第43話
車外に出たアイラさんとリアが翼を広げる。
駐車場の街灯に照らされた二人の天使の姿はひどく幻想的だった。
雪のピークは過ぎているように思われたが、それでも窓から流れ込む冷気で、車内はあっという間に冷え込んでいく。
「アンドレ」
「アイオン!」
続いて、二体の精霊が犬と猫からマキシマムな白い巨人へとその姿を変える。
毎回思うけど、ギャップが酷すぎるだろ……。
「先に行きます、お姉様」
「お願いね、リア」
アイオンを伴ったリアが夜空に舞った。
常人のスピードではない。僕に向かって親指を立てたリアは、あっという間に峠の山の向こうへ見えなくなった。
「あの……新刊だけ運んでくれてもいいんですけど」
「それはダメです。圭様を一人残してなんて、いけません」
腹を括るしかなかった。
「アンドレ、座標確認」
アンドレの頭がいかがわしいお店の看板のようにビカビカと光った。アイオンと交信しているらしい。
「窓は閉めた方がいいですか?」
「ええ、そうしてください」
フロントサイドの窓が閉まりきる直前、アイラさんは僕に向かって微笑んだ。
「大丈夫。圭様は私が守りますから」
アイラさんの笑顔を信じて、僕は両手で強くハンドルを握り締めた。
「いきなさい、アンドレ」
「クイィィィーンッ!」
以前、居無井町の山頂に巨大なクレーターを穿ったアンドレのアイビームが、前方の夜空へ向かって発射される。
眩い閃光と共に発生した重い衝撃波が、車体を横方向へ激しく揺らした。
極太のレーザー光線は夜空を切り裂き、分厚い雪雲を放射状に吹き飛ばしていく。
「すごい……」
まるで特撮やSF映画のような光景だ。
でも、呑気に関心している暇はなかった。
アンドレが車体を持ち上げる。アイラさんは翼を大きく広げて浮かび上がった。
「うわッ!」
「いきますよ、圭様」
「は、はいッ!」
「ロオォゥリィィーング……」
アンドレのくぐもった声が不気味に響く。
僕は両足を踏ん張ってハンドルにしがみついた。
直後。
アンドレは居無井町への家路を阻む山々の上空に向かって、僕の車をぶん投げた。
「ストオオォォーンズッ!」
ただの力技だ。
シンプルすぎだ。無茶苦茶だ!
前方からとんでもない負荷がかかって、僕の体は運転席に背中から叩きつけられた。
「ん……ぎ……ぎ……!」
ロケットエンジンを思わせる速度で、車は直線的なドライブラインを描いて上空していく。
「落ち着いてください、圭様」
アイラさんの声が耳元でやさしく響いた。
そういえば、どうしてさっきから車外にいるはずの彼女の声が聞こえるんだろう?
それに、加速のGはすごいけど、車の揺れ自体は少ない。
かたく閉ざしていた瞼を開く。
窓の外を見ると、慈愛に満ちたアイラさんの表情にぶつかった。彼女はフロントドアに手を添えて、僕をあやすように微笑んでいた。
彼女が衝撃を軽減してくれているのだと、僕にはすぐにわかった。
アイラさんが広げた右手の指先を追う。
「う、わぁ……」
眼下に広がる広大な夜景。峠から居無井町にかけては薄暗いが、遥か遠方の都市部には深夜にもかかわらず無数の明かりが煌めいていた。
雲と同じ高度。
これが、彼女たち天使が見ている世界なのか。
それは一瞬の光景だったけど、僕の心を強く打った。
そして、アイラさんやリアが僕とは違う世界の住人なのだということを、改めて思い知らされた。
「次、いきます、圭様」
車体が揺れて後方を振り返ると、アイラさんの元へ瞬間移動してきたアンドレが右腕を振り絞っていた。
「う……」
「サバイバアアァァァーッ!」
チュ! ドッ! と鈍い炸裂音がした。
アンドレの剛腕から繰り出された張り手が車を押し出す。気づいた時にはもう、車体は斜めに急降下を始めていた。
「ぎゃああぁぁぁーッ!」
「大丈夫です、圭様!」
確かに揺れは少ない。が、内臓が浮き上がる。
マッハで迫り来る地上を眺めながら、僕はジェットコースターが死ぬほど苦手だったことを思い出した。
——し、死ぬ……ッ!
