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第36話


   ◯


「アイラさんは、いつから店長のことが好きだったんですか?」

 田丸菜奈は、棚を物色しながらアイラにそっと耳打ちした。

 コラボカフェでの食事の後、ポップアップストアに戻ってグッズの買い逃しがないかをチェックしていた時のことだった。

「え? あ、あの……」

 突然の質問に、アイラは戸惑う。

「六年前からです」

「六年もっ! すごーい、店長そんな人がいる素振りまったくなかったのに」

 圭との特殊な関係を打ち明けられないことが、アイラは少し口惜しかった。

「好きな人とおつきあいするって、どんな感じなんですか?」

 アイラの顔がボシュッと赤くなった。圭と愛し合った時のことを思い出したからだ。

 圭を自分の中に感じながら、甘く歪む彼の表情を見上げる。名前を呼ばれる度、二人熱くとろけて、このまま消えてしまってもいいとさえ思った。

 ……いやいや。

 菜奈が聞きたいのはそういうことではないだろう。

「店長のいろんな一面が見られて、私は毎日うれしいです。……ごめんなさい、こういうことが聞きたいわけではないですよね」

 菜奈は小さく首を横に振った。

「菜奈さんは、男性とおつきあいされたことはないのですか?」

「大学一年生の頃に、サークルの先輩をちょっと好きだったことがあるんですけど……まぁ、こういう趣味ですからねぇ」

「何か言われたのですか?」

「ううん。そういうのはなかったんですけど、なんだかみんなキラキラして見えて、馴染めなくて。その人、今は私の友だちとつきあってますし」

 菜奈は自嘲するように笑った。

「柏木書店でアルバイトさせてもらったの、ホントにラッキーだったんです。アニメとかラノベとかコミックとか、昔から好きだったから、毎日天国みたいでした。店長も朝のパートさんたちもみんな親切だったし」

「辻さんは?」

 菜奈の動きがピタリと止まった。

「……実はけっこう、地元戻るのやだなぁって思ってて。辻君の顔ばっかり思い浮かぶんですけど……。これってやっぱり、恋なんですかね?」

「菜奈さん……」

 泣き出しそうな顔の菜奈を、アイラはそっと抱きしめた。


   ◯


 トイレから戻った後、仁志の方は大丈夫だろうかとスマホを取り出したところで、僕は思わず「あ……」と声をあげた。目立つ赤毛のショートカットが視界の端を掠めたからである。

「圭と辻パイセンじゃんっ!」

 ご機嫌な様子のリアがこちらに向かって手を振っている。

 バカな。まだ集合予定の時間まで二時間以上あるのに。

「辻、パイセン……」

 隣で辻君が唸っている。

「あれぇ? お姉様と先輩は?」

「いや、今ちょっと別で買い物中で……」

 落ち着け。

 大丈夫だ、コラボカフェに入る前に買ったグッズは全部僕とアイラさんのカバンの中に詰め込んである。アイラさんが追加で何か購入してきても、リアに訝しがられるようなことはないはずだ。

 気持ちを落ち着かせようと、僕は手にしていたペットボトルのミネラルウォーターを口に含んだ。

「圭様ぁっ!」

 様付けで呼んでいる。

 嫌な予感がして、僕は振り返った。

「ぶはぁッ!」

 直後、僕は口の中の水をマーライオンのように吹き出してしまった。

 子供のような笑顔で手を振りながらこちらへ駆けてくるアイラさんが、『ほしきみ』のイラストがデカデカとプリントされたロングTシャツを身につけていたからである。

 いや、イラストがプリントされているのは別に全然いい。ただそのイラストが、主人公とヒロインの美琴がディープキスしているシーンを切り取ったとんでもないデザインのものだったから、僕は卒倒しそうになったのである。

「あわわわ……!」

 アイラさんの頭の上ではつば付きキャップの二人がせつなく見つめ合い、彼女の胸のあたりではその二人が激しく求め合っている。完璧なストーリーテリング。上級者すぎる。

 アイラさんから放たれるイチャラブ全開な雰囲気に、周りの人たちは彼女へ何事かと視線を送っていた。

「買っちゃいました、圭様っ!」

 僕に抱きつきながらピョンピョン飛び跳ねるアイラさんに、僕は何も言えなかった。

「素敵です、お姉様……」

「え……?」

 リアから予想外の台詞が飛び出して、僕はさらに絶句した。

 リアは崇拝するような眼差しをアイラさんに向けながら、涙ぐんでいた。

「その美しいデザイン、神のごときセレクト……リアは感服いたしました!」

「どこ行ったかと思ったら、こんなところにいやがった」

 その時、エントランスのあたりから仁志が走ってきた。

「すまん、圭。リアのやつ、隠れて酒飲んだらしい」

 言われてみれば、リアの顔はほんのり赤く、足取りがやや覚束なかった。

「う、ぅ……お姉様、リアは一生ついていきまふ」

「リア。ついにあなたにも人間界の文化の素晴らしさがわかったのですね」

 アイラさんに抱きつくリアの首根っこを、仁志はむんずと掴んだ。

「おら、酔っ払いが迷惑かけんな」

「おわぁあにすんだ、仁志! あたしはまだまふぁ食べられるろ!」

「邪魔して悪かったな、圭。お前らまだデートの途中だろ? こいつはとりあえず水飲ませてどっかで休ませっから」

 リアを無理矢理おんぶすると、仁志は片手を上げてイベント会場から出て行った。

 ……あの二人、意外とお似合いかもしれない。

「私たちも、ブロードウェイ行ってきますね」

 田丸さんは辻君の隣に並んだ。

 サイン会に目当ての作家がいないので、田丸さんと辻君は二駅隣にあるサブカルの聖地に行くらしい。

「サイン会、行きましょうか」

 田丸さんと辻君を見送った後、僕は腕時計を見た。ちょうどいい時間だった。

「はい」

 今日のメインイベントだ。アイラさんは再びピョンピョンと跳ねた。

「今日は、楽しいですか?」

「とっても。何もかもが新鮮です」

 瞳の奥がキラキラしている。

 じっと見つめられて、僕は少し思案した。

 ——まぁ、いいか。楽しんだもの勝ちだもんな。

 それに、その方がアイラさんも喜んでくれるし、きっといい思い出になる。

「そのコラボシャツ、男性用も売ってましたか?」

「あったと思います」

「あの……僕も買いますから。サイン会、ペアルックで参加しましょうか」

 アイラさんの表情が、太陽のようにパァッと明るくなった。

 この後、そのサイン会でとんでもない事態が発生がするんだけど……。

 この時の僕は知る由もなかった。

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