して光るだけの、ごっこ遊び用のシンプルなおもちゃ。

 僕はまだ、アイラさんに装飾品の類をプレゼントしたことがなかった。

「これでも、いいですか?」

 頬をほんのり薄紅色に染めるアイラさんに、僕はコクコクと頷いた。

「あの……つけたいな、なんて」

 コクコク。

「つけてほしいなぁ〜……なんて」

 コクコクコク。

 屋台の脇で、僕はアイラさんの左手を取った。

 そこではたと気がつく。

 いったい、どの指にはめればいいのだろう?

 アイラさんは恥ずかしそうに俯いている。

 しばらく逡巡した後、僕は彼女の中指におもちゃの指輪をそっとあてがった。

 その時。

「おい、展望台にメイド服の女の子がいるらしいぞ!」

 駐車場から駆け上がってきた数人の大学生らしい集団に背中を押されて、僕は前のめりになった。

「わわっ!」

 アイラさんに抱きつきそうになって、慌てて離れる。

 あれ、指輪は?

「圭様」

 指輪は、アイラさんの左手薬指におさまっていた。

 指が細いから少し緩そうに見えたけど、そんな些細な心配は、うれしそうに目を細める彼女の表情を見た瞬間、どこかに吹き飛んでいった。

「すいません! あの……薬指、で」

「んーん」と彼女は首を横に振る。

「とっても、うれしいです」

「へへ」と照れ笑いを浮かべながら、彼女は右手の吹き戻しをぷーと吹いた。

「今度、ちゃんと……。ちゃんとした指輪、プレゼントするから」

 キザなことを言った。

 桜の花びらと共に気持ちも舞い上がった僕は、だからアイラさんの瞳の奥に寂しさの影があることに、また気がつかなかった。


 彼女の喘ぎ声に比例するように、僕の呼吸も荒くなっていく。

「あっ……圭っ」

 なでるようにアイラの上半身を愛撫した後、僕は両手を彼女のやわらかな丘の上から腰へと移動させた。

 彼女を少し持ち上げ、激しく自分自身を律動させる。

「あ! んん! あぁッ!」

「はぁ……はぁ……」

「一番、奥……で……」

「うん」

 しがみつき、恍惚とした表情の彼女の唇を乱暴に吐息でふさぐ。

「ふ、ん……んんっ……」

「ふ、う……!」

「んん……!」

 僕の下腹部が下品にビクッと震えた瞬間、アイラは両足を僕の腰に回して、離すまいとした。

「ふ、ぁ……圭……」

「は……ぁ……アイラ……」

 あぁ、まただ。

 彼女を僕で満たした歓喜と、彼女を汚してしまった後悔が同時に去来する。

 離れようとする僕の髪を、アイラの両手がやさしくかきむしる。

「まだ、だめ」

 アイラはなおも抱きついたまま、僕の頬をなでた。

「圭がいつも最後にする、ふにゃってした顔、好き」

「そんな顔してる?」

「うん。終わった後のやさしい顔も好き」

 アイラは僕の頬に両手を添えて、チュッチュッとキスを繰り返した。

「本読んでる時の顔も好き。接客してる時も、帰ってから名前を呼んでくれる時も、全部好き」

「僕も……アイラ」

 好き——よりも、もっと違う言葉を伝えようと思った。

「あ、あい……その……」

「?」

「あ、ああい、し……」

 ダメだ、うまく形にならない。

 体を重ねて、あんなことやこんなことまでしているのだ。いまさらキザな台詞のひとつくらい、言えなくてどうする。

 そう思うのに、ちゃんとした場で伝えたいと思う自分がいる。

 たとえばそれは、彼女に正式に指輪を贈る時——。

「圭?」

「あ、あい……アイ、ラ。僕も好き、だよ」

「はいっ。私も大好きですっ」

 その夜、僕らは初めて、二人抱き合ったまま朝までの時間を過ごした。桜祭りの打ち上げから帰ってきてからも一人姉の部屋で寝てくれたリアには感謝しなければならない。

「行ってきます、圭様」

 次の日、夕方までの勤務を終えたアイラさんとリアは天界へと戻っていった。

 そして、次の日になっても二人は帰ってこなかった。


 軒先で音がして、玄関のドアを開く。

 そこにいるのは鳥や近所のおばあさんで、僕はため息を残して家の中へ戻る。

 そんなことを、もう五回も繰り返している。

「朝っぱらから何回も外に出て。なにやってるのよ、まったく」

 母さんが台所から顔を出しながら言った。

「だって、帰ってこないんだよ。心配じゃないか……何か事故でもあったのかも」

 天界にスマホなど通じるわけがない。

 僕は連絡手段を確認しておかなかった自分自身を呪った。

「帰ってこないって……誰の話してるの?」

「誰って……一緒に住んでたじゃないか。彼女の親戚の子だって、昨日紹介したばっかりなのに」

「だから、誰の話をしてんのよ? あんたの彼女は洗面所でしょうが」

 え……?

「あんた、寝ぼけてんじゃないでしょうね。まぁーた仕事のしすぎなんじゃないかしら」

「いや……え? ちょっと待って。だって、彼女は……名前、は……」

 一緒に住んでいた。

 面接に来て、採用することになった、あの人の名前は……。

 ——そんな人がいただろうか?

「もう。開場に間に合わないから、早く支度しなさい」

「おばさま、お待たせしました!」

 その人は、洗面所からぴょんと跳ねるように出てきた。

「あの子ったら、グスグスしてるみたいでごめんね。お弁当できてるから、店まで連れていってくれるかしら」

「任せてください! 今日は私もシフト朝からですから」

 彼女はリビングから持ってきたカバンを僕に向かって差し出した。

「圭ちゃん。貴重品入ってるんだから、忘れちゃだめだよ」

「あ、あぁ……」

 しなやかな黒髪のロングヘアー。たれ目がちだけど、意志の強い瞳。

 そうだ。

 父が入院先から帰ってきて母の手が回らないから、彼女がお手伝いとして僕の家に一緒に住んでくれているんだった。

「いこっ、圭ちゃん!」

 美琴は僕に向かって、弾けるような笑顔を浮かべた。

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