山肌を滑るように落下していく。
道の駅の手前、歪む視界の先で、リアとアイオンが両手を広げて待ち構えているのが見えた。
「よし、来い、圭!」
「うわああぁぁァァァーッ!」
アイオンの筋肉質な胸板がフロントガラスを埋め尽くす。アイオンは空中でバックステップをしながら、車を抱きかかえた。
「アイオン、防御フィールド!」
「バアァァーミアァァーンッ!」
彗星と化した車はアイオンを地面まで押し込んだが、アイオンは着地と同時に勢いを殺しながら踏みとどまった。リアの足元で、ギャリギャリと削れたアスファルトが二本のラインを作っている。
「はぁ……はぁ……」
緩やかに停止した後、アイオンは車をそっと地面へおろした。
居無井町の道の駅の隣。予定通りの着地地点だった。
「空の旅は楽しかったか、圭?」
フロントドアを開けたリアが覗き込んでくる。
「おかげさまで……」
僕が何かをしたわけではないのだけど、たった数分でへろへろになってしまった。
「ありがとう、リア、アイラさん。アイオンとアンドレも、助かったよ」
「へへー、まぁお姉様とリアちゃんがちょっと本気出せばこんなもんよ」
「圭様ッ!」
「ふげッ!」
リアを押し飛ばして、アイラさんが僕に抱きついた。
「大丈夫ですか⁉︎ お怪我はありませんか⁉︎」
「リアとアイオンがしっかりキャッチしてくれたので、大丈夫です」
「本当ですか⁉︎ 圭様に何かあったら、私……!」
深く抱きつかれて、さすがに照れる。
鼻の下を伸ばしていたら、殺気だったリアの視線に気がついて、僕はアイラさんの背中に回そうとしていた両手を引っ込めた。
OLらしいお客さんが会計を終えて店を出た後、田丸さんは辻君の手を取ってピョンピョンと飛び跳ねた。
「すごーい、一冊ずつ売れたね!」
「そっスね」
今夜のうちに町を出なければならない田丸さんは、お昼からの出勤だった。
夕方から出勤の辻君とは一時間しか被らない。二人は並んでレジに立っていた。
レジカウンターから見える入口の一等地には、二人が企画したコミックとその原作の単行本が、お手製の拡材付きで多面陳列してある。
間に合って本当によかった。
僕は売場の奥で発注をしているアイラさんと、休みだけど様子を見に来たリアに頭を下げた。
大雪の翌日のわりにはいつもよりお客さんが多く、田丸さんの最後の一時間は慌ただしく過ぎていった。二人の企画した商品は、朝からこれまで数冊ずつ出ていた。ご当地の作品でもないのに、片田舎の書店でこれだけ売れれば上出来だろう。
やがて、時計の針は六時を刻んだ。
「じゃあ、あがりますね、店長」
「うん。引っ越しで大変なのに、ギリギリまで働いてくれて本当にありがとう」
田丸さんは辻君に横目で視線を送ったが、彼は彼女の方を見なかった。
「荷物、整理してきます」
田丸さんが休憩室に行っている間、僕はレジカウンターの辻君の隣に立った。
「辻君」
「……………」
前を向いたまま、僕は言った。
辻君も前を向いたままだった。
「僕らは本屋なんだ。田舎の小さい本屋だけど、君や田丸さんのおかげで、ここは物語で溢れてる」
「……………」
「一生に一度くらい、僕らが好きな小説やマンガの主人公みたいに、カッコつける瞬間があってもいいんじゃないかなって、僕は思うよ」
僕は辻君の肩をポンと叩いた。
「店長……」
「後悔のないようにね」
田丸さんが休憩室から戻ってきた。
アイラさんとリアも集まってくる。
「預かるよ、エプロン」
僕が田丸さんの手元を指差す。
「あの……このエプロン、もらっちゃマズいですか? 初めてアルバイトした思い出のやつだから、実家でも掃除する時に使おうかなって」
「いいよ。うちの名前が入ってて申し訳ないけど」
「何言ってるんですか。これがいいんじゃないですか」
ふふっと笑う田丸さんに、アイラさんが抱きついた。
「菜奈さん。もっと一緒にお仕事したかったです」
「ふえぇ〜ん! アイラさぁ〜ん! わたしももっと本のことお話ししたかったよぉ〜!」
「元気でね、先輩」
「リアちゃんも、幸子ばっかり行ってないで、店長のことも助けてあげてね」
なぜかリアの顔が赤くなった。
「田丸さんと一緒に仕事ができてよかった。本当にありがとう。社会人になったら環境が変わっちゃうから、体に気をつけて。給与明細は郵送するけど、源泉徴収票もいると思うから、必要になったら連絡してね」
「店長、真面目すぎです」
「え? ごめん。そうかな?」
「わたしも、ここでアルバイトできてホントに幸せでした。本当に、ありがとうございました」
深く丁寧に頭を下げた後、田丸さんはレジカウンターの辻君に向かって小さく「バイバイ」と手を振った。
「それじゃあ」
「うん。元気でね」
外に出て、三人で田丸さんを見送る。
もう一度頭を下げて、後ろを向いた彼女が遠ざかっていく。
黄昏時、軒先の壁伝いに、歩道からかき分けた雪が寂しく積み上がっていた。
「待って……待って!」
その時、辻君が店から転がりそうな勢いで飛び出してきた。
「菜奈さん!」
弾かれたように、田丸さんは振り返った。
「俺……ずっと、菜奈さんのことが!」
僕らの脇を通り過ぎて、辻君が田丸さんを抱きすくめる。
「わたしも、卓郎君……!」
田丸さんは震える声で辻君の背中に両手を添えた。
「アイラさん、リア」
二人を手招きして、僕らは店内に戻った。
ハッピーエンドは、ベタベタな方がいい。脇役は野暮な真似はしないものだ。
「面白いんだよ、これ」
「今日発売日?」
レジカウンターに戻った僕のところへ、制服姿の女の子が二人、お会計に来た。
「どこのサイトで読めんの?」
「読み終わったら貸すよ? ……って、うわぁっ⁉︎」
顔を上げた二人が同時に叫び声を上げた。
「店員さん顔ぐちゃぐちゃじゃん⁉︎ え、うそ? 大丈夫? うちらなんかした⁉︎」
「だいじょぶでず、ごめんなざい……」
鼻がズビズビする。
目から塩水が溢れて、目の前が見えない。
「ななびゃぐ……な、ななじゅべんになりまぶ」
「いや、全然ダメじゃん⁉︎ 何言ってるかわからん!」
見かねたアイラさんがレジを変わってくれた。
「圭って、いい奴だけど、アホだよな」
「ごぶぇん……」
やれやれとリアがため息をつく。
「お姉様」
「どうしたの、リア?」
「こんな奴のどこがいいのかってずっと思ってたけど……。お姉様がどうして圭のことが好きなのか、少しわかったよ」
「でしょう? 圭様はね、とっても素敵な人なのよ」
そんな会話を二人はしていたらしいのだが、僕は鼻水をすするのに必死で、聞き取ることができなかった。




