第41話
「ほんじゃ、これにサインしてね」
倉庫からダンボール二箱を運び出した後、僕はロジの受付に戻って託送票にサインをした。
「すいません、こんな夜中に。それに、全部持っていけなくて」
「いんや、かまわんよ。配送できんのはこっちの責任だしな。もう雪降ってきとるで、気をつけて帰りや」
「ありがとう。助かりました」
受付を後にする。
二月の深夜は冷え込みが酷く、倉庫と車を二往復しただけなのに、もう両手の指先がかじかんでいた。
受付のおじさんが言った通り、雪は降り始めていたが、予想よりも振り方が激しい。
「わっ」
運転席に乗り込んだ僕を見て、アイラさんが声を上げた。僕の眼鏡のレンズが真っ白に曇っていたからだろう。
「待たせてすいません。少しあったまったら、すぐに出発しますから」
後部座席から、アンドレが僕の膝の上に飛び乗り、アイオンが僕の胸に抱きついた。温めてくれるというのだろう。
「まぁ」とアイラさん。
「ありがとな」
二匹は小さく鳴き声を上げる。
「あなたたちも、圭様のことが好きなのね」
それは少し照れくさい。
途中、結局行きに立ち寄れなかったコンビニで飲み物を買うことにした。
雪がなくても、往復で三時間はかかる。運転で疲れた体に、コンビニの明かりはありがたかった。
「チョコレート、食べますか?」
息抜きに少し店内を物色する。
僕が屈んで手にした商品をアイラさんが横から覗き込んで、僕らの頬が触れ合いそうになった。
「すいません」
「いえ……。チョコ、一緒に食べたいです」
「アイラさん、カフェオレですよね? ブラックチョコレートにしましょうか。甘いコーヒーとよくあいますよ」
「じゃあ、試してみます」
ふふ、と楽しそうにアイラさんが笑う。
それだけで、僕は元気になる。
——こういうのも、いいかも。
「842円になります」
レジでコーヒーとカフェオレを注文したら、金髪の若い店員に妬ましそうな目で睨まれた。
よく考えたら、こんな夜中に美女二人を連れているのだ。
なんでお前みたいなやつが——と、その目は言っていた。
こういう時に堂々とした態度がとれればいいのだけど、残念ながら僕にはそんな自信はなかった。
「……って、リア! なんで缶ビールが入ってるんだ! しかもおつまみまで!」
「チッ、ばれたか。いいじゃん、別に。あたし運転しないんだから」
「よかないよ! 車の中が酒臭くなるだろ!」
「でも、もう支払い終わっちゃってるじゃん。時間ないのに、今から返金してもらう? 雪どんどん降ってきちゃってるよ?」
「く……このやろう」
「圭様、このカップはどのようにすればいいのでしょう?」
アイラさんが入口脇のコーヒーマシンの前で手を上げた。
「様?」
店員がギョッとした顔で僕を見る。
ダメだ、これ以上は絶対ややこしくなる。
「アイラさん、それは僕がやります」
「じゃあ、見ていますね」
カップを受け取り、二台並んだマシンにひとつずつセットする。
興味深そうに見ていたアイラさんが僕の手元に身を乗り出して、彼女のやわらかな胸がセーター越しに僕の腕に触れた。
——こ、このやわらかさは……!
「このボタンを押すだけで、出てくるんですか?」
「そ、そうです。けっこう似たようなコーヒーの種類があるから、押し間違えないようにしないと」
「すごい、挽きたてなんですね」
屈み込まれて、さらに胸がむぎゅっとなる。
「あ、できたみたいです」
「そそそれも僕がやりますから!」
慌ててカップを取り出そうとしたのがよくなかった。指先がカップのふちではなく、側面へ直に触れてしまった。
「あっ! ち……!」
「大丈夫ですか⁉︎ 見せてください」
アイラさんは僕の右手を取り、人差し指にやさしく息を吹きかけた。
「少し、赤いです」
「いや、これくらい大丈夫で……」
僕は言い切ることができなかった。
アイラさんが、僕の人差し指の先端を口へ含んだからだ。
「す、か……ら⁉︎」
ちゅく……と、いやらしい音が響いた。
「ん……」
艶めかしい表情で、アイラさんが僕を見つめてくる。
これは、『ほしきみ』で美琴がアレの練習と称して主人公の指先を舐めるシーンの……!
「もももう大丈夫ですからッ! 早く出発しましょう!」
あんぐりと口を開けている店員とリアの視線に耐えられず、僕は電光石火でコーヒーマシンからカップをふたつ取り出し、砂糖やミルクもろもろをぶち込んだ。
我ながら器用なことをしたものだと思うけど、カップで両手が塞がったままアイラさんを小脇に抱えて車に乗り込むまで、三十秒もかからなかっただろう。
「ぜぇ……ぜぇ……」
「大丈夫ですか、圭様?」
「ぜぇーんぜんッ! 大丈夫ですよッ!」
「圭、お前やっぱりお姉様に変なことを……!」
「ほら、リア! 缶ビール飲みなよ! 雪景色見ながらのお酒も乙なもんだよ⁉︎」
後部座席に缶ビールとおつまみを放り投げると、リアは「ふへへっ」と舌なめずりをしながら缶ビールのプルタブに指をかけた。リアがアホで単純な奴で助かった。
「圭様、少し休憩されてからの方がいいのではないでしょうか?」
潤んだ瞳で、アイラさんは僕の膝の上に手を添えた。
今、その位置はヤバいんです、アイラさん……。
〝口で……してみましょうか?〟
初めての夜、アイラさんの舌先が一瞬だけ僕に触れたあの時のことが、脳裏をよぎる。
「いやぁもう! 眠気もなくなって元気もりもりですからッ!」
ちくしょう、生殺しだ。誰が悪いわけでもないけど、酷すぎる。
眠気もぶっ飛び、あらぬところまで元気になってしまった僕は、フルスロットルでアクセルを踏み込んだ。




