第37話
サイン会会場である二階の大ホールはファンの人たちでごった返していた。今回は新人から大御所やベテランの人気作家まで、あらゆる層の作家が集まる一大イベントだ。中には老舗レーベル創刊時からの読者と思われる古参ファンや、人気作品の本格的なコスプレをしている人までいた。そのおかげで、僕とアイラさんのペアルックがそれほど目立つことはなかった。
「すごい人です」
「吸収合併を繰り返してきたとはいえ、歴史のある出版社ですからね」
コミックマーケットやデザインフェスタのようなアートイベントと同じように、作家や作品の商品力の差がそのままサイン待ちの列の長さに比例してしまう。何作もアニメ化やコミカライズをしているような人気作家には蛇行を繰り返した長蛇の列ができているが、僕らのお目当ての作家であるイエス岸本先生のブースには、一列分の参加者が並んでいるだけだった。
まぁ、『ほしきみ』は忘れた頃に続巻が出て細々と続いている作品なので、この程度の人気が妥当と思われた。
ただ……。
「外国の人が多い……?」
むふぅ〜と鼻息荒く僕の手を恋人つなぎしていたアイラさんが顔を上げた。
よく見ると、岸本先生の列だけ日本人らしからぬ容姿の参加者が目立つ。最初はコスプレかと思っていたけど、服装も中世のヨーロッパを思わせる古風なものが多く、現代ラブコメの『ほしきみ』とは関連性がない。
どこかアンマッチなこの雰囲気。
既視感があった。
「エノク」
アイラさんが発した一言で、列に並んでいる参加者の半数程度が一瞬動きを止めた。皆一様にきょろきょろと周囲を見回した後、顔を隠すように背中を丸めてしまう。
特に、僕らよりも五人ほど後ろに並んでいる人物が最も挙動不審だった。
アイラさんに負けず劣らずの輝く長髪のブロンドヘアーを三つ編みにした人物。男性ではないかと思ったのは、身長が高かったからだ。ドでかいサングラスとマスクで顔を隠していて、いかにも怪しさ全開である。にもかかわらず、全身から溢れる神々しい存在感を周囲にばら撒き、その不審さとも相まって、周りの人たちの注目の的になっていた。
……つまみ出されないのか、あれで。
「どうやら、天界の者が紛れているようです」
「えぇっ⁉︎」
アイラさんやリアの同業者⁉︎
まさか、あの不信人物も⁉︎
「イエス岸本様は、天界の聖典である『ミーティアシャワー』の創造主です」
「ミーティアシャワー……?」
って、『流星群』のことか。
「人間に扮して、イエス様のその御身を一目見ようと下天する者がいてもおかしくはありません」
そう口にするアイラさんも、列の先頭を羨望の眼差しで見つめている。
また、胸の奥がズキッと痛んだ。
岸本先生……どんな人物なんだろうか?
「次の方、どうぞー」
列が進んで前方が開けた時、僕は思わず「う……」と唸り声を上げた。
長机の向こう側に座って参加者にサインをしている人物が、顔全体を覆う被り物をしていたからである。
大きい二つの角がついた牛の被り物だった。遊園地か何かの着ぐるみから拝借してきたんだろうか、無表情でなんだか異様に怖い。両目は果てしない虚無を見据えているようだ。
「聖牛アピス。やはりよいセンスをしていらっしゃいます」
またよくわからない単語が出てきた。
いや、それよりも……。
「知らなかった。女性だったんですね」
「そのようですね」
華奢な背格好に加えて、胸が前に出ていた。それで牛の被り物などしているものだから、ますますエジプトの古い壁画に出てくる神様のような雰囲気になっている。
しかし、女性であそこまで男性向けのけしからんエロコメを書くとは。プロの作家とは恐ろしい。
「次の方は……お二人ですね。どうぞ」
いよいよ僕らの番になった。
長机の前まで出ると、岸本先生は僕らに向かって小さく手を振った。
一切喋らない。はっきり言って、無感動な牛の両目がかなり怖い。
「サイン、よろしくお願いしますっ!」
アイラさんは臆した様子もなく、岸本先生の前に『ほしきみ』一巻と、一階のイベント会場で購入した『流星群』の文庫を並べた。
岸本先生が慣れた手つきで『ほしきみ』一巻の表紙裏側にサインと整理券に書かれたアイラさんの名前を入れていく。隣で補助をしている編集者らしい女性が合紙を挟む間、僕はしきりに首を捻っていた。
先生の筆跡に、僕は見覚えがあった。
「……………」
リュックから文庫を用意しようとしている僕の顔を、岸本先生はじっと見上げていた。
「え?」
じぃ〜……と音が聞こえてきそうだ。
「な、なんでしょうか? 何かついてますか?」
「やっぱり、気づかないか」
牛の被り物の中から聞こえてきた声に、僕は戦慄した。
「な……? は? まさか、その声は……」
岸本先生は牛の被り物をがぽっと取った。中から顔を出したのは——。
「ふぅー、熱い。やっぱりこんなんでサイン会なんかやるもんじゃないなぁ」
僕の姉——柏木凪は、僕とアイラさんににっこりと笑顔を振りまいた。




