第44話
「仁志のとこで働きたいって言ったら、マズいかな?」
夕食の後、唐突にリアはそう言った。
僕とアイラさんがポカンとした表情をしていると、リアは顔を赤らめながら顔を背けた。
「ごめん、やっぱ忘れて」
「何時くらいから?」
僕は真面目に訊き返した。
「夜の七時くらいから、人手が足りないって仁志がぼやいてて……。ほら、おばちゃん腰が痛くて注文とか取りにいけないって言ってたから、手伝ってあげたいなって」
「働いておいでよ。こっちはお昼中心に入ってもらってるんだから、無理ない範囲で掛け持ちすればいい」
「そうです、リア。色々なお仕事を経験することは、人間界をよりよく知ることにも役立ちます」
「迷惑じゃ、ないかな?」
その台詞は、柏木書店にとって、という意味ではなく、仁志に気をつかわせないかという意味だろう。
「あいつは変なおべっか使うような器用なことできないから、『困ってる』って言ったってことは、本当にリアに助けてほしいんだと思うよ」
「そっか……。じゃあ、仁志に伝えてみようかな」
「うんうん」
「それに、あたしがいない方が、二人でゆっくりできるだろ?」
「え?」
リアは眉根を寄せて僕を睨みつけた。
「だぁ〜かぁ〜らぁ〜。圭のこと、お姉様の恋人として認めてやるって言ってるんだよ」
僕とアイラさんの頬にポッとピンクの明かりが灯った。
数日後。
リアが仁志の店で働く最初の日。
出かけ際にリアは僕に耳打ちした。
「お姉様と圭の経過観察は『良好』で天界には報告した」
「それは、ありがとう」
気をつけろよ、とリアは続けた。
「本来の『愛の試練』は、人間同士の恋愛模様をあたしたち天使が観測するものなんだ。だから、本当はあたしみたいな観察官が途中で派遣されることもない」
「え?」
「お姉様と圭みたいに、観測者である天使が自ら相手の人間と試練の当事者になったことは、過去にも一度あったみたいなんだけど……」
リアはしばらく言い淀んだ。
「試練に合格した後、その天使と相手の人間がどうなったのか……記録が残ってないんだ。あたしもお姉様と同じで、ヴァルキリーから愛課に転属になって日が浅いから、詳しくはわからないんだけど」
「それは……」
「まぁ、あたしも引き続き残るけどさ。お姉様のこと、よろしく頼んだぞって話。調子に乗って泣かせたりしたらただじゃおかないからな」
リアが玄関を出た後、しばらく妙な沈黙が流れた。
数週間ぶりに訪れた二人だけの時間が、なんだか気恥ずかしい。
隣で両手を後ろに組んだアイラさんが、じーっと僕の顔を見上げている。
「あー……お、お茶でもいれて、本でも読みますか?」
じぃー……っとこちらを見つめるアイラさんの頬が、なんだか少し赤い。
「お茶も、本も、素敵ですけど……」
小鳥のように、ごにょごにょと彼女の口がとがる。
わかってる。
わかってるんだ。
リアがアルバイトに出かけたからって、朝までってわけじゃない。時間は限られてる。
僕は思いきって、アイラさんの腰を抱き寄せた。
「あ……」
「アイラ」
それだけで、彼女の表情がへにゃっと崩れた。
「はい……」
「この間は……夜、ついてきてくれてありがとう。うれしかった」
「いいんです、そんなこと」
へ、部屋へ。
これから、僕の部屋で……!
口をパクパクさせている僕の頬にキスをして、アイラは僕の頭をなでた。
「圭は、がんばったから。だから……」
ご褒美あげるね——。
「ぅ……え……?」
艶やかなアイラの唇から、僕は目が離せなかった。




