第39話
ふたつのペット用フードボールに、それぞれドッグフードとキャットフードを入れて玄関に並べる。
「待たせてごめんね。いいよ、食べて」
キラキラした目で僕を見上げていたアンドレとアイオンは、待てを解除された途端すごい勢いで夕食を貪り始めた。アンドレもアイオンも、この動物の姿が気に入っているらしい。
そもそも食料を摂取する必要があるのかとも思うけど……。
「うふふ」
しゃがみ込んだアイラさんが、僕に喉をなでられて気持ちよさそうにしている二匹を見てほほえんだ。
——まぁ、楽しいよな。大好きなご主人との食事はさ。
アイラさんとリアがお風呂に入っている間に、僕は自室でノートパソコンを開いた。
本棚や机周りが、先日のライトノベル展で買い漁ってきたアクリルスタンドやフィギュアなどのグッズで溢れている。
だんだん高校生の頃の部屋に戻りつつあるな、と思う。
「うーん……」
メールチェックの後、ネットの天気予報を見ながら僕は眉根を寄せた。
二日後に大雪のマークがついている。
二日後の金曜日。
それは、田丸さんの最終出勤日だった。
田丸さんの送別会はやらなかった。
引っ越しの準備で田丸さん自身が忙しかったこともあるし、だから代わりに彼女が希望したのが、夕方からのメンバーでライトノベル展へ行くことだったのだ。
「なんとか間に合ったね」
「大丈夫っスかね、俺の字? やっぱり田丸さんが書いた方がよかったんじゃ……」
「なに言ってるのよ。これはあくまで辻君が企画したコミックのポップなんだから、君が考えたコメントは自分で書かないと! あたしは絵でフォローしたでしょ?」
バックヤードで拡材作りに勤しむ田丸さんと辻君を、僕は返品作業をしながらチラチラと横目で見ていた。
二人がしているのは、週末発売になる新刊コミックのしかけ販売の準備である。
イケメン系のヒロインが虐げられている王子様とイチャイチャする「なろう系」小説のコミカライズ。
ネット発の異世界ファンタジー小説は、男女向けそれぞれの作品両方を合わせると、毎月の新刊刊行点数は百を超える。コミック同様、毎月無数の新作が新刊コーナーに並んでは消えていく。
その特徴から重版がかかりにくいジャンルではあるけれど、この作品に関しては読者だけでなく全国書店員の支持も厚く、発売初日で重版が決定した稀有なタイトルだった。
その作品のコミカライズ第一巻ということで、コミック担当の辻君がメインスタッフとして、発売初日から店の入口付近の一等地を使って大きく拡販する準備を進めているのである。
当然、その売場には原作小説も併売する。そしてコミックの発売日は、田丸さんの最終出勤日だ。
だからこれは、コミック担当の辻君とラノベ担当の田丸さんとの最後の共同企画になるのである。
「……ええ、はい。明日の便はなし……はい……配送が土曜にまとめてになるということですね?」
僕は電話子機の通話を切ってから、そっとため息を吐き出した。
「どうされたのですか?」
「うわ!?」
顔を上げると、アイラさんのつぶらな瞳が目の前にあった。
「トラブルですか?」
「いえ。アイラさんが気にするようなことがじゃありませんから」
「本当ですか?」
「じぃー」と、音が出そうなほどまっすぐ見つめてくる。
でも、ダメだ。
こればっかりは、つきあわせるわけにはいかない。
「運送会社の配送でトラブルがあったらしいんですけど、まぁ、なんとかなりそうなので」
それは半分本当で、半分嘘だった。
大雪や大雨で道路交通網にトラベルがあった場合、当然だけど商品の配送が遅延することがある。
今夜から予想されている大雪は規模が微妙で、都市部や平野部については問題なさそうなのだが、居内無町を取り囲む山岳部は積雪で道路が閉鎖される可能性が高かった。
辻君が企画している新刊については、取次からの発送は完了していて、このあたりの小売店の物流拠点に搬入されている確認はとれた。
だが、そのロジスティックスセンターから先の配送については、トラックが出ない。雪雲は居内無町の北部を掠めるコースをとり、雪が降り始めるのは日付が変わった深夜からの予想だ。積雪が浅ければ道路も封鎖されないはずだけど、山越えについては事故が多い地域でもある。大事をとって今夜の配送を中止した運送会社を責めることはできない。
ただ、この企画に辻君がどれほど力を入れてきたのか、僕は知っていた。
「売れますかね?」
「大丈夫だと思うよ。コミックの方もPV伸びてるみたいだし」
楽しそうに談笑している二人をもう一度見る。
間に合わないかもしれないけど、やれることはやっておきたかった。
夜に車を走らせてこちらからロジまで商品を取りに行けば、うまくいけば翌朝の開店には間に合う。
──ごめんなさい、アイラさん。
徹夜で運転することになる。
言えばアイラさんはついてくるだろうけど、降雪が酷い場合、強引に山越えするわけにはいかないから、明日も朝からシフトが入っているアイラさんを連れていくわけにはいかない。
レジで接客をするアイラさんに、僕は心の中で何度も頭を下げた。




